第20話 松井光一の初恋は実らない
新米編集者だった私――
もちろん編集部の先輩方に比べればまだまだだ。彼らは何人もの作家を担当し、日々忙しく駆け回っている。私が尊敬している
私も気合を入れて作家を成功に導かなければ! と熱が入る今日このごろである。
とはいえ、白雪さんはもともと売れっ子作家なので私が手助けするようなことはない。『取材』という名目でデートしてるくらい。いや、別にサボってるわけじゃないですよ編集長。
問題は松井くんのほうだった。コンテストで受賞した小説の売れ行きはまずまずだったが、本人曰く「続きが書けない」と悩んでいるという。
「コンテストで全力を出しすぎたというか……コンテストに応募した作品の中で書きたいものは全部書いちゃったので続きが浮かばないんです」
松井くんの自室。
彼は膝にロシアンブルーを乗せて背中を撫でながらうつむいていた。
たしかに、コンテストで彼が書いた作品は、裏日本に転移した人間の主人公が、獣人の友人や家臣となった者たちと一緒に戦国時代に名乗りを上げて勝ち上がり、戦乱の世を終わらせてしまった。コンテストに応募する作品というのはたいていその作品の中で完結させなければならないので仕方ないところはあるが、続きを書く余地がないのは正直厳しい。
「じゃあ、新作小説を書くのはどうですか? この間はアンチコメが引っかかって進まなかったって言ってたけど……」
私の提案に、松井くんは静かに首を横に振る。
「何も……何も浮かばないんです」
これは致命的だな、と私は内心悩む。
せっかく小説家としてデビューできたのに、それに続く作品を書き続けられないと、新人作家の名前なんてすぐに忘れられてしまうのがこの世界の厳しいところだ。
「何か悩み事があるなら、相談乗りますよ? 私は松井くんの担当編集なんだから、何でも話してください」
「何でも……ですか」
松井くんは意味ありげな視線を私に送る。
「花園さん、こちらに来てくれますか?」
松井くんにそう言われて、二人で並んでベッドに座る。
「実は僕、恋をしちゃったみたいなんですけど、初めてのことだから戸惑ってて……」
「こ、恋ですか……!?」
意外な相談に私は身を乗り出す。まさか松井くんと恋バナをすることになるとは。
ん? でも松井くんって引きこもりだよね? ネット恋愛なのかな?
「相手はどんな人なんですか?」
「ええと……優しくて、根暗な僕にも気さくに話しかけてくれて、何でも悩みを聞いてくれてアドバイスをくれて……」
「へえ~! いい人そうじゃないですか! まずは会ってみたらいいんじゃないですか? あ、でもネット上の関係だったらそんな簡単に会いに行ったら危ないかな」
「ネット……?」
松井くんはキョトンとした顔をしたあと、気まずそうに顔を赤らめた。
「あの……、……のことです」
「ん? ごめんなさい、よく聞こえない――」
もっとよく聞き取ろうと耳を近づけた途端、視界がひっくり返って、天井と逆光で暗くなった松井くんの顔が見えた。
――松井くんにベッドの上に押し倒されている。
「僕の恋した人、花園さんのことです」
松井くんは切なげな目でまっすぐ私を見ている。
「僕の初めて、もらってくれませんか?」
あ、これ、色々マズイやつだ。
未成年、犯罪、そして白雪さんというワードが頭の中を駆け巡る。
「……あの、私、付き合ってる人がいるって言ったよね?」
「でも、女性同士なんて……報われないじゃないですか」
ああ、今の若い人の間でもそういう考えがあるんだな。
「私は報われないなんて思わない。同性同士でも幸せだよ」
そう言って松井くんの胸を押してどかそうとするが、さすが男の子はびくともしない。
「僕、初恋なんです。花園さんのことが本当に好きで――子供だから、ダメなんですか?」
「まあ、未成年に手を出すわけにいかないのもあるけど……私は、白雪さんを裏切れないよ」
「白雪さん……?」
あ、やべ。口が滑った。
「は、花園さん、袖野白雪先生と付き合ってるんですか……?」
「……うん」
口が滑ってしまったものは仕方ない。私は取り繕うとも思わず、素直にうなずいた。
「……僕がそれをネタに、編集部にバラすって脅しても、僕とは付き合えませんか?」
