第17話 その名はザナドゥ
「終わった、のか……!?」
地面に伏せていた指揮官以下武装警官隊は、周囲の様子に色を失った。
静けさを取り戻した住宅街で、工場を中心に不発弾でも爆発したような大穴が空いている。衝撃か、または飛散した瓦礫によって隣接する家屋の壁が崩れ落ち、今にも倒壊しそうな有り様だ。
その爆心地と思わしき辺りでは、大女が小柄な少女に光る竹刀でしばかれている。
「何が起きたんだ、いったい……っ」
「ほんと、うちの西城がすみません……」
いつの間にか、至近距離に並び立っていたジャージに白衣の女に、指揮官はおののき仰け反った。声を上げないのはさすがだが、部下一同にもどよめきが広がっていく。
「あの、あなたは!?」
「
愛南が差し出したのは、パスポートに似た狛犬の顔写真つきの証明書だ。一ページ目に書かれたQRコードを、指揮官が職務用のスマホに搭載された専用アプリで読み取ると、画面に「本物ダヨ」と馬鹿にしたような文字が浮かぶ。
「し、失礼ですが、お若いですね」
「これでも古株なんですよ、実は。戦闘員ほどではありませんが、殉職率の高い部署ですので。だから、警察のみなさんにはいつも助けられてます」
そう言って、愛南は自分の額にチョップするような勢いの敬礼を返した。
赤いセルフレームの眼鏡がどうにも野暮だが、素の顔立ちと人懐っこそうな笑顔は実年齢よりかなり幼く、可愛らしい。
顔がニヤけそうなのを感じた指揮官は、わざとらしく咳払いをして顔を背けた。
「ボチボチ狛犬のトレーラーが到着しますが、作業が終わるまで周辺の閉鎖をもうしばらくお願いしますね」
「作業、といいますと?」
「修繕とか、調査とか色々ですね。話せないこともありますが、そこはよしなに」
最後にペコリと頭を下げ、愛南は忍とゼノビアの元へ駆けていった。その背中と、さっきの二人の暴れっぷりを思い返していると、別部署の同期から聞かされた言葉が口を思い出す。
「話の通じる
「ええい、もう勘弁ならん! そこに直れぃ!!」
「いつの時代の人間だ、あんた!」
光輝く竹刀を振り回すゼノビアから、必死に逃げる忍である。下手をすれば、あの物騒なヤツとの戦いよりも真剣に逃げている。
「私の嫌いなものを教えてやろうか! 周囲の被害も考えずに暴れる同業者が、この世で三番目に嫌いだ!!」
「じゃあ一番と二番に免じて許してくれ!!」
「アホかァーッ!!」
一喝し、ゼノビアが容赦なく竹刀を振り下ろす。空を裂く音とともに、防御した忍の腕から巨大な金属同士が衝突したような轟音が鳴り響いた。
あまりにも硬い骨の手応えに、ゼノビアの腕が微かに痺れた。
「……サイボーグか、アンタは?」
「失敬な。おー、痛ぇ」
「おおーい、しのぶくーんっ!」
大きく手を振りながら駆け寄ってくる愛南に気付き、忍とともにゼノビアも竹刀を消して振り返った。
「今日も派手に暴れたねぇ」
「おう。こいつがいなかったら危なかったかも知れねえ」
「こいつ?」
忍が親指で差したゼノビアが、半歩前に出ておしゃまに
「あら、カルディナレさん。先日はお構いもしませんで」
「いいえ。こちらも管轄外の地域で差し出がましい真似をしました」
「とんでもありませんよ~。そいつ一人だったら今頃この辺り一帯が更地にされてますよ」
「俺は怪獣か、おい?」
などと話している間に、敷地内へ大型のトレーラーが乗り入れてくる。装飾もなく、塗装もされてない大変地味な車両から、左官屋とか害虫駆除業者のような格好をした狛犬の修繕班職員がゾロゾロと降りてくる。
まず防護服を着こんだ職員が、背中のタンクから繋がった長いノズルの先端から、地面や民家の損傷箇所へ赤黒い何かを吹き付けていく。
吹き付けられた何かはモコモコと膨れ上がり、やがて積乱雲のように損害箇所を覆い尽くした。
