第7話 先生! デートしましょう!
前回までのあらすじ。
『恋愛が理解できない恋愛小説家』、
先生が少しでも恋愛を理解して、小説をもっと書きやすくしてあげたい、と奔走する私だったが……。
「――というわけで、どうしたものか悩んでいるんです」
行きつけの居酒屋。
カウンター席で隣り合って、編集部の先輩、
「うーん、僕も力になってあげられたらいいんだけど、なにせ恋愛を理解できない人間に恋愛を教えるなんて生半可なことじゃないぜ」
それでも悩みに答えてあげようと一緒に知恵を絞ってくれる明神先輩の優しさよ。
「女性なら幼少期から少女漫画を読んで恋愛のドキドキ感を体験するものなんじゃないのかな」
「うーん、先生、以前に少女漫画を読んでましたけど、あくまで小説のための資料として読んでいるみたいで、感情移入してないっていうか……」
そうそう、あの少女漫画が原因で、先生とお互い壁ドンをすることになったんだよね……。
今でも思い出すとドキドキしてしまう。
あんなに先生と距離的に接近すること、なかったし……。
おまけに先生に顎クイされて耳元で「俺の女になれよ」なんて囁かれて……。
「花園さん、顔赤いけど大丈夫? もう酔ってる?」
「アッ、い、いえっ、大丈夫です!」
私は必死に頭の中の記憶を飛ばすように、首を横にブンブン振る。
「ふむ、感情移入できない、か。実際に学生時代、誰かと付き合ったりとか経験がなかったのかな」
「中高大と女子校だったらしいですよ」
「女子校ったって、放課後には学校を出て男とデートする女なんていくらでもいそうなものだが……。男嫌いってわけではないんだろう?」
「どうなんでしょう……。男性編集者にも『恋愛を教えてくれ』って迫ってたらしいですし、嫌いではないんじゃないですか」
「君の担当している作家も大概とんでもないな……」
明神先輩は呆れたようなドン引きしたような表情を浮かべている。私も同じ気持ちである。
「うーん……恋愛小説を書くことに限界を感じているようなら新境地の開拓――他のジャンルを書かせてみることも視野に入れてもいいかもしれないけど、袖野先生はなまじ恋愛小説で有名になりすぎているからね。いきなり別のジャンルを書かせても読者がついてこれるかどうか……」
「そうなんですよね……」
袖野先生ご自身もそんな話をしていた。
彼女はアマチュア時代、様々なジャンルに挑戦していたがどれも鳴かず飛ばずであったという。
しかし、たまたま気まぐれで書いた恋愛小説が大ヒット。
そのまま恋愛小説家としてデビューが決まり、彼女は恋愛が理解できないまま、今も恋愛小説を書き続けさせられている――。
「先生自身にはなにか書きたいジャンルとかないのかい?」
「ご本人は特に無いとは言ってましたけど」
「恋愛小説で滿足しているということかな。じゃあ無理にジャンル変更の必要はないか。となると、結局問題は最初に戻ってしまうな」
そう、目下の問題は「袖野先生にどうやって恋愛を理解させるか」。これが一番の難題である。
例えるなら、1+1が何故2になるのか理解できない子供にどうやって理解させるか、みたいな話だ。エジソンもそういう子供だったんだっけか。
私達はなんとなく常識だと思っていて何故かなんて普通考えないようなものを理解できない人間に教えるという難問。
恋愛がわからない人間にどう恋愛を教えればいいのか。
作家というのは何かが変わっていたり欠落していたり、普通の人間の常識が通じない人間が多い、というのはよく聞くが、さしずめ袖野先生は恋愛感情が欠落しているのだろうか。
「なんか、力になってあげられなくてごめん」
「いえいえ、先輩に相談すると充分心強いですよ。独りで悩むより考えがまとまりますし」
申し訳無さそうに謝る明神先輩を首を横に振りながら手で制する。
「それに、これは私と袖野先生の問題ですから。むしろ巻き込んでしまってすみません」
「構わないよ。よかったらこれからも相談くらいなら乗るからさ」
明神先輩、自分も担当している作家さんが一筋縄ではいかない人たちばかりなのに、私の相談にも乗ってくれる、いい人だなあ。いい先輩に恵まれた、と心の底から思う。
私と明神先輩は居酒屋を出て、それぞれの帰路についた。
