【更新停止】あくたれ

Atori_elegy

第1話 男は星になった

 男は困惑していた。

 仕事の帰り、夕飯の惣菜でも買おうと訪れたショッピングモールで、突然の閃光と爆炎に呑み込まれたところまではハッキリと覚えている。


 それが今や、地平線まで続く黒い大地に一人で突っ立っていた。


「え、なにこれ!?」


 泡を食った声は、どこまでも遠く響いていく。

 さっきまで周囲に溢れていたはずの喧騒も無く、建物も人も見当たらない。世界の全てが消え去って、風の音すらしないのだ。

 ふと見上げた空には、都会では見られないような満点の星が輝いている。


「ここは現世と冥府の狭間です、神峰神峰しのぶさん」


 突然、凪いでいた空間に微かな風が巻き起こり、背後から鈴が鳴るような声がした。

 男が振り向くと、上空から一筋の光が黒い大地に差している。その光の中を通って、銀の髪に金の瞳をした女が静かに降り立った。

 寒気を覚えるほどの美貌の持ち主で、豊満な肢体を一条の白い布で覆っただけという扇情的な出で立ちであった。

 女は男に微笑むが、男が返したのは眉間に深いシワを刻んだ、凄味のある睨みである。


「……そりゃどちら様だ、おい?」


 極めてぶっきら棒に、男が尋ねた。


「私はエデン。人の運命を紡ぐ女神──」

「誰もてめえのことなんざ訊いてねえよ。俺は西城さいじょう忍だ。穂村なんつー男は知らねえ。間違えんな」


 その返答がよほど意外だったのか、女神エデンを名乗った女の表情が微笑のままに凍りつく。具体的には、口が笑っているのに目付きが真顔になった。

 だがすぐに気を取り直したのか、エデンは厳格だが暖かみのある口調で話を続けた。


「それはあなたの本当の名前ではありませんね。あなたの本当の名前は穂村忍。父・穂村慎三しんぞうと母・アイリスとの間に──」

「親の名前なんざいちいち覚えてねーっつうの。つうか、なんなのあんた? 人前だってのになに、そのカッコウ。イカれてんのか、おい?」


 目に角を立ててズケズケと物を言う忍に、エデンの表情が今度こそ消えた。


「……ちっ」


 絶句したまま棒立ちとなった自称女神に対し、忍は真面目に相手をするのも馬鹿馬鹿しくなり、さっさとこの場から立ち去ることにした。

 それを、だいぶ冷たくなった声色でエデンが呼び止めた。


「どこへ行こうというのです?」

「帰るんだよ」

「どこへ帰るというのです。あなたはすでに死んでしまい、魂だけとなってここへと昇って来たのですよ」

「マジにイカれてんのか、おい。こちとらピンピンしてるし、足だってこの通り生えてるぜ」


 ところで駅かバスの乗り場ってどっち? と続けた忍に、エデンは心底うんざりしたように大きな溜め息を吐くと、彼に向かって右手をかざした。すると二人の間に、ビーチボールぐらいはある光の珠が出現した。

 さすがに忍もほんの少し驚いたが、それがどうしたとばかりにエデンを睨む。


「玉の中を覗きなさい」

「やだよ、気持ち悪い」

「……覗いていただけますか?」

「チッ。しょうがねえなぁ、どれどれ」


 忍が渋々と光の玉に目を凝らすと、彼にとって馴染みのある光景が浮かび上がってきた。

 それは自宅から近いショッピングモールの立体画像だった。日用品から食料までだいたいなんでも揃うので、買い物はいつもここで済ませている。

 だが、今やモールの半円形の天井には巨大な穴が穿たれ、そこかしこから火の手が上がっていた。

 静止画なのか炎や煙が揺らめいていないのだが、その迫力と威圧さはとてもホログラムには見えない。忍は我知らず唾を飲み込んでいた。


「本日、午後6時44分。比留芽ひるめ市紅葉が丘ショッピングモールに電気系統のトラブルから爆発事故が発生。モールにいた361人が巻き込まれる惨事が起こりました。あなたはそれに巻き込まれて亡くなったのです」

