第6話 彼女が恋愛小説を書く理由

「ふうん、恋愛を理解できない恋愛小説家、か」

 とある居酒屋。

 カウンター席でグラスを傾けながら、私――花園はなぞの美咲みさきの話を聞いてくれているのは、私の先輩編集者にして憧れの男性、明神みょうじん風春かぜはる先輩だ。

「君も随分変わった作家を担当してるんだね。まあ、作家なんてほとんどみんな変人連中だが」

「そうなんですよ! こないだなんか『取材』って名目で延々とAV鑑賞させられるし……女二人でAV見て何が楽しいんだか……」

「だから、取材なんだろう?」

 明神先輩はそんな作家の奇行には慣れている様子であった。なにせ出版社に勤めて五年以上経っている中堅だ。それでいておごることもなく、新米の私にも優しく仕事を教えてくれる。

 そんな素敵な殿方に、惚れ込まないはずがなく。

 バレンタインにチョコを渡してみたけど、先輩は申し訳無さそうな顔で衝撃の告白をした。

「ごめん、僕はゲイっていうか……男の人しか愛せないんだ。だから、チョコは受け取るけど気持ちは返せない。ごめんね」

 言葉通り、チョコは受け取ってくれたけど、ホワイトデーには何も返してくれなかった。「気持ちは返せない」というのはそういう意味だったのだ。

 先輩と付き合えなかったことにはショックを受けたけど、私は逆に嬉しかった。

 同性愛者が世間に認められ始めているとはいえ、自分がゲイであることを告白するというのは勇気がいることだと思う。それを包み隠さず私に伝えてくれたことが嬉しかったのだ。

 結果的にそういう秘密を共有することで、こうして一緒に飲みに行ったり、かえって親密になれたし、これで良かったんだと思う。

「しかし、花園さんに『恋愛を教えてくれないか』なんて、ねえ……随分好かれているじゃないか」

「そりゃ、美女に好かれて悪い気はしませんけど……」

 私は苦虫を噛み潰したような顔で焼き鳥のレバーをかじる。

 明神先輩と話題にしているのは、もちろん私に好意を持っている(と思われる)『恋愛を理解できない恋愛小説家』、袖野そでの白雪しらゆきについてである。

 袖野先生の担当編集になってからというもの、彼女の奇行には驚かされるばかりである。

 女性でありながら風俗店のチラシを店に資料請求するなんて、向こうも困惑したのではないだろうか。

 そして、彼女は何故か私を妙に気に入っていて、たびたび関係を迫られる。これはれっきとしたセクハラではないだろうか。作家とその担当編集が恋仲でしかも女性同士なんてスキャンダラスすぎるだろう。

「とにかくあの人、変なんですよ。恋愛が分からないのに恋愛小説を書けるものなんですか?」

「うーん、どうだろう? 僕らは作家じゃないから分からないけれど……」

「それに、自分がゲイかバイかも分からないのに私に『恋愛感情が分かるかもしれないから』って理由で付き合いたいなんて言い出して……私の気持ちはどうでもいいんですかね」

 ああ、ダメだ。酔いが回ってきている。私はウーロンハイを飲みながら愚痴をこぼしていた。

「花園さんの気持ちがどうでもいいってことはないと思うけど……しかし、恋愛感情が理解できないっていうのはもしかしたら彼女、無性愛者かもしれないな」

「無性愛者?」

 聞き慣れない単語に、私は首をかしげる。

「男も女も愛せない……その名の通り、性愛を感じないと言う人間もいるんだ」

「恋愛できない人種ってことですか? なんだか、かわいそう……」

「こら、当事者の気持ちを考えて発言しなさい」

 明神先輩は、軽く拳でコン、と私の頭を小突く。

「それに、恋愛が人生のすべてじゃないだろう? 彼らには彼らなりの楽しみが別にあるのさ」

「そういうものですか」

「うーん、でも、どうなんだろうな。恋愛感情を想像できるってことは恋愛はできるってことなのかな……実感がわかない、か……」

 先輩は顎に手を当てて考え込み始めた。

 袖野先生は、恋愛感情を『想像』できるけど『実感』はないという。

 それは果たして、恋愛ができる人間なのか? なんだか哲学じみてきた。

「でもまあ、恋愛小説を書き続けてくれるなら作家の奇行に乗ってあげるのも編集者の務めだよ。袖野先生は恋愛小説に関しては大作家だからね。たとえ想像でしか書けなくても、売れ筋の恋愛小説という現物が実際に作られるなら、それでいいじゃないか」

「まあ、そうですけど……」

 私はどこか腑に落ちない気持ちで、それでもうなずく。

「そういえば、袖野先生がこないだ出した女性同士の恋愛を描いた小説、読んだよ。あれを想像だけで書けるなんて驚きだね」

「え? 先輩、男の人しか愛せないんじゃ……」

「ゲイでも小説くらいは読めるさ。袖野先生の繊細な文体は想像力を働かせてくれるから僕でも女性の気持ちが痛いほど分かった。恋人同士の喧嘩シーンなんて思わず感情移入してしまったしね」

「……明神先輩っていま、彼氏いらっしゃるんですか?」

 私は恐る恐る訊ねる。

「いるよ。もう三年くらいになるかな。喧嘩したこともあったから、余計に感情移入しちゃってさ」

 そのあとは、明神先輩の彼氏との恋バナをずっと聞いていた。

 男同士でも楽しいことも苦労したことも分かち合っていて、素敵なカップルだな、と思った。

 バレンタインで既にフラれているから、私の心は平静を保って聞いていられる。

 ……私にも、いつか素敵な恋人ができるだろうか?