家でもうんうんと一晩中考えに考えて、私が最終的に導き出した答えは――。
「先生、デートしましょう!」
「デート?」
「アッ間違えました、取材に出かけましょう!」
私は出不精の袖野先生を、ひとまず外に連れ出してみようと思ったのである。
街を歩けば必ずカップルはいる。先生にその様子を観察させて恋愛の何たるかを学ばせることは出来ないだろうか? と考えた結果である。
作家たるもの、家に閉じこもってばかりいないで、たまには外に出て人間観察も大切な『取材』だ。
そういったことを伝えると、
「素直にデートでもよろしいですのに、美咲さんは素直じゃありませんね」
と笑われた。
「そんなにデートしたいならデートでもいいですよ。女の子同士が買い物するだけでも『デート』と呼ぶ時代ですしね」
私はそんな減らず口を叩く。たしかに私は素直な性格ではないかもしれない。
「では、外に出るということなら、わたくしは少し着替えさせていただきますね」
袖野先生は家の中にいるときは常に和服だが、外に出かける時は洋服に着替える。
たしかに、人間観察するのに和服は目立つ。逆にこっちが観察されかねない。
先生は一旦執筆部屋の隣りにあるふすまの奥に消え、しばらくしてからまたふすまが開いた。
いつだったか、レズ風俗に取材に出かけようとした時に着ていた、ノースリーブの縦縞セーターに黒のロングスカート。大きな輪っか状の金具がついたベルトがオシャレである。
「素敵な服ですね」と褒めると、
「デートですから、自分のお気に入りの服を着たいでしょう?」と微笑まれた。
先生の中ではもうデート気分なんですね……。
いや、別にいいけど。先生が恋愛小説を書くお手伝いが出来るなら。
そんなこんなで、私は複雑な気持ちを抱えつつ、袖野先生の純和風の邸宅を二人で出た。
……思えば、二人でお出かけって初めてかもしれない。
袖野先生は用事がない限り外に出ないタイプだし、以前のレズ風俗の取材は私が全力で阻止したしね……。
「先生、どこか行きたいところはありませんか?」
「あら、どこに行くか決めていなかったのですか?」
「今日は先生の行きたいところに連れてって差し上げようかと思いまして」
私がそう言うと、先生は困ったような顔をする。
「美咲さん。わたくし、行きたいと思ったところには自分で行けますよ? いい大人なのですから」
どうやら、自分は
「ああ、すみません、そういう意味で言ったわけじゃないんですけど……。じゃあ、今日は私の行きたいところについてきてもらってもいいですか?」
「ええ、もちろん。断る理由がございません」
そう言って、袖野先生は優美な笑みを浮かべる。
「では、参りましょうか、美咲さん」
先生はそう言って、手を差し出した。
……?
何の手だろう、いま握手する場面じゃないよな? と頭に疑問符を浮かべていると、
「……手、繋ぎませんか?」
先生は闇色の目を細めていたずらっぽく微笑んでいた。
「い、いいですけど……」
本当にデートなんだな、と思うと、つい意識してしまう。
先生の手に伸ばした自分の手が、少し震えている気がした。
「緊張してます?」先生が面白そうに笑う。
「べ、別に緊張してませんし。女の子同士で手を繋ぐとか、学生時代から普通でしたし」
「あら、そうなのですね。わたくしは手を繋いだことがございませんでした」
先生の言葉に、意外だな、という目を向ける。先生は美人だから、女の子からの受けも良さそうなのに。
「先生、友達いなかったんですか?」などと、不躾な質問をしてしまった。
「特にいじめられていたわけではなかったのですが、遠巻きに見られることが多かった気がします。自分で言うのも恥ずかしいのですが、『高嶺の花』などと陰で言われておりました」
あー、美人すぎて誰も近寄れなかったやつだ、これ……。
その美貌は三十代になっても衰えを知らないが、学生時代はさぞかし美少女だったに違いない。
「……その、先生は学生時代、男の人にはモテたりしたでしょう?」
「いいえ?」
「うっそだー。先生が外を歩けばナンパの嵐でしょ」
「外には出ませんでしたから」
「え?」
「わたくし、中高大と一貫校で、その学校の敷地内にある学生寮に暮らしておりましたから」
文字通りの箱入り娘だ!?
