第3話 あなたに捧げる物語
「
私――
かつての編集者と言えば作家の家に上がり込んで原稿が仕上がるのを待ち、原稿を受け取ってそのまま出版社に戻る……みたいなイメージだったが、袖野先生は原稿のデータをそのまま出版社に送信してしまうから、私が袖野先生の家に来る必要はない。ないのだが、なんとなく純和風の雰囲気が居心地よくて、ついつい足を向けてしまう。……本当はすぐに編集部に戻って原稿の内容を確認して編集作業にあたらなければならないのだが、決してサボっているわけではない。作家と担当編集は二人三脚、一蓮托生の関係だ。相手のことはなるべく知っておかなければならない。それゆえの、冒頭の質問である。
「はて……芸能界には疎いものでして。うちにはテレビもないものですから」
「えっ、じゃあニュースとか見ないんですか?」
「一応新聞の朝刊・夕刊を三社分と、あとはネットニュースですね。もちろん、ネットの情報は鵜呑みにするべきではありませんが、なにぶんネットのほうが情報伝達が早いので」
袖野先生……すっかり変人なイメージがついてるけど、やっぱりインテリだなあ……。
でもテレビがないってことは、お笑い番組とか見てないのか……好きな芸人の話とかしたかったから、ちょっと残念。
「美咲さんはいらっしゃるんですか? 好きな芸能人」
意外なことに、袖野先生から質問が飛んできた。
「やっぱりアイドルとかお笑い芸人とか女優とか、芸能界は綺羅びやかで憧れちゃいますね~」
「ふむ……」
私の返答に、先生は顎に手を添えて考え込むような仕草をする。
「……男性アイドルとその女性ファンの秘めやかな恋、とかいいかもしれないですね、次回作」
「うわぁ、そのフレーズ聞いただけでキュンキュンしちゃいます先生!」
私は思わず両手を合わせて先生を拝んでしまう。
「ではまずは資料を集めなければ」
「資料?」
「この場合は……女性向け週刊誌、とかになるのでしょうか?」
「やめてくださいよ! それスキャンダルとかが中心じゃないですか!」
小首をかしげる袖野先生に、私は思わず噛み付くような言い方をしてしまう。
たしかにアイドルとファンの恋愛模様とか載ってたりするけど! パパラッチが撮った路上キス写真とかロマンがない!
「ダメですか? うーん、しかしわたくし、アイドルはとんと詳しくないもので……」
「普通にアイドル雑誌とかでいいじゃないですか。私の貸しますからちょっと読んでみてください」
「あら、ありがとうございます。美咲さんは頼りになる編集者さんですね」
花がほころぶような笑顔を向けられ、思わずドキッとする。
袖野先生の変人ぶりに呆れたりはしたものの、やはり彼女は憧れの小説家なわけで……。
それに、美女に「頼りになる」なんて言われて誇らしくもある。頼りになる編集者さん、かあ……えへへ……。
「あっ、そうだ先生! そのアイドル雑誌を読んでみて好みの男性アイドルを探してみたらいかがですか? 先生とアイドル談義したいですし! アイドルならイケメン揃いだからきっと先生のお眼鏡にかなう男性も見つかりますよ!」
「好みの男性アイドル……? 雑誌からでは見た目しか分からないのに、好きになれるものなのでしょうか……?」
先生の言葉にハッとする気持ちだったが、
「ま、まあ性格はアレだけど顔だけはいいアイドルとかもいますし」
「性格が悪い男性とお付き合いしたいとは、わたくしは思いませんが……」
「アイドルなんてどうせ付き合えないんですから、顔さえ良ければいい! って考え方もあるんですよ」
「それでは今回の小説のコンセプトから外れてしまいます」
そうだった。今書こうとしている小説は『男性アイドルと女性ファンが付き合う話』だ。
「……まあ、わたくしの好みが見つかるかは置いておくとして、男性アイドルを研究して想像を膨らませる作業は大事です。美咲さんの雑誌、お借りします」
「はい!」
私はその日の夜に家中のアイドル雑誌をかき集め、翌日その大量の雑誌を袖野先生のおうちに運び込んだ。
流石にこんなにたくさん雑誌を持ってきたら迷惑だったかな? と思ったが、先生にとっては資料は多ければ多いほどいいらしく、闇色の目を輝かせていた。さながら夜空に星がまたたくような瞳だった。
「まあ! ありがとうございます美咲さん! これだけ資料があれば想像力も無限大というものです!」
「先生のお役に立てるなら……えへへ……」
袖野白雪先生はちょっと変わった女の人だけど、やっぱり私の憧れの作家さんなのだ。
そんな尊敬している人にちょっとでもお力添えできるなら、とても嬉しい。
「ちなみに私はこの人が好みですね。アイドルだけどドラマの演技も上手くて!」
「ほう、この方ですか。どんなところに魅力を感じますか?」
「それはですね……」
二人でアイドル雑誌をパラパラめくり、私が男性アイドルの写真を指差すと、先生は私に質問しながらスマホにタッチペンでメモを書き込んでいく。彼女流の『取材』だ。
「はぁ~っ、一度でいいからこんな王子様みたいな人にお姫様抱っことかされてみたいなあ……」
「お姫様抱っこ?」」
隣り合って雑誌を読んでいた袖野先生が、私の顔を覗き込む。
……なんか、夢中になってるうちに距離が近くなっちゃったな。
