6.能力で決まる社会の成立 ~近代と前近代の違い~

 第5回まで、いかに能力を測るのが難しいか、恣意的に線引きされているかを考えてきました。今回は、社会そして人々に「能力を測る」という考え方が定着した経緯を見ていきます。

 試験で能力を測る、そして地位が決まる、こう聞くと「古い」って印象がありませんか?しかし、歴史的にもっと見ると、「能力」を測ること自体が「近代」社会の大きな特徴と言えます。

 「近代」の区分は色々ですが、ここではざっくりと資本主義が広まった、また市民の主権が認められた19世紀ごろから、と捉えてください。まあ、実際の社会は「今日から近代です」とはならず、日々ゆっくり変化しますからね。


1.血縁から能力・成果へ


 前近代社会では、親の社会的地位が子どもに受け継がれることが基本であり、そうした規範で強く枠づけられていました。貴族の子は貴族、商人の子は商人、農家の子は農家という具合で、生まれ、血筋で地位を決めます。

 これは後述するような、裕福な家庭の子は育つ環境が良く「能力を得やすいから」また裕福になる、という能力を媒介とした近代の地位の再生産とは根本的に違います。

 しかし、自由や平等という価値観が生まれると、全てが生まれで決まる「世襲」システムは不平等だと反発が起こります。また、資本主義経済により効率が求められると、世襲は適材適所の人材配置を阻む非効率なシステムと見なされます。

 その理念に合うシステムとして、能力の原理が社会システムの基本となります。そこで使われるのが試験や学歴です。

 それまでも中世ヨーロッパの大学などでも試験は存在し、学歴を得て地位を上昇させることはありました。しかし、そもそも大多数の人は参加する機会がなく、ごく一部の中での競争でした。近代になって、血縁にかわるシステムとして、一部の人が対象だったシステムが社会の基本になるまで広がりました。


 さて、こういった「社会を支配する体制・理論」のことを、○○クラシーと表現することがあります。デモクラシー(democracy)は「大正デモクラシー」で聞き覚えがある方が多いのではないでしょうか。

 デモクラシーは、民衆を意味する「dēmos」+「cracy」で、民衆支配・民主主義です。同じように、 貴族支配をアリストクラシー(aristocracy)といいます。最良(best)を意味する「áristos」+「cracy」です。


 前近代のアリストクラシーに対して、近代はデモクラシーになるわけです。そして、もう一つの近代の特徴が、メリトクラシーと呼ばれます。

 メリトクラシー(meritocracy)は、価値や功績を意味する「merit」+「cracy」で、実績主義です。社会学者ヤング(Young1958)の造語で「Intelligence(知能)+Effort(努力)=Merit」、つまり、血縁ではなく、能力があり結果を残すことで地位が決まる社会体制です。(メリトクラシーを能力主義と訳せるかについては本田(2017)を参照)


 なんとなくそんなものかと思う人も、結果や功績は能力と努力だけで決まるものなのか、ほかの要素も沢山あるだろうと疑問に思う人もいるでしょう。

 提唱したヤング自体がこうしたメリトクラシー社会に批判的です。しかし、社会では、失敗や貧困などは「能力」そして「努力」の不足のせいと見なされることが多いのが現状です。人は単純に捉えたがるものですからね。


2.進む能力主義


 近代は、自由・平等・効率のため試験や学歴などで地位が決まる社会制度をつくりました。そして、その制度が広まることで、実績や能力で地位を決めるという価値観が浸透しました。理念に基づき制度が作られ、その制度がまた理念を浸透させるサイクルです。


 時代が進むにつれて、試験や学歴に対する批判が出てきます。その典型的な2例を挙げていきます。

 1つは、先に挙げた「裕福な家庭の子は、育つ環境が良く“能力を得やすいから”また裕福になる」、貧しい者の子は結局貧しくなり、血縁で地位が決まるのとあまり変わらないという批判です。そもそも平等なスタートラインに立っていない、全員に十分なチャンスが与えられていないということですね。

 今回注目するのは、こうした考えの多くは「能力で地位が決まる原理」を前提としている点です。自由や平等になっていないのが問題で、真に自由で平等な競争を実現できればよい、と考える人が多いということです。


 もう1つは、現状の試験では知識量しか測れていない、もっと色々な能力を測るべきという考えです。つまり、今の制度は、仕事で必要な能力を測れていないから効率的ではない、ということです。

 学力だけでなくコミュニケーション能力などを測定して、もっと実用的な能力の高い人を見極められるようにするべき、となるのですね。


 これらは、今の制度は自由で平等ではない、効率的ではないという批判です。よりよい社会のために、より正しく純粋に能力で地位が決まるようにしよう、という考えに基づきます。

