第73話 不器用な愛情表現

 僕は今、衣織の部屋で衣織に抱きしめられている。


 しかも顔を胸に埋めるかたちでだ。


 さっきのセッションで、衣織なりに何かを感じとってくれたからだとは分かる。


 でもこれはちょっと……嬉しいけど思春期の僕には刺激の強い癒しだ。


 衣織の身体が小刻みに震えている。衣織も泣いているのかも知れない。


 でも、衣織が震えれば震えるほど胸の感触が気になって仕方ない僕は、案外真面目系クズなのかも知れない。


「まだ顔を上げないでね……」


「うん」


 声を出すのも躊躇してしまようなシチュエーションだ。どうやら衣織は僕に涙を見せるのが嫌で、この態勢になったみたいだ。僕は衣織と出会ってからラッキースケベの神様に計り知れない恩恵を受けている。



 ——「優しい演奏だったね」


「うん……」

 

 フラメンコの情熱的な曲調で優しいってのは対極に位置しているように思える。でもそんな対極にある曲調ですら優しいと感じてしまう深い愛。


 なぜ僕は、分からなかったんだろう。今更ながら自分が嫌になる。


「まあ、それはそれとして、あの言い方は許せないわね。なんで鳴は言い返さなかったの? 私と結婚前提にってのは嘘だったの?」


「え」


 父さんの暴言が僕に飛び火した。


 それからしばらくコンコンと衣織に怒られた。でも本気で怒っているようには感じられない。僕の気持ちを紛らわせるための衣織の気遣だとすぐに分かった。


 僕の彼女、本当に良い女だチクショウ! 本当に僕にはもったいない。もったいないけど誰にも渡さない。


 僕は衣織を抱きしめた。


「衣織ありがとう……もう大丈夫」


 衣織は何も言わなかったが小さく頷いているのが気配で分かった。



 ——さて、ここからだ。僕は今まで自分から衣織にキスをしたことが無い。


 これは絶好のチャンスだ。


 こんなチャンスもう2度と巡ってこないかも知れない。


 僕は意を決し衣織と向き合った。


 衣織が瞳を閉じた。


 オッケーオッケー!


 ラッキースケベの神様ありがとう。僕にチャンスを与えてくれて。


「衣織、鳴くん!」


 キスしようとした刹那、佳織さんがまたノックもせずに衣織の部屋に入ってきた。


「あ……ごめんね! お邪魔だったわね!」


「ママ! ノックぐらいして!」


「あははは、ごゆっくり」


 またもや佳織さんにキスを阻止された。もしかして狙っているのだろうか。


 僕からのキスは今日もお預けとなった。





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