第19話 彼と彼女の点と線

 比留芽市警察署には──というより狛犬が拠点を置いている警察署には、狛犬専用の設備が何かしら常設されている。

 比留芽市にもいくつか存在するが、特に大きなものが地下六階の特別訓練場だ。非常時にはシェルターとしても機能するほど頑丈に造られているため、狛犬同士が全力で暴れてもビクともしない。

 ……ハズだったのだが、若者の成長とは常に大人の想定を一歩も二歩も上回るらしい。


「うおおおぉぉぉぉっ!!」


 空中を加速しながら降下する忍は、固く握った右拳に気迫を込めてゼノビアへ打ち下ろした。

 受け止めるのは無理と判断したゼノビアは、即座に飛び退いて間合いを離す。サッカーコート程もある訓練場の中心から端まで瞬時に移動する、驚異的な脚力を見せた。

 拳が寸前までゼノビアのいた床を砕き、鉄板で何重にも補強された地面まで捲り上げる。

 衝撃はそこで留まらず、地面を粉砕しながら一直線にゼノビアへ襲い掛かった。


「馬鹿力めっ!!」


 手にした刀に白光を宿したゼノビアは、右下から左上、左上から右上へと連続で瞬時に振り抜いた。X字に巻き起こった空間の断層が真空波を生み出し、忍の衝撃波と真っ向から衝突する。