男性アイドルの写真にドキドキしているのか、袖野先生との距離にドキドキしているのか、私には区別がつかなくなっていた。
「あ、あはは……お姫様抱っこなんて、ちょっと少女趣味すぎましたね……私、結構体重あるし……」
照れ隠しで、私は自分の言葉を打ち消す。
「わたくしが力持ちだったらしてあげられるのですが、残念ですね」
「へっ!?」
先生は真顔であった。
「も、もう、からかわないでくださいよ先生」
美女にお姫様抱っこされてる平凡な女なんて、図がシュール過ぎる。
「性転換したら筋肉もつくかしら」
「やめてくださいやめてください! 今のは冗談ですから!」
せっかくの美人が男になってしまうなんてもったいなさすぎる。いや、先生なら男になっても美貌を保つのだろうが。
二人でキャイキャイとアイドル雑誌をめくっているうちに日も暮れてきたので、私は雑誌の山を袖野先生に託し、編集部に戻ることにした。
次回作のコンセプトも決まったことだし、表紙デザインについても早めに考えてイラストレーターやデザイナーに発注しなければいけない。袖野先生は速筆で多産多作であることでも有名だ。先生の書き上げた作品を、少しでも早く本の形にして読者に届けたい。自分がそういう橋渡し役をできるのも誇らしかった。
一週間後。
「先生……一週間で書き上げるって流石に早すぎませんか……?」
「寝ても覚めても物語の続きが頭に浮かんでしまうので、夜中でも忘れないうちに書いていたらいつの間にか完成しているのですよね」
「お身体を大事になさってください」
作家の健康管理も担当編集の務めだな、と思いながら、私は原稿が映されたパソコンの画面をチェックする。
一ページ目に『大切なパートナー、M.Hに捧ぐ』と打ち込まれていて、「?」と頭に疑問符が浮かぶ。
「先生、このM.Hって誰ですか?」
「あなたですよ、花園美咲さん」
「え?」
「これは、あなたに捧げた物語です」
私に捧げた物語……!?
思わぬ発言に、心臓がドクドクと波打つ。
「ほら、男性アイドルと女性ファンの恋愛というネタをくださったの、美咲さんですし」
「あ、ああ……そういう……」
私は必死に心臓の鼓動を抑えようとする。やめろ、ドキドキするな。先生はそういうつもりで私に物語を捧げるなんて言ったわけじゃないんだ。
しかし、心臓の鼓動なんて自分の意志で止められるものじゃない。
「と、とりあえず中身拝見させていただきますね」
「どうぞ」
私は、文章を読みながら画面をスクロールしていく。
男性アイドルの追っかけをしている平凡な女性ファンが、全国ライブを制覇したりイベントに頻繁に参加することで徐々にアイドルに顔を覚えられていき、やがてアイドルにとって彼女のファンレターは心の支えになり気になる存在になっていく。二人は人目を避けて逢引をするようになり、前途多難な恋をしながら紆余曲折を経て、やがて結ばれる。うーん、夢がある。
特に、アイドルが電撃結婚を発表して新聞の一面に花嫁をお姫様抱っこしている写真が掲載されてハッピーエンド、なんて素敵なエピソードだ。
……ん? お姫様抱っこ?
「あの、私がお姫様抱っこされたいって願望も盛り込んでくれたんですか……?」
「申しましたでしょう? これは、あなたに捧げた物語です」
先生はそう繰り返して、マウスの上に乗せられた私の手をそっと撫でた。
――袖野先生は、お姫様抱っこされたいという私の夢を、小説の中で叶えてくれたのだ。
なんだか、嬉しさでふわふわした気分だった。
私だけのための、私だけに捧げられた物語。
「こ、公私混同ですよ、こんなの……」
自分の気持ちに反して、口からは文句が出てくる。
「あら、『〇〇に捧ぐ』なんて書く作家さん、わりとザラにいらっしゃいますけど」
「そうですけど……!」
多分いま私、顔が真っ赤だ。熱い。
「そ、それより先生、今回こそは恋愛についての理解、深まりましたか!?」
私は必死に取り繕う。
「それなんですよね……」
袖野先生は頬に手を当て、ふうとため息をつく。
「美咲さんになりきって男性アイドルと恋愛したらどうなるか、頭の中でシミュレートしながら書いてみたのですが、『多分こうしたら美咲さんは喜ぶ』という行動を男性アイドルに取らせても、いまいちわたくしには恋愛の実感がわかないのです」
「そうですか……」
私になりきって、というのがまた心の中を見透かされているようで恥ずかしい。
「ひとまずこの原稿のデータを出版社に送信させていただきましたので、のちほどご確認ください。チェックはしたのでおそらく誤字脱字はないとは思いますが」
「了解です。今回も素敵なお話をありがとうございました。お話の内容に見合う極上の装丁を発注します!」
「まあ、楽しみ」
先生はニコリと微笑んだ。
うーん、今回も先生に恋愛を理解してもらえなかったけれど、私のための物語……私のための物語かあ……。
私はニヤニヤしてしまいそうになるのをなんとかこらえていた。
袖野白雪先生の担当編集になれて、本当に良かった。
後日、本屋さんに平積みにされている袖野先生の新作小説を手にとってニヤニヤしている女がいたら、それはきっと私である。
〈続く〉
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