「爆発……あ、あぁ……?」


 エデンの言葉に強烈な目眩を覚えながら、忍は唐突に思い出した。

 確かに自分はあの場所にいた。強烈な衝撃に弾き飛ばされ、叩きつけられた壁が崩れて瓦礫に埋もれたのだ。

 その瞬間の痛みと熱さが、全身にまざまざと蘇る。


「どうやら、私の言葉を理解したようですね」

「は? 馬鹿言ってんじゃねえよ」


 しかしである。思い出したところで、どう考えても腑に落ちない点が忍にはあった。


「今度は何なのです?」

「ガスだか電気だか知らねえが、この俺がモールの爆発程度で死ぬわけねえだろ。鍛え方が違うんだよ。まさか水爆でも破裂したとか言わねえよな、おい」

「あなたは何を言っているのです?」


 女神エデンは付き合いきれないとばかりに咳払い一つで話しを打ち切り、強引に話題を変えた。


「ですが、あなたはまだ死すべき運命にはありません」

「だから死んでねえつってんだろが。耳か脳か腐ってんのか、このアマ?」

「いえ、そういう意味ではなくて――私は人の運命を紡ぐ者であり、人の一生がいつ始まるかを定め、いつ終わるのかを決める女神なのです」

「はァ?」


 忍が不機嫌を通り越し、明確な怒りの表情を見せたが、エデンは構うことなく一方的に話しを続けた。


「あの場所で寿命を迎えるのは361人です。362人目のあなたは含まれていません。これは私の不手際であり、巻き込んでしまったあなたには本当に申し訳なく思っています」


 そう言って、エデンは深く頭を下げた。


「……っつったか、おい」

「はい。そして定めにない死を迎えたあなたは冥府へ逝くことも出来ず、永遠に彷徨うこととなってしまいます。しかしそれはあまりに不憫。そこでどうでしょう? 新しい世界で第二の人生を送ってみるというのは」

「…………」


 忍が黙っているのを幸いとエデンが話しを続けるが、実のところ忍の耳には全く届いていなかった。


「申し訳ありませんが、死した肉体に魂を戻すことは出来ません。ですが、別の世界に肉体を用意することは可能です」

「…………」

「分かりやすく言えば、あなたを別の世界に転生させるのです。それも今の記憶を持った状態で。そしてそこで、遂げられなかった残りの人生を送っていただく、ということです。もちろん、このような事態になってしまったお詫びとして、私からも援助いたしま──」