 ぶつかり合った破壊力の塊が、さらに爆発染みた衝撃となって訓練場を暴れ狂う。天井まで陥没させ、警察署一帯に局地的な地震を引き起こす。

 その間にも忍とゼノビアはほぼ同じタイミングで地面を蹴り、自らが放った衝撃波同士の衝突から一瞬遅れて拳と刀を激しく打ち合わせた。


「おおおおおおおおーっ!!」

「はぁぁぁぁーっ!!」


 二合、三合と拳と刀の押収は幾重にもなり、衝突の度に床や壁が余波でひび割れていった。

 ゼノビアの刀が纏う純白の輝きが強まっていき、応えるように忍の拳も翡翠色の炎のようなオーラが噴き出す。

 その時だった。


「え、なにこれ?」


 自分の拳を見つめる忍から、闘志が不意に消し飛んだ。気が抜けるような驚愕の言葉がその口を突く。

 当然ながら激しく殴り合ってる途中で気が散ってしまえば踏ん張りも弱まり、勢いも消える。

 退魔真剣の白刃を脳天に受けた忍は、そのまま訓練場の対面の壁までぶっ飛ばされ、鉄板を突き破ってしまった。


「お、お馬鹿ァーッ!! いきなり手を抜く奴があるかァーッ!?」


 大した手応えもなくぶっ飛ばしてしまった忍を叱咤しながら、ゼノビアは大慌てで彼の元まで駆け寄った。

 ゼノビアが近づくと、壁から足だけを突きだした忍はピクリとも動かない。

 取り敢えず足を掴んで引っ張り出したが、白眼を剥いた忍の脳天──額から頭頂部に掛けてザックリ割れ、黒っぽい血が顔中を染めていた。

 あまりの惨状に顔面蒼白となるゼノビアだったが、応急手当に入る間もなく血の勢いが急速に弱まり、巨大な瘡蓋かさぶたとなって傷口を塞いでしまった。


「ぷはーっ! あ~、ビックリした」


 目を丸くしているゼノビアの前で、忍は何事もなく上体を起こした。額を一撫でし、瘡蓋に気付くと触るのを止める。


「び、ビックリした……じゃないぞバカタレ!!」


 無事だったことに対する安堵を覚えたゼノビアだが、代わりに腹の底から怒りが噴き出し、気付けば忍を怒鳴り付けていた。


「訓練中に気を逸らすとは何事だ!? いいか? 狛犬の死因として、こういった訓練中の事故だって笑えないぐらい起きてるんだぞ!?」

「す、すまん……」


 さすがの忍も己の非を感じたのか、ゼノビアの剣幕を前に素直に謝罪した。

 小さく頭を下げる忍に、ゼノビアも肩を竦めた矛を収める。内心ではものの、そこは言わぬが花というものだ。


「で、一体どうしたというんだ?」

「ん……ああ、ちょっと待って」


 忍が視線を自分の右手に落とした。何度か閉じたり開いたりを繰り返してから、拳を作って力を込める。

 再び噴き出す翡翠色の炎のような光に、忍は困惑したような渋い顔になる。


「うっわ、なんだこれ?」

「なんだこれって……あのデカブツにトドメ刺した時も燃えてたぞ? 自覚なかったのか」

「マジでか!?」


 驚いた忍が拳を開くと、翡翠色の炎も消え去った。もう一度力を込めると炎が燃え盛る。

 何回か炎を出したり消したりを繰り返した忍は、燃える拳で壁を叩いた。ゴンと一発、鈍い打撃音が小さく響くが、ひび割れたりも凹んだりもしない。


「別に破壊力が増すわけじゃねえか。……じゃあなんだ、これ?」

「さあ?」

「……おっし、困ったときは専門家だ。悪い、ゼノビア。誘っといてなんだけど、今日のデートはここまでで。また付き合ってくれよな」

「えっ!? あ、ああ、うん……」


 忍は会釈すると一方的に話を終え、フラフラと危なっかしい足取りで立ち去ってしまった。

 残されたゼノビアは、どんよりと曇った表情で重苦しく溜め息を吐く。

 デート──一般的には男女の逢い引きの事だが、狛犬の間で交わされるそれは戦闘訓練を差す隠語なのであった。

 充分に理解していたつもりだが、忍から誘われた時にはうっかろ前者の意味で捉えてしまった。思い出しても恥ずかしく、顔が熱くなる。


(し、仕方ないじゃないか。西城さんみたいなイケメン……いや、今はあっちこっちデカイ美人だけど、そうでなくって!! あんな人からそんなこと言われたら……うううっ)


 自分で自分に言い訳をしていると、何か重たいものが落下したような音がして意識が現実に引き戻された。

 重い、と言っても天井の健在などではなくて、もう少しコンパクトな、例えば人間のような──。


「あ」


 視線を上げた先には、歩いてる途中でそのままぶっ倒れたらしい忍が、うつ伏せで寝転んでいた。




「収穫なし、ですかぁ……お手上げですね~、これは」


 リクライニングチェアをいっぱいに倒して、マリルは気だるそうに大きな欠伸をする。グレイの瞳が物憂げに翳った。

 持ち得るコネをフルに使い、方々に依頼した調査結果が全て出揃って、自室のPCに届いたメールをようやく確認し終えたところだ。

 結果は全滅。『楽園の女神』に関してもそうだが、人体の性別がある日突然コロッと変わるような事例についての情報も出なかった。


「む~ん。私的には西城くんを信用したいところですが、全部が彼の妄想という可能性も出てきましたね~。……まあ、事はそう簡単には済まないのですが」


 すっかり冷めた濃い目のブラックコーヒーを一口すすり、マリルはもののついでで集めた忍の身元調査ファイルを開いた。


(確かに『西城忍』という狛犬の存在は確認できましたし、写真で見る限り性別以外の身体的特徴は一致しているように思えます)


 人格面でも彼の身近な人間は軒並み本人と認識しており、また愛南による精密検査の結果によれば肉体的には以前の健康診断のデータと染色体以外が完全一致している、とのことだ。


(本人の自己申告、親しい人間の証言、医療機関からのデータ……主観的にも客観的にも本人と認められる要素は充分です。しかし西という、根本的な問題が残ったままになってしまう)


 我ながら疑心暗鬼だと、自嘲的な笑みを口許に浮かべる。基本的に大雑把な気性の者が多い狛犬にあって珍しいマリルの性分だが、それ故に特級戦闘員の資格を取得できたとも言える。

 二級より上の戦闘員同士には、もう戦力としての絶対的格差が存在しない。むしろ一級以上に求められるのは現場での判断力や指揮能力なのである。戦闘技術だけでなく、一般的な公務員試験資格と同じ技能が求められる理由がそこにあった。

 よって特級以上の狛犬には必要に応じて戦力の現地調達や独自判断における戦隊の組織などが認められている。本来なら活動地域の異なるゼノビアを特に手続きなく連れて来られた理由がそれだ。


(ゼノビアには地元狛犬の手伝いをするよう伝えていますから、私から何か言うまでもなく西城くんにベッタリでしょう。彼に興味津々な様子でしたし。もしかすると、もう連絡先ぐらい聞いているかもしれませんしね)


 幸い、危惧していた不貞狛犬の市内流入はまだ目立っていない。むしろ正規の手順をちゃんと踏んでくれる真面目なハンターばかりだ。

 そういった者に声を掛けて回っており、連携を密にすることで、現状でも市内におけるマリルの保有戦力は20人にも及んでいる。

 ゼノビア以外の内訳は五級が13人、四級が5人、三級が1人だ。通常配備の軍隊しか持たない小国であれば、充分殲滅できる戦力であった。


(西城くんをここに入れて良いかの判断はゼノビアに任せましょう。もしかすると彼自身、自分の現状が分かっていない危険性もありますし)


 そして、今後はマリルも天使の討伐をメインに置きつつ、行動パターンから本体の位置を割り出していく方針を決めたところで、遠慮のないノックの音が飛び込み、返事する間もなく扉が開いた。


