第2話 「犯罪組織サブヴァータの誘拐事件」

 ペトリーナが誘拐された。

 その事実はすぐさま屋敷中に伝わり、兎にも角にも大騒ぎだった。


「警備兵は何をしていたんだ!」

 朝一番、まだ鶏も鳴かないような時刻に、ズォリアの怒号が屋敷に響いた。

「ペトリーナがワシにとってもこの国にとってもどれ程大切か、知らん訳ではないだろうが! みすみすテロ組織などに娘を誘拐されるなど! ええい、許し難い! 何もかもが!」

 ズォリアは玄関の広間に男達を並ばせ説教していた。あの男達がこの屋敷を守る警備兵らしい。曰く、魔術を扱う戦闘のプロだ。

 警備兵の一人は深々と頭を下げて謝罪した。

「申し訳ございませんズォリア神官。娘さんは必ずや我々が無事に保護してみせます」

「当然だ! 早く武装を整えろ! くそっ、よりによって『サブヴァータ』に狙われるとは! あの荒くれ共め!」

 ズォリアの怒りに呼応するように、屋敷が揺れた。轟音と共に床がひび割れ柱が歪む。警備兵達は慌ててズォリアを宥める。

「お、落ち着き下されズォリア神官! 貴方が怒りに任せて暴れようものなら、この街が沈みまする!」

「落ち着いていられるか! 我が魔力の全霊を以て、誘拐犯を粉微塵にしてくれる!」


 ズォリアの激怒した姿は、それはそれは恐ろしかった。と同時に、俺は新たな発見に感動もしていた。

「これが……魔術」

 人知を超えた異様な現象。それがズォリアの思うがままだとすれば、魔術の力は凄まじい。

 俺が読んだどの教科書にも載っていない未知の力。それを目の当たりにして、好奇心を刺激されなかったと言えば嘘になる。


「俺にも! ペトリーナを助けに行かせて下さい!」

 俺は思わずズォリアの前に飛び出していた。ズォリアは俺を一瞥し……いや、そんな生優しいものじゃない。ズォリアは、はっきり俺を睨みつけていた。客に対する落ち着いた態度を保てる程、今のズォリアは冷静じゃなかったんだ。

「昨日も言っただろう。駄目だ。お前に何が出来る。魔術も使えない、この辺りの地理にも詳しくない、小柄な子供に。足手纏いだ。ワシの憤怒の飛び火を浴びたくないのなら、ここで大人しくしていろ。邪魔はするな」

 ズォリアの低い声は有無を言わさぬ勢いがあった。思わず俺もたじろいでしまう。

 だけど、ここで諦める気は少しも無い。


「……分かりました。すみません」

 俺はまた嘘を吐いた。下を向いて、本心を悟られないようにする。

 一回怒られた程度で、ペトリーナを無視して待ってろって? 冗談じゃない。あんな優しい人が、どこぞの犯罪者の金儲けのために利用されて、危ない目に遭ってるのに。黙って見てられるか。

