第162話 アンの贈り物

 窪田家に着くと既にセッティングが整っていて、いつでもセッションできる状態だった。衣織曰く、学さんもセッションに参加すると駄々をこねていたのだが、大人しく見学するようになんとか説得らしい。


 衣織とアンと僕のセッションは『織りなす音』のルーツだ。


 僕的には学さんの参加は全然ありなのだが、衣織的にはそう言う意味合いがあったのかも知れない。


 しかし、なんだろう。


 いつもセッションを始める前って緊張感が凄いんだけど、今日はそれが無い。


 妙にリラックスしている。


 むしろこんな状態はじめてじゃないだろうか。



「衣織、鳴、あの曲頼める?」


 アンが言うあの曲は、アンがセッションに介入してきた、僕たちの始まりの曲。


「「了解!」」


 イントロのアルペジを弾くとアンが全音符と二分音符でシンプルなメロディーを重ねてきた。なんとも切ないメロディーだった。


 アンの奏でるメロディーに心ゆだね目を閉じると無限にも思える程のアレンジが広がった。その中の一つをチョイスし、イントロに若干の変化を加えた。


 この曲のイントロの最適解はこれだった。この曲のイントロは感情を込めやすいようにシンプルにアレンジしていたが、それでは重過ぎたのだ。


 この曲のイントロに必要なのは、最初からむき出しにされている感情ではなく、静かなプロローグ。最低限の音数でそれを僕に諭したアンはさすがとしか言えない。


 衣織の歌も今までと全然違った。もちろんメロディが変わったとかそんな類では無い。感情の込め方、強弱のつけ方その全てがこれまでの物よりワンランク上になっていた。


 前回アンとの勝負では激情のまま曲に入った僕たちだったが、アンのギターが入ることにより、いい意味でゆとりができた。感情の起伏がつけやすくなったのだ。


 衣織と僕のプレイは1曲での消耗が激しい。常に一発勝負を繰り返してきたこともあるが、今のクオリティーを保ちつつ、数十分のステージをこなすことは『織りなす音』の課題でもあった。


 でもこれなら……このゆとりのある演奏なら、クオリティーを担保しつつも数十分のステージもこなせる。


 もしかしてアンはこのことを伝えたかったのか?


 アンをの方を見ると満面の笑みを浮かべていた。


 明日帰国だっていうこの忙しいタイミングで……ありがとうアン。




 ——もしかしたらアンとセッションできるのは今日で最後かも知れない。


 そう思うと……涙が出てきた。


 以前アンがいざなってくれた、僕たちでは手が届かなかった領域。


 その領域へ繋がる扉の鍵をもらったような気がした。


 

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