「マリル、夕ご飯だけど焼き鮭と麻婆茄子ならどっちが──なんで裸なんだ?」


 入ってきた歩は、マリルの格好を無表情のままに見咎めた。


「裸ではありません。ちゃんとパンツ穿いてます」

「それを『ちゃんと』とは呼ばない。むしろパンツ『しか』穿いてないだろうが」

「は、穿いてるだけいいじゃないですか! 自分の部屋でぐらい好きな格好させてください!」

「いや、あんた外でも下半身ほぼ丸出しだろ」


 子供のように拗ねるマリルに、歩は表情を変えないまま肩を竦めた。

 空調を点けず、窓も全開な部屋の温度は冷えきっている。床暖房も意味を成していない。だが、大雪の日に酔っ払って外で寝てても風邪一つ引かないマリルには、むしろ開放的で心地よい環境なのであった。

 自宅の立地が高層マンションのペントハウスなので周囲の視線も気にする必要がなく、ついつい裸族になってしまうマリルであったが、歩からはみっともないから止めるよう、度々注意を喰らっている。

 そんな彼女の性癖を今回初めて知ったホームステイ中のゼノビアは、


『……だろうと思ってた』


 と、どこか遠くを見ながらも納得しており、さすがの歩もいたたまれなさから思わず謝ってしまったぐらいだ。


「……ん?」


 その時だ。歩の視線がPCのモニターに止まる。

 普段の歩なら気を遣って仕事中のモニターを見ないようにしてくれるところだ。その様子が引っ掛かり、マリルも画面へ向き直った。


「知ってる人ですか?」


 画面に映っていた何枚かの忍の写真を差して尋ねると、歩は大きく頷いた。


「弥恵の兄貴だ」

「なんですと!?」

「あ、間違えた。彼氏だ」

「いや、その二つだと大きく違うんですけど……結局どっちなんです、それ?」

「えっと……」


 珍しく言い淀んだ歩は、言葉を選ぶというよりも、話して良いのか考えているようだった。

 それを察したマリルも、他人のプライバシーに関わるようなら聞くのはよそうと考え、歩の話を止めようとする。


「兄貴だけど彼氏だ」


 が、日頃から即断即決を旨とする歩は、マリルが止めるよりも早く「まあマリルであれば良いか」と結論付けたのだった。思考時間、わずか二秒である。


「はあ、そうですか……って、えええっ!?」


 そのくせ、飛んできた回答の予想外の重さには、さすがのマリルも狼狽する他なかった。


「ちょ……っと、待ってください! つまり弥恵さんってその……ご自身のお兄さんと、えっと……」

「母親が違うらしいけど、マリルが思ってる通りの関係。けど、マリルだって私のお母さんと付き合ってるんだから、同類。だからマリルには話したし、私もあの子を応援してる」

「……それもそうですね!」


 強い視線で断言した歩に対し、父親役を務める身として感動を覚えつつ、マリルは忍の調査結果について改めて目を通していった。


(……なるほど。今の『西城』の姓は狛犬になったときに取得した新たな戸籍ですか。元の姓は確かに『穂村』……弥恵さんと同じですね。法的には『西城忍』が『穂村弥恵』と結婚するのに障害はありませんが……クールに見えて大胆ですねぇ、弥恵さん)


 見知った少女の新たな一面を垣間見たマリルは、感心したように溜め息を吐いた。と同時に、ゼノビアに対して内心で合掌するのであった。


「それで、マリルがどうしてその人の写真を?」

「それがですね~──」


 マリルは事の運びを細々と説明した。

 歩は忍が狛犬だったことは知っていたが、モール火災で自分を助けたのが彼だったことには驚いていた。彼女にしては非常に珍しいことに、両目を見開いて表情がハッキリ変わる。


「あの時は信じられないようなパイオツに顔面圧迫されて、火傷とかよりそっちで死ぬかと思った。あれが忍さんだったなんて……」

「まあ、普通は考えませんよね。知り合いの筋肉系男子がグラマラスな美女に変貌しただなんて。恐ろしいことに、顔とか骨格が多少変わってるだけらしいんですよ」

「確かに綺麗な顔してたけど、だからって……」


 自分の胸をペタペタ触りながら、歩はどんよりと重たい空気を醸し出す。あのWWなバストの感触を思い出しているらしい。


「だ、大丈夫ですよ! 胸なんて女性の魅力の一要素に過ぎません! むしろアユはもう、美しさの観点で言ったら一つの完成形なのではないでしょうか!」

「完成……そうか。私の胸はもう育たないのか……」

「余計に落ち込まないでくださいっ!!」


 その後、気落ちした歩が作った麻婆茄子は異常なまでの辛口だったらしい。

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