 エデンの言葉はそこで途切れた。

 鋭い踏み込みで一気に間合いを詰めた忍が、突き上げるようなアッパーで彼女の顎を砕いたからだ。

 足が地面から1メートル以上も浮き上がったエデンは、小さな放物線を描いて後頭部から落下した。

 白い布が解け、グラマラスな肉体が顕になるが、脳ミソが完全に沸騰した忍の意識には入らない。


「つまりだな、てめえはよぉぉぉ~っ!? 子供だって大勢いたんだぞ、オラァッ!!」


 怒鳴り散らしながら倒れたエデンへと大股で近づいた忍は、容赦なく足を振り上げた。

 だが、その寸前でエデンは両腕の力で勢い良く跳躍し、忍から距離を取りつつ着地する。

 エデンの手が砕けた顎に触れた途端、折れた歯が手の中へと落ちる。衝撃は鼻にまで抜けており、夥しい鼻血が豊満な胸にまで滴っていた。

 一糸纏わぬ姿であることも気にせず、エデンは全身をワナワナと震わせながら忍へ向けて眼を剥いた。


「人間の分際で……女神に、手を上げるなどとッ!! きっさまぁっ!!」


 絶叫するエデンの口から水銀のような液体が噴出し、彼女の体を覆っていった。

 見た目の美しさをそのままに、エデンの全身が金属質の外骨格へと変貌し、憤怒に染まった表情も、涼やかな仮面によって隠された。


「生かしては還さぬ! その魂、粉々に打ち砕いてくれるわぁぁぁっ!!」


 メタルシルバーに輝く女神の言葉に、忍が僅かに眼を見開く。


「生かしては、っつたな。へっ、やっぱ俺ァまだ生きてるってことじゃねえか。このペテン師がッ!」

「死ねぇいっ!!」


 エデンの針のように尖った頭髪が放電し、一塊のイカヅチとなって忍を襲う。

 そんなもん避けようがないので直撃を喰らうも、歯を食いしばって耐えながら全力でエデンへ向かって突進した。


「うおらぁ!!」


 強引に差し込んだ忍の右フックが、エデンのこめかみを捉えた。

 金属質の外殻は外見通りの強靭さだったが、拳はそれを易々と粉砕する。

 続く左フックで、今度は逆のこめかみも叩き割った。


「うぐぉ……っ」


 左右からの連続攻撃を受けたエデンから、苦悶の声が上げる。

 しかしエデンは倒れずに踏み留まり、両手に氷の塊を出現させて忍の胸に叩きつけた。

 金属バッドのフルスイングを受けたような衝撃と同時に、骨の芯まで凍みるような冷気が襲ってくる。

 氷は忍の両肩や腰にまでまとわりつくように広がり、体の動きを阻害した。


「死ねぃっ!」


 さらに、エデンは右手刀に炎を纏わせ、凍りついた肩に切り下ろした。

 心臓を狙った一撃。しかしそれを、忍は両掌で挟み込んで受け止める。


「何ぃ! なぜ動ける!?」

「炎で氷が溶けてんだよ、ば~~~か!!」


 炎の熱さは気合いで我慢し、そのまま外向きに折り曲げて指四本を手首ごとへし折った。


「ひ、ひえっ……!」

「逃がすかァ!!」


 仮面の下から怯えた悲鳴を漏らすエデン。その頭部にアイアンクローを仕掛けて外骨格ごと頭蓋骨を握り砕く。さらにそのまま片手一本でリフトアップした。


「うりゃあ!!」


 持ち上げたエデンの顔面を大きく振り上げ、勢い良く突き上げた右膝に力いっぱい叩きつけた。

 外骨格が完全に砕け散り、中身がぐしゃりと湿った音を立てる。

 しかしエデンは、なおも自分の頭を掴んでいる忍の右腕に爪を突き立てた。白魚のような指先から高圧電流が迸り、さらに氷が忍の肩目掛けて這い上がっていく。


「ぐあっ!? ……んのっ、だったらこれだァ!!」


 電流と凍結の痛みを根性で堪えながら、忍はエデンごと跳躍した。


 ──高い。


 優にビル4階分、15メートルほど上昇した忍は、落下軌道に入りながらエデンを掴んだ腕を肩からグルグルと回し始める。

 あまりの回転速度にエデンの姿がブレていく一方、忍は絶妙なバランス感覚で落下姿勢を維持しながら、力強く叫んだ。


「こいつが俺の必殺技とっておきぃ!! インペリアル・キリングバスターッ!!」


 落下速度に回転まで加え、その二つが頂点に達した瞬間を狙って相手の頭部を地面に叩きつける。これまでに幾人もの猛者を葬ってきた、まさしく必殺の一撃である。

 大地に激震が走り、地面にめり込んだエデンの頭部から血飛沫が大輪の花となって咲き乱れた。

 それだけでは終わらない。叩き割った地面の亀裂は四方八方へどこまでも広がり、ついには地平線にまで到達する。


「はえっ!?」


 戦いの熱が引いてちょっぴり冷静になった忍は、突然の異常事態に間の抜けた声を上げる。

 それも束の間──。

 ひび割れた大地が一斉に、ガラスのように砕け散った。

 光を反射しない無数の大地の欠片が舞い踊る中、忍の視界いっぱいに広がっていたのは、広大な海と、大地と、街の灯り。

 上下に長い日本列島が丸ごと見渡せる夜空に、忍は掴んだままのエデンごとまろび出ていた。


「なっ──」


 内臓が込み上げてくるような浮遊感。全身の毛穴が開いて、忍の顔から血の気が一気に失せた。


「なんじゃあこらぁぁぁぁぁぁーっ!!」


 長く尾を引く絶叫と共に、忍は夜空を駈ける一筋の流星となった。

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