 つまり、試験や学歴への批判といっても、能力を測り地位を決める原理は批判していない、

 むしろ、能力を測ることをより徹底しよう、より正確にしよう、という方向性です。


 今も社会は「より広くより平等に能力を測定しよう」という方向性で進んでいます。しかし、第1回から考えてきたように、能力というのは測ることも示すことも難しいです。

 一見単純な能力でも難しい、幅広い能力になればなるほど曖昧になり恣意的になることは今まで述べてきた通りです。そうした能力の難しさや限界に対する認識がないまま、能力やそれを示した数値が過剰に価値あるものとされています。

 もちろん、血縁から能力への体制と価値観の転換は、社会に発展をもたらしました。しかし、「能力」という考え方自体に限界があることを理解しなければ、「ひずみ」は大きくなるばかりです。

 能力測定を徹底すれば良くなると信じて、空虚な「新しい能力を測ること」などに突き進んでいくことで、空回りしていることが多いのが現状です。


3.能力の社会的構成


 さて、試験や学歴が制度として浸透した社会では、「能力があるから試験や選抜で選ばれるというよりも,試験や選抜で選ばれる者が能力があるとみなされる」(竹内2016)という特徴があります。こうした社会システムが能力を作り出しているという考えを「能力の社会的構成」といいます。

 社会システムが能力を作るとは、多くの人が試験や学歴で能力を判断するということも含みますが、もう少し大きく、試験など制度が人々の価値判断の基準を形づくるということです。


 アメリカの社会学者ローゼンバウムは、進学や昇進は負ければ次の競争に参加できず、敗者は「次の競争に参加する能力がない者」としてその能力の上限が社会的に定義されてしまう、と指摘しました(Rosenbaum 1986)。この構造をトーナメントモデルと言います。

 日本では「トーナメント」といえば1対1の勝ち残りですが、tournamentは順位を決める大会を意味します。日本でのリーグ戦は、group tournamentといいtournamentの一種です。大きな大会では一次予選二次予選とありますが、その都度一定の順位に入れなかったものは次のラウンドに進めません。

 そして、「いったん社会的に受け入れられた選抜の結果は、その文脈を外れても一定の効力を発揮」(中村2018、p.114)します。例えば、学歴競争で獲得した学歴で、その後の就職活動でも能力評価が与えられることになります。


 また、社会が作った線引きの仕方によって、その場で発揮されたパフォーマンスの差よりずっと大きな能力差が認識されます。スポーツのオリンピックで、銅メダリストと4位では扱いに雲泥の差がありますよね。

 入試にしても、1点差で合格した人と落ちた人には差はほとんどない。でも、人々からの能力評価は大きな差がでます。

 メダルにせよ合否にせよ、線引きは人の都合でしているものです。浸透した価値観を変えるのは難しいけど、例えば4位が鉛メダルとか4位までメダリストでオリンピックが広まっていたら、4位の人の能力の認められ方は大きく変わったでしょう。(鉛メダル、とても違和感あります…。)

 試験という制度、オリンピックのメダルという制度が、社会での人々の能力判断の基準を作っているわけです。そして、この制度はどこかで線引きが必要だから人が作った基準です。暫定的なものにしか成り得ません。

 様々な社会制度から人々が能力判断をしていくのが、現代社会の特徴です。その制度の中身をよく考えずに、合否や順位を見ただけで他者のことを見抜いた気になってしまうのは危ういでしょう。


(7.能力とポストモダン ~現代は近代の徹底~ につづく)


【第6章の参考文献】

◆竹内洋『日本のメリトクラシー[増補版]』東京大学出版会、2016年

◆本田由紀「能力とは 社会学の観点から」『日本労働研究雑誌』681、pp.46-48、2017年

◆中村高康『暴走する能力主義 ――教育と現代社会の病理』ちくま新書、2018年

◆Young.M.” The Rise of the Meritocracy”1958年(訳書、伊藤慎一『メリトクラシーの法則』至誠堂、1965年)

◆中村高康「メリトクラシーの再帰性について-後期近代における「教育と選抜」に関する一考察-」『大阪大学大学院人間科学研究科紀要』35、pp.207-226、2009年

◆Rosenbaum, J.E. ”Institutional Career Structures and the Social Construction of Ability,” Handbook of Theory and Research for the Sociology of Education. pp.139-171、1986年


☆本文は、2019年8月に公開した自作動画「ゆかりアカデミー 能力とは何か⑥」の内容を加筆修正し、2020年3月に投稿したものです。

2020年3月 がくまるい

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