第47話 「エムネェスの過去」

 エムネェスは自分の過去を語った。他愛無い雑談をするかのような気軽さで。

「ワタシのパパは権威ある研究者。ママは美人歌手。二人とも世間の話題を掻っ攫う人気者だったわ。だからワタシが生まれた時もみんな祝福してくれた。でもね、人気者だからって夫婦生活が円満に続くとは限らないのよ」

 嘲るような諦めるような、そんな陰りを帯びた声だった。俺の知らない『人気者』の話を彼女は続ける。

「ママがね、他に男作って出て行ったの。ママって若かったし、まだ『母』より『女』でいたかったのかもね。性愛なんて人の勝手だけど、旦那と娘置いて逃げるなんて迷惑だわ。当然、大スキャンダルになった。有名であればある程、痴情のもつれはドラマになるものね。これだけなら在り来たりな話なんだけど……まだ話は終わりじゃなかったの」

 この時点で相当重たい話だと思うけど、エムネェスはまだ口を開くのを憚らなかった。


「ママの浮気相手が、ワタシを好きになっちゃったのよ。当時ワタシは14歳。でもワタシって、美人でスタイル良いでしょ? あの頃も周りより発育が良くって、そりゃもうモテたわ」

 美貌に自信を持って、エムネェスは惜しみなく自己評価をした。あまりにもあっけらかんに自分を褒めるものだから否定出来ない。実際、エムネェスが美人でスタイル良いのは間違いなかった。余計な謙遜を挟むよりかは嫌味が無くて清々しいかもしれない。

「モテるって言ったって……その不倫相手って年上の男だろ? 何歳差だよ」

 14歳と言ったら俺と同い年だ。俺が大人の女性に言い寄られた場合を想像してみる。好意を持たれる事自体は悪くないけど、常識的に考えて相手の感性を疑ってしまいそうだ。

「そうね。少なくとも10歳以上は離れてたと思うわ。まぁ年齢差は別にいいんだけど、最悪だったのは選ぶ相手よね。信じられないでしょ? 人の奥さんを既婚者と知って奪っておきながら、その娘にまで手を出そうとするなんて」

 エムネェスの言い分は正論だった。当事者で被害者なのに随分と落ち着いている。家庭をぐちゃぐちゃにされた怒りで興奮しても不思議じゃないだろうに。4年の歳月が、このドロドロした不倫劇場を過去のものにしてしまったのか。


「パパもワタシもショックだったわよ。でも一番怒り狂ったのはママだった。パパを裏切ったくせに一人だけ被害者面してね。ワタシに手を出そうとしたその浮気相手の男にもキレたし、ワタシにもキレた。『魔性の娘』『誰が育てたと思ってるの』『ワタシの恋の邪魔しないで』とか、好き勝手な罵詈雑言ぶちまけながらね。別にワタシが誘惑したんじゃないのに。あの男が勝手に好きになっただけなのに。なんかもう、逆に笑っちゃえたわよ。パパはあんなにも賢いのに、なんでママはこんな馬鹿なんだろうって。自分の母親ながら、情けなかったわ」

 エムネェスは苦虫を噛み潰したような顔をしながらクスクス笑った。怒りと悲しみと嘲笑が混ざった、一言では表せないような感情が浮かんでいた。


「今思えば、昔からママにとってワタシは邪魔だったのかなって。パパとひと時の恋愛を楽しみたかっただけなのに、ワタシという重荷が出来ちゃって。男遊び出来なくなっちゃって。なのに邪魔者のワタシに、やっと取り戻した青春を奪われそうになって……。ママは本当に絶望したんだと思う。それこそ、生きる意味を失うくらいに」

「それで、自殺を?」

「本当の動機は知らないわ。死者は何も語らないし。でもワタシから見ればママは浮気して家庭を捨てた挙句、自分も捨てられて自殺した馬鹿な女。それだけが世間的な事実として残った。人気者が転落するまではあっという間ね」

 死者に対してエムネェスは容赦なかった。容赦する必要も無いだろう。たとえ実の親とは言え、エムネェスの母は許されない裏切りを行った。


「あれ以来、年上の男を好きになれなくなっちゃった。パパ以外はね。あ、好きって言ってもそういう意味じゃないわよ。パパの事は親としても研究者としても人としても尊敬してる。浮気相手の男はどっか行っちゃったけど、他の男も同じような下衆に見えてきちゃうのよ。トラウマってやつかしらね」

 エムネェスの過去は想像を絶する悲劇だった。一瞬にして彼女の家庭は崩壊し、ぶつけようもない感情だけが残った。こうして俺に話せるくらいには心の整理がついているみたいだけど、すっかり受け入れた訳でもないだろう。でなければ、普段明るい彼女の口調がこんなにも沈むはずがない。


「もしかして、エムネェスが年下の俺に優しいのはそのせいか?」

「え? あ、いやいや違うわよ。そりゃ年下の男の方が好みだけど、それだけで優しくする程ワタシは軽い女じゃないわ」

「へぇ。失礼かもしれないけど、エムネェスってそういうタイプかと」

「どういうタイプよ。ワタシはモテるけど、本気の恋をした事はまだ無いわ。それとも経験豊富なお姉さんに見えた?」

 頷く。正直、第一印象だとそう見えた。酸いも甘いも噛み締めた大人の女かと。

「うふふ。正直ねアレイヤは。お姉さんね、大人なのは肝臓だけよ」

 そう言うエムネェスはスキットルを持って、寝ながら飲酒した。

「あ! いつの間に!」

 エムネェスから没収して隠しておいたのに。俺の目を盗んで回収してたな、さては。

「いいじゃない。ワタシのお酒よ」

 エムネェスは学校でも気にせず酒を飲む。この国の飲酒可能年齢は18歳だから、ギリギリ違法ではない。でも少なくとも法律上はエムネェスが飲めるようになって日が浅いのに、何年も飲み続けた酒豪のごとく彼女は飲酒に没頭している。

 そんなに酒を頼ってしまうのは、過去の蟠りが拭えないからか。


「……ありがと。なんかスッキリしたかも。付き合わせちゃって悪いわね」

 エムネェスはすっかり元気になったようで、ベッドから跳ね起きた。

「気にするなよ。倒れてるお前を放置出来ないだろ?」

「ふふっ。やっぱりアレイヤは優しいわぁ。じゃあついでに、もっとワガママ言っちゃおうかしら」

 エムネェスは悪戯少女のように微笑んで俺の腕を抱いた。

「ワタシとデートしてよ」

 その時、昼休みを告げるチャイムが鳴った。

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