能力とは何か:「コミュ力」と社会

がくまるい

1.絶対的指標は存在しない①

1.面接「人間力」

「あなたをモノに例えると何ですか?」入社試験の面接で、こう問われました。


Aさん:私は鉛筆のような人間です。中にしっかりと太い芯があって、まっすぐな存在です。それに、鉛筆が濃淡を書き分けられるように、私も高い柔軟性を持っています。

面接官:そうですか。アピールポイント2つがあまり関係なくて、芯がブレてますね。


Bさん:私は畑です。これまで、勉学やスポーツという水や肥料を与え耕してきました。土壌は肥えています。御社で与えられる仕事という種を、成果という形で実らせていただきます。

面接官:いいですね。


Aさん:な、何この質問、意味があるのですか?

面接官:わが社は人物本位の採用です。この質問は「人間力」、また「想像力」や「自己分析力」を測る質問です。また、とっさの「対応力」や「物事を伝える力」、「精神力」も試せます。

Bさん:よし。ネットで見つけたウケた答え、今回の面接官にもウケましたね。

Aさん・面接官:…。


以上、茶番でした。


 そもそも、人間力とは何なのでしょうか。他の何とか力にしても、大喜利の座布団の数で判断されたらたまったものではありません。評価者の匙加減で決まってしまいます。

 今回の回答も聞く人によって、どっちもピンとこないとか、Aさんの方がいいとか、判断は分かれると思いますし、色々言えると思います。

 どんな基準も正しいとは言い切れないけど、間違いとも言い切れないのがすっきりしないところです。


 この種の質問で人間力を問うことに疑問を持つ人も少なくないでしょう。しかし現実として、人間力といった「能力」が高い/低いを評価することがまかり通っている、これは大きな問題です。下手をすれば、立場が上の人の気分で「お前は無価値だ」と決められてしまうわけですから。

 それに「人間力」というものを高めようとしても「どうすればいいのやら…」ってなって、よくわからない鍛える方法に振り回されてしまうのは、辛いことです。


 これは、会社や面接官が無能だから、では済まない問題です。解消への糸口を見出すためには、「能力」が力を持つ社会の構造を紐解く必要があります。

人間力だけでなく、日常的に使われる「能力」は、実は難しいという話をしていきます。



2.能力を表す難しさ


 現代社会では様々な能力が求められます。「能力」を示す「○○力」という言葉、挙げてみてください。

 学力、コミュ力、文章力、国語力、行動力、精神力、…際限なく挙げられますね。


 現代社会、多くの人は自他の「能力」を気にします。あの人は学力が高い、あの人はコミュ力がないから不採用だ、などと他者を評価したり、私は文章力がない、私は国語力がない、などと自分を卑下したりします。

 そして、能力を高めることが求められます。英語力を高めよう、精神力を鍛えよう、思考力を磨こう、想像力を豊かにしよう、などと。

 しかし、人間の能力はゲームのステータスのように、数値で表し優劣を簡単に比較できる、というものではありません。


 例えば、想像力ほしいですか?

 (天の声)あなたはレベルアップした!体力が3あがった。精神力が3あがった。想像力が1あがった。

 想像力が1あがると何ができるようになるのか。大喜利で面白い答え思いつくのか、会議に通るのか、家族が喜ぶプレゼントができるのか、文章が一本書きあげられるのか…

 「想像力が1上がったら何ができるのか」この答えが存在しないように、想像力を数値で表すことはできないのです。


 表せないのは、適切な単位がないということだけではありません。

 そもそも「想像力」とは何か?「大喜利で答える」「会議に通る」など、どれができれば想像力が高いといえるのか、なにをもって想像力を高い/低い、ある/ないとするかは定まっていないのです。「人間力」なども同様です。


3.能力は状況依存


 では、能力を高い/低いとする判断は間違っているということでしょうか。

間違いではなく、「能力(の判断)は、状況依存に過ぎない」、絶対不変ではないということです。

 状況依存とは、例えば、客商売では客の行動や感情を想像したり、物語を書くなら世界観や展開を想像したり、状況によって想像することは違います。

 人はその状況に合わせて、商売で何度も思い通りに売れたら「想像力がある」と評価するし、作品作りに行き詰まった時に自らを「想像力がない」と評価します。置かれた場面での結果から「能力」を判断するのです。

 サッカーで言われる「決定力」も、ゴールが入れば決定力がある、入らなければ決定力がないという具合です。


 また、能力がさす意味は状況によって変わり、人物が受けるその能力の評価も状況によって変わります。

 しりとりで「語彙力がある」となっても、ビジネス場面ではわかりません。また、同じしりとりでも、幼稚園児集団と大人の集団では、語彙力の水準は全く変わってきます。


 想像力のように指し示す幅が広い場合は、言葉が使われた状況を踏まえないと、意味を大きく取り違える恐れがあることは理解しやすいと思います。

 でも、何となくの印象を示す言葉として、例えば文章がうまく書けないことが多いという意味で「文章力がない」と言うことは、別にいいのではないか、こう思う方もいらっしゃるでしょう。

 必ずしもいけないことはありません。印象であっても、いくつかの事例から「この人は文章力がある」と判断すれば、例えば執筆の依頼をする時、ランダムに人を選ぶよりうまくいく確率は高いです。


 大事なのは、能力は「個々の事例を総合していつでも使える判断材料(一般)を生み出す」=帰納で作られており、複数の状況から導いたに過ぎないことです。合理的ですが、間違いも曖昧さも大いにあります。絶対的なステータス「○○力」が割り振られて、一定値を超えれば必ず成功するなんてありえないのです。

 文章力が5しかないからレポートが書けない、コミュ力が100あるから友達が100人、とかいう因果関係はないのです。


 しかし、あたかも能力が結果を決めているかのように捉えられることは多いです。そして、その「能力」が人に大きな影響力を持ちます。

 例えば、いくつかの会話の失敗経験で、自分をコミュ力がないと評価してしまう。すると、自分はコミュ力がないと思いながら行動することで、畏縮したり忌避したりして、失敗を重ねることがあります。

 もし、同じ人の失敗経験が全て成功経験であれば、逆に能力が高いと思うことができます。すると、その後の行動も変わります。

 本当は同じ”能力”でも、「能力」という評価が変われば行動も変わるということです。


 他にも、「能力」で因果関係を説明した気になることも問題です。「決定力不足だから勝てない」といっても、そりゃ得点が入らないと勝てないのは当然なわけで、何も説明してないですよね。これは、得点が入らないという状況を述べただけです。

 できた/できないを安易に「能力」と言い換えてしまうことは、よくよく考える必要があります。


(2.絶対的指標は存在しない② に続く)

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