 俺があの教室で学んできた事は何のためにある。人を守るためじゃなかったのか。


 ズォリアが俺を信用してないのは仕方ない。俺が逆の立場だったら同じようにする。大切な娘を、見知らぬ少年に任せられるか。

 だからズォリアに理解してもらおうとは思わない。説得より先に行動だ。俺一人だけでも、ペトリーナを助けるために動く。


「しかしですよズォリア神官。我々が王家直属の魔術師とはいえ、今回ばかりは相手が悪すぎます。お聞きになった事はあるでしょう。サブヴァータの『魔術師狩り』の異名は」

「噂にはな。だが本当なのか?」

「ええ。ですから身代金を用意しましょう。金で解決するなら安いものだ」

「金なら用意する! だがな! 奴と取引する瞬間、油断したその時に一斉突撃だ! ズォリア家に楯突いた事後悔させてやる!」

 警備兵とズォリアは未だ口論を続けている。その間に俺は、バレないように外へ出た。


「ねぇ、アレイヤ兄ちゃん……」

 出て行こうとする俺の前に、昨日の子供達がいた。確か、イブって女の子とオリオって男の子だったっけ。名前の知らない女の子も一人いる。

「ペトリーナ姉ちゃん、どこ行っちゃったの? オリオ達置いていなくなったりしないよね?」

 オリオは俺の袖を掴んで涙を浮かべた。現状をどれだけ理解しているかは知らないけど、この子達がこの子達なりにペトリーナの心配をしているのは明らかだった。

「大丈夫だ」

 俺は彼らの不安を拭うように、言った。

「ペトリーナは俺が連れ戻す。だから、南部監視塔跡地の場所を教えてくれないか」


              *  *  *


 ハンドレド王国はかつてザガゼロール王国と戦争をしていた。

 かつて、と言うのは今は休戦中だからだ。しかし一度は血に染まった国際関係がすぐに修復するはずもなく、両国の関係は未だに緊張に包まれていた。国境の監視は休戦中も必須であり、監視塔の建設・管理は重要な国務であった。


 南部の監視は『南西監視塔』と『南東監視塔』の二つに任され、旧『南部監視塔』はお役御免となった。仕事を失い空き地となった南部監視塔だが、一応は王家の所有地である。現在は立ち入り禁止で、王家直属の魔術師ですら無許可では入れない。

 だからこそ、無法者にとっては都合の良い隠れ家になった。


「おい、起きろ。起きろっつってんだよ、お嬢様」

 男の粗暴な声に起こされ、ペトリーナは目を開いた。次第に意識が明確になり、記憶が戻ってくる。

「ここは……? あなた達は、誰なのですか?」

「おー。パニックにならないのは偉いぜ。質問する元気があるのも気に入った。質問するのはオレだがなぁ」

 男はケラケラと笑い手を叩いた。ペトリーナは周囲を見渡し、自分が誘拐されたのを理解した。朝目覚めたら見知らぬ男達がいて、必死の抵抗虚しく睡眠薬を飲まされたのを思い出す。ここが南部監視塔なのも、何年か前に来たから気付けた。


 ペトリーナは手足を縛られていた。手錠や鎖ではなく、布での拘束だ。簡単に抜け出せそうだが、力を入れても布は緩まない。そもそも、何故か力が入らなかった。

「それは『魔封布まふうふ』だ。名前くらいは聞き覚えあるだろ? 魔力の流れを阻害する特殊な布。魔術師が魔力を魔術に変換する機能は、両手両足、両目と口にある。そこさえ覆えばお前は魔術を使えない。本当は目と口も塞ぎたいんだが、まだお前には聞きたい事があるからな」

 男は拘束具の素材について説明した。これは警告だ。「余計な真似をするな」という意味の。


「誘拐は犯罪ですわ! あなたには必ずメリシアル神の天罰が下ります!」

「かかかっ。犯罪だって? 知ってるっつーの。オレ達『サブヴァータ』は犯罪のプロだからな。犯罪者が犯罪知らなくてどうすんだって話」

「サブヴァータ……」

 その名前はペトリーナも知っていた。今や世界中が知っているだろう。各国で高所得者や権力者をターゲットに窃盗や殺人などの犯罪を繰り返すテロ組織『サブヴァータ」。

 ある者は革命家として英雄視し、ある者は秩序を乱す悪人と見なす。規模不明、神出鬼没の集団。

「オレの名はフォクセル。苗字はねぇぜ。お前らみたいに家族だの誇り高き血筋だのは持ち合わせて無いからなぁ」

 そして、そのリーダーこそが。

 この男、フォクセルであった。


 フォクセルの背の高い赤髪の男だ。どこにでもいるような、ありふれた風貌の若者。正体を知らなければ、誰もがフォクセルを優しい好青年に思うだろう。

「フォクセルさん! 今なら間に合います。悔い改め、神に懺悔しましょう!」

「かかかかっ。さん付けかよ。自分を攫った相手に随分と丁寧に対応して下さるもんだ。育ちがいいんだろうな、お前。何不自由なく、愛されて育ってきたんだろうなぁ」

 フォクセルは髪を掻き上げ、ペトリーナを見下ろした。

「お前の言う『神』とやらはお前を助けてくれんのか? その答えはすぐに分かるぜ。死ぬ寸前までクソみてーな神様に祈ってな」

 フォクセルの放つ殺気は、今まで生死の境に対面した事の無いペトリーナですら戦慄した。フォクセルの目には躊躇や慈悲の類は一切宿っていない。純粋たる憎悪だけが潜んでいた。