その後、軽装の職員がモコモコをコテを使って広げていく。
「いつ見ても面白ぇよな、あれ。どうなってんだっけ?」
「構造物の情報を読み取って、ナノマシンが元の形を再現するんだよ。その上から手作業で修復していくのが彼らの仕事、ってね」
「聞いてもよう分からねえな、おい」
コテで丁寧に均らしていくにつれ、無残に崩れていた壁が新品同様に造り直されていく。もっとも複雑な機械などの修復は出来ないので、内装に関しては後日保険金が支払われることとなる。
地面も同じように均されていくが、それが工場の外壁にも及ぼうとしたところで、忍が待ったを掛けた。
「あ! ちょっとストーップ!」
「はい、何で──うげっ!?」
近づいてきた忍に、作業していた修繕班達の表情が凍りつく。
暴力的なまでにグラマラスな肢体には、拘束具のような金属製の下着だけが残されているだけ。それも所々が焼け焦げて、土埃を被って薄汚れていた。
おまけに本人も土汚れと髪の毛の焼け焦げが目立ち、これを眼福と捉えるには無理があった。まるでどこぞの紛争地域の難民だ。
そのくせ本人がケロッとしているので、修繕班員達も反応に困っている。
忍は、そんな彼らの困惑も構わず用件を伝えた。
「直す前にもう一回中を確認してぇんすけど、いっすか?」
「か、構いませんけど、これ以上崩れたら修復できなくなりますから注意してくださいね」
「分かっとります。愛南ー! ……と、もう一人調査員の人、誰か来てもらえますー?」
忍に呼ばれて、愛南と若い男性調査員、ついでにゼノビアが駆け足でやって来た。
「どしたのさ?」
「おう。上で例の方陣が起動したの見たんだ。案内すっから調べてみてくれ」
「なんですと!」
驚く愛南と男性調査員、ついでに事情を知らずに首を突っ込んできたゼノビアを連れ、忍は再び工場の奥へ入る道すがら、あの物騒なヤツが現れた時のことの話し始めた。
時間にして数十分前の出来事である。
謎の男達が工場の奥へと後退しながら、消音器付きの拳銃を撃ちまくる。忍はそれを、悠々と歩いて追い詰めていた。
相手の弾丸は当たると痛いが、忍にとってはその程度に過ぎない。目や間接の隙間などに当たらぬようにだけ注意しながら、逃げるのが遅れた黒服の一人に跳び掛かった。
「ぜりゃっ!!」
気合いを込め、手刀で右肩から左脇腹までを袈裟掛けに切り裂く。そんじょそこらの刃物よりよほど鋭く、男の体を容易く両断した。
帰り血でドレスを汚さないよう気を遣う余裕もあるぐらいだったが、それがむしろ忍の中で形のない疑念となっていく。
「やっぱ変だな……」
黒服、そして表で襲ってきた黒マントを合わせて七人目を始末したのだが、どうにも手応えに妙なものを覚える。人間にしては硬すぎる。
(そもそも、天使いるっつーから来たのにこいつらがいて……けど血も赤いしな~。それに、天使だとしたら逆に脆すぎるし)
相手の正体も目的も不明なまま、忍は奥へと踏み込んでいった。こいつらが自分を奥へ誘導しているとは理解できたが、その理由までは分からない。
これの正体は専門家に任せるからいいとして、問題はこのまま誘いに乗っていいのかということだ。
(これも天使が糸引いてんのか? いや、むしろ天使を操ってる本体が──)
わずかな情報を繋ぎ合わせようと試みる忍だが、そうはさせんとばかりに黒服の銃弾がチクチクと刺さる。
「……止めた! 考えんのは後で愛南にでも任せた」
落ち着かない状況で自分が考えても、しょうもない発想しか出てこない。むしろ思考したり推理したりは己の分野ではないと割りきって、直感に従い工場の最奥へ突貫した。
(こいつらは、俺を奥へと誘ってる。つーことは、奥には何かしら待ち受けてるってことだろうが。それが何かは……この際後回しだ!!)