「松井くんはそんなことしないでしょ?」
「――ッ、あなたになんでそんなことがわかるんですか」
「わかるよ」
私は松井くんの頬をそっと撫でる。
「私は松井くんの担当編集ですよ? ずっと隣で君を支えてきた。松井くんがそんなことするような悪い子じゃないってことは知ってる」
松井くんは何事にもまっすぐで、子猫を拾ってくるくらい優しくて、愚直なくらいいい子だ。
あと、多分、編集長は私と白雪さんの関係にもなんとなく勘付いてて泳がせている気がする。
私の言葉に、松井くんは今にも泣きそうなほど顔を歪めた。
「……ハハ。初恋は実らないって本当なんですね」
と、松井くんは自嘲するようにつぶやいて、身体をどけてくれた。
「ごめんね、松井くん」
「いえ、おかげさまでネタは決まりましたから」
「?」
松井くんの言葉に首を傾げると、松井くんはスッキリしたような笑顔を浮かべる。
「僕の新作小説は恋愛モノにします。初恋の苦しさも、実らない恋の悲しみも、全部あなたが教えてくれた。この経験をもとに、作品を作って、この気持ちを昇華します」
さすが作家の卵、転んでもタダでは起きない。
「袖野先生の恋愛小説には敵わないかもしれませんけど、僕、もっともっと頑張りますから!」
「うん、二人で頑張りましょう」
私が当たり前のように言うと、松井くんはびっくりしたような顔をしていた。
「え……? 作家に襲われかけたのに担当外れたいとか思わないんですか?」
「作家と担当編集は二人三脚、一蓮托生。松井くんがちょっと気の迷いを起こしたからって、私は簡単に君を見捨てたりしませんよ」
「気の迷いって……僕、結構真剣だったんですけど。ひどいな、花園さん」
松井くんは拗ねたような顔をして――私達は、二人で笑いあったのであった。
「ふーん、へえ。そんなことがあったのですか」
夕食を二人で食べながら、白雪さんはジトッとした目で私を見た。
私は今日あったことを包み隠さず白雪さんに話していたのである。
「怒ってます?」
「その松井くんとかいう若造にはね」
「結局私が白雪さんを裏切らなかったんだから、それで良かったじゃないですか」
「そもそも、美咲さんは無防備過ぎます。ベッドに座った時点で警戒すべきです」
白雪さんはムスッとした顔で私を睨む。
「あのですね、相手は子供とはいえ男ですよ? その松井くんとかいう男の子が素直だったから良かったものの、下手したら無理やり強姦されてたかもしれないんですよ?」
「……ごめんなさい……」
白雪さんは怒っているが、私を心配しているのも感じ取れた。
「今夜はお仕置きですね」
「えっ、お仕置きって……」
急にエロ同人みたいな台詞を吐かれて、私は動揺する。
「いえ、別に『今夜はお仕置きだ』って台詞、言ってみたかっただけで特に何も内容は考えてないんですけど」
「白雪さん、AVの見過ぎです」
どうせまた『取材』とか言ってベッドシーンの勉強をしていたのだろう。
「美咲さんだって隣で見てたことあったでしょう?」
レズビアン物のAVを白雪さんと二人並んで真剣に女性同士の性行為について『取材』してたことを言っているのだろう。
白雪さんは今思い出してもおかしいと言いたげにクスクス笑っていた。
「美咲さんったら顔を真赤にして、手で顔を隠してるのに指の間を開けてなんだかんだ見てるんですもの、もうおかしくって」
「その時のことは言わないでください、白雪さん! アレほんと恥ずかしかったんですからね! 逆に白雪さんはなんであんな冷静にメモを取れるんですか!」
「『取材』だと割り切れば何も感じるところはございません」
やっぱり作家って変人だな、と思った。
「ねえ、美咲さん。またレズビアン物のAV鑑賞会、しませんか?」
「言っときますけど、いくら取材でもAV鑑賞にかかるお金は経費では落ちませんからね」
経理の人になんて説明したらいいんだ……。
「今夜は取材じゃなくて、夜の営みとして、ね……?」
白雪さんは妖艶な笑みで私を誘った。
お風呂上がり、浴衣を着た白雪さんはしっとりとした雰囲気を醸し出している。
私は思わず、ごくりと生唾を飲み込んだのであった……。
〈続く〉
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