Caro Leonardo,

ウツユリン

1. A buon intenditor poche parole.

 一日に約三万人。長い列を辛抱強く待った人たちがようやく、私のアパートを訪れる。

 私を目当てに来る人が大多数だけれど、この場所を私の"家"と言ってしまうのは、さすがにおこがましい気がする。収蔵品、という扱いにはなっているけれど、私は間借りしているつもり。私はだれの物でもないし(拉致盗難されたことは何度かある)、これからもなるつもりはさらさらない。

 創造主は確かにいた。

 けれど、〈彼〉に所有物扱いされたことは、一度もない。


 ここは、かのルーヴルMusée du Louvre。世界でもっとも有名な美術館。

 パリ地下鉄メトロ一番線または七番線を乗り継ぎ、|Palais-Royal Musée du Louvre《パレ・ロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーヴル》 駅、通称"ルーヴル駅"から地下街へ入って、巨大なシャンデリアのように光を放つ"逆さピラミッド"を目印にひたすら進んでゆく。ここまでくれば、マホガニー色の入館口「Carrousel du Louvre」が目に入るはずだ。

 迷子になる心配はいらない。そこら中に「Musee du Louvre」の標識があるし、なんなら私の写真でもスマートフォンに出して、道行くパリっ子(贔屓するつもりはないけれど、おしゃれだからすぐわかる)へ「Excusez moiすみませんが」と声をかければなんとかなる。去り際の「Merciありがとう」も忘れずに。

 もし、ルーヴルのシンボル「ガラスのピラミッド」を目指して地上をきたのなら、開館前の行列が良い目印になるはず。そうでなくとも、大統領肝いりの文化政策「Grand Louvre大ルーヴル計画」で建てられた煌めくルーヴル・ピラミッドは、見失うほうが難しい。

 ゲートでセキュリティチェックを済ませ、館内を二階に上がり、人の流れへ吸い寄せられるように歩くうち、国家の間私の部屋へたどり着くはず。ルーヴルはどこもごった返しているけれど、展示室七一一は尋常じゃあない。私の前で立ち止まる人の平均時間は五十秒。他の作品たちの軽く十倍もあるのだから。

 展示室の入り口は二カ所。通い慣れた人が使う最短ルートで"私の裏"に出ないかぎり、この二カ所が私の部屋の玄関ということになる。

 ""へ入ってすぐは、私が見当たらないかもしれない。人垣と、居並ぶ"同居人"に呆気に取られるから。

国家の間Salle des États」こと、ドゥノン翼イタリア絵画ゾーンの展示室七一一には、私以外にも数十の絵画が彩られている。日本の放送局ブロードキャストが出資してくれたおかげで、私たちの部屋はずいぶん、明るく鮮やかになった。特に、幅九メートルにおよぶ同居人たちの宴カナの婚礼は圧巻で、そっちへ目がいくのも無理はない。私はいつも正面から、にぎやかなこの華燭の典を楽しませてもらっている。

 そう、展示室のいちばん奥、『カナの婚礼』と向かいあう壁の特殊ケースに私はいる。

 来館者を見おろす高さに吊られ、額の遙か下から迫り出している台形のカウンターは、名残で木製。だれも使えないこのカウンターテーブルは、私へ、これ以上"ちかづいてはならない"というさりげない境界線パーティション。警告は床ちかくにもあって、たゆたうオーロラホログラフィにはキャプションへ混じって「Garder hors立ち入り禁止」の各国語版が流れている。

 かつて、カーブした長い手すりが遮っていた場所へ群れる人たちのなかに、新型の"浮遊フローティング"カメラデバイスへ向かってしゃべっている人がいた。館内でのストリーミングは禁止されているから、すぐ止められるのだろうけど。

 でも私は、配信はキラいじゃない。ルーヴルからのストリーミングなら視聴者数はそこそこ集まるから。

 いま、このときも増えていく私を見つめる人の数と、私が"見つめる"人の数。

 そのすべてが、私の"眼"になる。

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