残りの黒服を殴り倒しながら進撃を続け、忍が辿り着いたのは、三階にあったもう一つの作業場だった。
こちらはより精密かつ小さな部品を取り扱っていたようだ。錆び付いた金属加工用のドリルや鉄板整形用のカッターが、シートにすら包まれずに放置されている。
それらの中心に、その少女は独りしゃがみこんでいた。
「ふんふふーん、ふんふふんふふーん♪」
鼻唄を口ずさみ、人差し指で黒いインクのようなものを塗りつけて床に例の方陣を刻む少女。そこへ、忍は掴んでいた黒服の一人を投げつける。
男の体は女にぶつかる寸前で見えない壁に阻まれ、高圧電流でも流されたように一瞬にして黒こげにされる。床に転がったそれは、何だか分からない黒い塊になっていた。
「んん~?」
方陣を描く手を休めずに、少女が首を反らして背後を仰ぎ見た。上下逆さまになった水銀色の瞳が、ギョロリと動いて忍を映し出す。
生気をまるで感じさせない漆喰で塗ったような白い肌に、血で塗られたような赤い唇から鋭い二本の犬歯が覗く、十代半ばの少女である。クリクリと丸い眼をした愛嬌のある顔立ちとは裏腹、その瞳には一切の光が差していない。
「君がそうか。遅かったじゃん」
鼻に掛かる甘ったるい声は、外見よりもさらに幼い雰囲気だ。
「君だったら、突入からここまで三分で到着すると思ったんだけど。ずい分スローペースだったね」
ニヘラ、と表情を崩した少女が、姿勢を戻して方陣を描く作業に集中する。
そこへ大股で近付き、忍は右足で大振りに蹴り抜いた。しかしブーツの爪先が少女の背中を穿つことはなく、見えない壁に阻まれて甲高い音を立てる。
構わず何度も蹴りつけるが、見えない壁はビクともしない。焦げたゴムの臭いが鼻を突く。ブーツの先端が電熱で溶けていた。
障壁は彼女と一緒に方陣もすっぽり覆っているようだ。広さはマンホールの蓋の二倍ぐらいだろうか。
「もう少し待ってておくれよ。君の相手は彼がしてくれる」
少女の左手が、見えない壁の内側をコンコンと二回叩く。
と同時に、作業場にけたたましいエンジン音が響き渡った。
放置された機械を蹴散らし、屋上にいたシャッポの男がチェーンソーを振り回しながら突っ込んできたのだ。
「ィエェェェェェェアァァァァァッ!!」
咆哮する男は完全に正気を失した様子で、口の端から泡を撒き散らしながら忍へ一直線に向かって来る。
躊躇なく振り下ろされる電動の刃。獰猛な唸り声を上げる凶器を、忍は平然と掴んで取り上げた。
「ェアッ!?」
必殺のつもりがスカされてしまった男の間抜け面を逆の手で鷲掴みにし、そのまま障壁に叩き付けた。さっきの男と同じく感電して瞬時に炭化して転がった。
「おいコラ、何が『相手は彼がしてくれる』だよ。終わっちまったぞ、おい!」
忍が性懲りもなく障壁に蹴りぶっこむも、少女は「まあまあ」と片手間に宥めながら、お絵描きに夢中だ。
その指が、不意に止まった。
「で~きた。お待たせぇ~」
指先を完成した方陣から離す。と同時に、墨のようなもので描かれた図が不気味な赤黒い光を放ちだす。
さらに転がっていた二つの黒こげ死体が、磁石で引っ張られたように障壁の表面に吸い付いた。
「っ!?」
濁った血のような輝きに、本能的な脅威を感じた忍は、無意識に後ろへ跳んで距離を開ける。
その直後、障壁にくっついた死体がどろりと溶けだし、弾けたように周囲へ飛び散った。
コールタールのような艶のある黒い粘液は、周囲の錆びた機械に付着すると、障壁の方へズルズルと手繰り寄せていく。他にも床や壁の建材、窓や電灯も破壊しながら、触れるもの全てをズルズルと引きずり込む。
飛び退くのがわずかにでも遅ければ、黒いネバネバが忍の服にも掛かるところだった。
「ちっ!!」
忍はすぐさま駆け出し、勢いを乗せて障壁を蹴り破りに出た。今度のは、それなりに本気の一蹴りだ。
だが、黒いネバネバは金属加工台に放置されていた鉄板使い、忍の攻撃を防いでみせる。鉄板の硬度とネバネバの弾力による二重構造が、蹴りの勢いを完全に殺していた。
「なにっ!?」
ネバネバは、なおも鉄板を盾のように構えて忍の攻撃に備える一方、障壁全体に広がっていく。その周囲に、引き寄せた機械が次々と積み上がっていく。
さらに、床に亀裂が走って隙間からびちゃびちゃと湿った音を立て、滲み出るように何かが這い出した。
「おいおい……」
さすがの忍も、這い出した物がなにか分かると、思わず口許を押さえてしまった。
それは下にいた黒服連中が半分溶けたものだった。道中忍が始末した奴らが、引きずられるようにネバネバへ飛び込み、同化していく。
「よっと」
障壁がドロドロに完全に覆いつくされる寸前で、少女が立ち上がり、忍へと振り返った。
立った姿は枯れ枝のように細く、触れるどころか風が吹いてもへし折れそうなほど華奢だ。その体が、さほど高くない天井付近まで浮かび上がった。
少女は右手の中指で自分を指し示し、鋭い犬歯がよく見えるようニンマリと嗤った。
「私は楽園の女神が一柱、ザナドゥだよ。覚えておいて」
それだけ言い残し、少女──ザナドゥの姿は急速に薄れ、やがて霧散するように消えていった。
残されたのは、機械を内に取り込み、圧力を掛けて変形させていくネバネバと、ザナドゥに投げつけようとした瓦礫をしかめっ面で握りつぶす忍だけだった。
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