「な、なんで私を……」

 理由なんて聞いても無意味だと分かっていても、ペトリーナは言わずにいられなかった。神官として凛とした態度を取りたいのに、恐怖が先立ってしまう。攫われたのが孤児院の子供達でなくて良かったと心底感じた。

「金のため、って事にしといてくれよ。気にすんな。悪党の動機なんて馬鹿な民衆共が勝手に妄想してくれる。『社会の闇』だとか『心に潜む悪魔』だとか仰々しい台詞並べてな」

 いまいち答えになっていない回答だった。しかしフォクセルにとっては十分だ。本当の目的をベラベラ喋る程愚かではない。たとえこれから、ペトリーナを殺すつもりだとしても。


「さっさと聞き出しなよ。ハンドレドの魔術師が面倒やらかす前にさ」

 フォクセルの背後で、ふくよかな若い女性が椅子に腰掛けて読書を嗜んでいた。ペトリーナは彼女の顔に見覚えがある。誘拐犯の集団に、この女もいた。屋敷に侵入した誘拐犯はフォクセル一人ではないのをペトリーナは思い出した。

「分かってるぜ、ラクゥネ。いいからお前は探知機見張ってろ」

「アタシが行かなくても新入りの子が見てるし」

「楽しようとすんなよ」

「新人教育よ。甘やかしてちゃ人は育たない、でしょ?」

 ラクゥネと呼ばれた女は、依然として本から目を逸さなかった。フォクセルはそれ以上何も言わず、一冊の本を取り出した。


「ペトリーナ・コルティ。お前、この本に見覚えはあるか?」

 フォクセルの持つ本は、ハンドレド王国で市販されている、ほとんど白紙の本だった。白紙の本が何に役立つかと言われれば、メモに役立つのである。学校で勉強用に使われる事の多い本。ノートと呼ばれている。

「はぁ、見覚えならありますけど。そんなの、どこでも売れてますわ」

「違う。この本と同じ商品に覚えがあるか聞いてるんじゃねぇ。『この本そのもの』に見覚えはあるか。ほら、中身見てみろ」

 フォクセルは本を開き、各ページの手書き文字を見せた。達筆で書かれたそれは、内容も筆跡もペトリーナの知らないものだった。

 ペトリーナは首を横に振る。

「本当か? 嘘だったら目を抉り取るぞ」

 フォクセルはナイフを握って威嚇した。ペトリーナは冷や汗をかきつつ何度も首に振る。

「本当に知りませんわ。私、神に誓って嘘は言いません」

「ふーん、って事は筋違いか。あのおっさんのビビリすぎだな」

 フォクセルは呆れ顔でため息を吐いた。


「一応聞いておくが、この本の持ち主知ってるか? 長い青髪の男。オレくらいの身長で、癖毛らしいんだけどよ」

「? いえ、知りませんわ。それだけの情報では、何とも言えませんけど」

「だよなぁ。ったく、敵の刺客かもしれねー奴の特徴くらいもっと細密に覚えとけってな。これじゃ目撃証言も取れねぇ」

 フォクセルは文句を垂れたが、それが誰に対するものなのかペトリーナは分からなかった。


「んじゃ、次の質問。お前の父親の魔術は……」

 フォクセルが尋問を続けようとした、その時だった。サブヴァータ構成員の悲鳴が監視塔に響く。激しい物音もセットだ。

「は? まさか敵襲か? あり得ねぇ」

 フォクセルは警戒しつつも眉をひそめた。「あり得ない」と彼が断じるだけの理由はあった。

 この監視塔全域には、魔力を探知する結界装置を張ってある。監視塔に魔術師が近付けば警告音が鳴る仕組みだ。

 警告音が鳴ってないのに敵が侵入するのはあり得ない。探知装置が故障した可能性も考えたが、スペア含めて二つとも壊れる確率はどれくらいだ? その僅かな危険性すら排除するため、部下に見張りを任せたというのに。


 考えてばかりいられない。明らかな異常事態を察し、フォクセルとラクゥネは様子を見ようと立ち上がった。

 だが、見に行くまでもなく向こうから彼は現れた。

「そこにいたんだな。無事か? ペトリーナ」

 サブヴァータ達を薙ぎ倒し、ペトリーナの前に駆け付けたのは。

 緑髪の小柄な少年。アレイヤ・シュテローンだった。


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