 そう思った瞬間、私の頭に浮かんだのは、あの闇色の瞳で妖艶な笑みを浮かべる、袖野先生だった。

 いやいやいや。流石に担当している作家はマズイ。そもそも私は同性愛者でもバイセクシャルでもない、はず。

 しかし、実際問題として、袖野先生を思い浮かべたとき、胸がドキドキしたのは確かだった。

「……明神先輩。この際ですから、私の悩みを聞いてくれますか?」

「もちろん。店が閉まるまでなら付き合うよ」

 私は袖野先生に対する自分の気持ちについて、正直に打ち明けた。

「へえ、袖野先生は魔性の女だね。同性でも虜にしてしまう絶世の美女とは、ちょっとお目にかかりたくなってきたな」

 どうやら明神先輩も袖野先生には会ったことがないらしい。本当に出版社に顔出さないんだな、あの人……。

「しかし、作家とその担当編集となると、軽率に『付き合ってみたら?』なんて提案、僕には出来ないな」

「ですよねえ……」

「まあ作家と編集者がうっかり恋に落ちてそのまま結婚してしまうケースもないわけじゃないけど……。もう少し、自分の気持ちと向き合って考えてみたほうがいいかもしれないね」

「そうですね。悩み相談、お付き合いいただいてありがとうございます」

 私はペコリと頭を下げた。

 結局解決には至らなかったけど、自分の中のもやもやを吐き出して、少しスッキリした感はある。

 私達はお互いの担当している作家についての苦労話をしながら、夜も更けていった。


 後日、私は袖野先生のお宅にお邪魔していた。

 たまに様子を見に行かないと、ご飯やお風呂も忘れて小説の執筆に没頭していたりするので、身の回りの世話もしなければいけない。

 ……それにしても、お腹が空いてるのに気づかないほど集中してるってすごいな。

 作家の生活介助も担当編集の仕事内容に含まれているのかははなはだ疑問ではあるのだが、私がいないとマトモな生活も送れないのだからしょうがない。

「そういえば、以前から疑問に思ってたんですけど」

「なんでしょうか」

 私が声をかけると、先生はキーボードを叩きながらこちらに顔を向けずに質問を受け付ける態勢らしい。

「先生は、どうして恋愛が理解できないのに恋愛小説を書き続けているんですか?」

 恋愛が理解できない、というのは、恋愛小説を書く上で大きなハンディキャップではないのだろうか。

 しかし、そんなハンデを抱えながら、彼女は恋愛小説でヒット作を何本も創り上げてきた。

「簡単な話です。恋愛小説を書いてみたらヒットしたからです」

 キーボードを叩く手を止め、和服を着た美女――袖野白雪はこちらを振り返った。

「わたくしはアマチュア小説家だった頃、様々なジャンルに気まぐれに挑戦しておりました。ミステリー、歴史モノ、異世界ファンタジーを書いたこともあります。しかし、どれも鳴かず飛ばずでした」

 先生は何かを思い出すように、なにもない空宙を見つめる。

「ある日、わたくしは恋愛モノをこれまた気まぐれに書いてみました。そうしたら、今までの作品の評価が嘘のように、絶賛の嵐。おそらく、わたくしと相性のいいジャンルだったのでしょう。わたくしはそのまま恋愛小説家としてデビューしてしまった。恋愛がわからないまま、今も恋愛小説を書くことを強制されているのです」

「……恋愛小説書くの、お嫌ですか?」

「いいえ。恋愛がわからないなりに苦労はしますが、読者からの応援や評価はとても嬉しいものです。書いていて嫌な気分になったということもありませんし」

 先生は笑みを浮かべていたが、表面的なもののように感じられた。

「――先生は、別のジャンルを書いたら、また評価が下がるのを恐れたりはしていませんか?」

 私の質問に、先生は図星を突かれたようにわずかに目を見開いた。

「……それは、ええ、まあ。恋愛小説で有名な小説家がいきなりSFを書いても、誰もついていけないでしょう?」

 それはまあ、そうなんだけど。

「私、先生には無理してほしくないです」

「別に無理はしておりませんが」

「他のジャンルも書きたいとか、そういう願望はないんですか?」

「そうですね、今のところはございませんね。書くとしても落書き気分であくまで趣味で書くと思います」

 先生は心配する私を気遣うように眉尻を下げて微笑む。

「美咲さん。美咲さんはまだこの業界に入ったばかりですから納得行かないかもしれませんが、お仕事というのは好きな小説ばかり書けるとは限りませんし、作家それぞれに求められている小説を提供するのが仕事、というものなんですよ」

 グサッと何かが刺さった気分だった。

 私は新米編集者だ。この業界のことはまだあまり詳しくないし、おそらく私より長くこの業界に身を置いている袖野先生の言っていることは正しい。

 でも、……でも、自分の好きなことが出来ずに、読者に求められている作品しか創れないって、辛くはないんだろうか。

『好きなことを仕事にすると辛くなる』というのは、よくある話だけど……。

「美咲さん、わたくしは自分を不幸だと思ったことはございません。恋愛小説を書くのは嫌いではないですし、それでご飯を食べられます。それに、美咲さんがいてくだされば、いつかわたくしも恋愛を理解して、もっとより良い恋愛小説が書けると思うのです」

「先生……」

 泣いちゃダメだ。先生にもっと気を遣わせてしまうから。

 私は無理に笑顔を作って、向かい合った袖野先生の手を両手で包む。

「はい、先生! 二人で最高の小説、作りましょう!」

 それには、まず先生が恋愛を理解できるように、あらゆる手を尽くさねば!

 気合を入れた私に、袖野先生は微笑ましいと言いたげに闇色の目を細めるのであった。


〈続く〉

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