たしかに女子校の敷地内から外に出なければ、男性と接触する機会なんて教師くらいしかおらんわな。
「それでは美咲さん、デートに連れて行ってくださいな」
先生は完全に面白がっていた。
私はカチコチになりながら、美女の手を引いてデート――いや、取材に出かけたのであった。
街は人混みであふれている。
私達は広場のベンチに座り、
「美咲さんはここに来たかったんですか?」
「そういうわけじゃないですけど……先生が人間観察をしたら、少しは小説のネタになるんじゃないかと思って」
「美咲さんの行きたいところでいいですのに……」
先生は困ったように笑う。
「美咲さんのそういう私を思ってくれる優しい気持ち、嬉しいですよ」
「……ッ」
どストレートに気持ちを伝えられ、グッとこらえる。
落ち着け。落ち着け私。クールになるんだ。
相手は自分の担当している作家さんで、しかも女性で、いや同性愛を否定するわけじゃないが、私は別に同性愛者ってわけじゃないし……いや、ドキドキしてる時点で既に私は女性を愛せるようになっているんだろうか……? やっぱり私、自覚がないだけでバイセクシャルだった……?
思考がグルグルする。
「美咲さん? 顔色が悪いようですが大丈夫ですか? 体調でもすぐれませんか?」
袖野先生が心配そうに私の顔を覗き込む。顔が、近い。まつ毛長い。
その美しいご尊顔に、ますますくらくらしてくる。
「大丈夫……ではなさそうですね。少し店に入って休憩しましょう。人ごみに酔ったのかも」
先生はなんとか私を支えて立たせてくれて、近くの喫茶店に入った。
店内は人がほどほどに入っていたが、順番待ちをするほどではなかった。すぐに席に案内される。
先生はアイスティーを二つ注文してくれた。
「しばらくここで休憩しましょう。落ち着いたら言ってくださいね」
先生は安心させるようにニコリと笑う。その心遣いは嬉しかった。
私がすうはあと深呼吸している間に、アイスティーが二つ運ばれてくる。
先生はアイスティーにガムシロップを三つも溶かしていた。
「せ、先生、それは流石に入れ過ぎでは……?」
「ああ、わたくし、甘党なんですよ」
それは知らなかった新情報。先生の味の好みを知る機会なんてそうそうないもんな。
「そうなんですね。でも控えたほうがいいと思いますよ」
「そうですか? こんなに美味しいのに」
先生はストローに口をつけてアイスティーを飲み始める。私もストローの包み紙を破った。
「ついでに何か食べていきましょうか? パフェとかパンケーキもあるみたいですよ」
先生はメニュー表を開き、私に示す。
店員を呼び止めて、私はパンケーキ、先生はいちごパフェを追加注文した。
ほどなくして、スイーツがテーブルに運ばれてくる。
「すみません先生、取材のつもりがご迷惑をかけてしまって……」
私は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「気にしなくていいですよ。それに、まだ取材は続いてますし」
「え?」
どういう意味か分からない、という顔をすると、先生は周りを見渡した。
「例えば喫茶店の雰囲気。店員の動き。客の会話や喧騒。飲み物や食べ物の味。そして好きな人と過ごす時間。すべてが『取材』になり得るんですよ、作家にとってはね」
そう言って、彼女は笑うのである。
好きな人と過ごす時間、という言葉だけが、私の頭の中で反復される。
――先生は、私が好きなんだ。
それはもちろん、恋愛的な意味を含んでいるとは限らない。それでも、憧れの小説家に「好き」と言われて、舞い上がらないファンがいるだろうか。
……いや、ちょっと待てよ?
「待ってください先生、いま私のこと『好き』って言いましたよね?」
「言いましたね」
「それは恋愛感情ですか?」
もし恋愛感情なら、先生が恋愛を理解する取っ掛かりになる!
「さて、どうでしょう?」
先生はそれでも、曖昧に笑うばかりである。
「わたくしのこの気持ちが、恋愛感情に相当するかどうかも、わたくしには解らないのです」
うーん、これは重症だ。
私は落胆を隠せなかった。
「美咲さん、お具合が悪そうですし、今回のデートはここまでにしましょう。次回は、ちゃんと美咲さんの行きたいところに連れて行ってくださいね?」
袖野先生はとりなすように笑いかける。
デートじゃなくて取材です、と言い返す元気も、私にはなかったのであった。
〈続く〉
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