それがいつかはわからないけど

リリィ有栖川

〇 〇 〇

 中学の同窓会に来たのは、出会いがないかと思ったから。


 三十にもなって邪な理由かもしれないが、それでも参加しようとしただけ俺はマシだと思う。暇なくせに面倒くさいとか寒いとかいう理由だけで参加してない友人達に比べれば。


 今年度一番の冷えこみなんじゃないかと思うほど寒い中、会場に向けて電車を乗り継ぎバスに乗り、会場のホテルへと到着した。二月一日の十八時はまだまだ暗い。


 正直、いいホテルだから食べ物くらいは美味しいだろう、くらいの気持ちで参加をしたのだが、存外昔の友人や、顔だけ知っているような人と話すのが楽しくて、気が付けば一次会の会場のホテルをあとにして、二次会会場のチェーンの居酒屋にいた。女の子とも話したけれど、ほとんど男どもと話すのが楽しくて、本来の目的は頭から抜けていた。


 今日はでも、このままでいいかなと思えるくらいには、楽しんでしまっている。


 きっとここで話している面々とはもう会うこともない。だから、ただ楽しんで終わりでいい。正直、出会いにはそこまで期待していたわけでもないし、予想していた展開でもある。


 俺なんてこんなもん。かわいい子がいたとしても、話しかける勇気はなかっただろ

う。

 懐かしい話をしながらの酒が美味い。それだけでいいんだ。


 一緒の卓に座っていた連中が、他の席に移動したり、後ろの卓の人間と話し始めたりして、薄暗い店内で、大勢の中一人になる。氷が半分解けた梅酒のロックを舐めて、自分を慰めながら、思わず笑ってしまい、グラスで口元を隠す。


 新しい酒を注文していると、入口の方が騒がしくなった。聞いたことのある声が誰かの名前を呼んでいる。騒がしくて聞き取れない。足音が近づいてくる。


 もうあと三十分あるかどうかで来るなんて。三次会まで待ってればいいのに。いや、今日は寒いから、入れるなら屋内にいたいか。

 さて、誰が来たんだろう。俺の知ってる人間だろう、か――。


「あ、日下部。久しぶり」

「篠宮?」


 その顔は、よく覚えている。

 忘れていたが、こうして顔を見れば、声を聞けば、心が学生服を着てしまう。

 中学の時の俺が、憧れた人。篠宮愛花。


「驚きすぎじゃない?」

「ああ、いやいや、びっくりしたよ。あ、ここ座る?」

「うん。ありがとう」


 上着を脱ぐ動作、カバンをどこに置こうか迷う目、テーブルの下に足を入れるときについた手。自分でも気持ち悪いと思うくらい、じっと見つめてしまった。

 それを隠すために、話を振る。


「何飲む? ビールとハイボールならピッチャーがあるから、すぐ飲めるよ」

「じゃあビールもらおうかな」

「あいよ」


 心臓がうるさいのはアルコールのせいだ。勘違いしちゃいけない。

 使われていないコップにビールを注ぎ、手渡す。ああ認めよう。アルコールのせいじゃないよ。だけど、認めるだけだ。何もしない。話すだけだ。

 乾杯をして、二人で一口酒を飲む。妙に甘い気がする。


「懐かしいな。今何してるの?」

「歯科医。まだ学生もやってるけどね」

「すげー。昔からの目標叶えたんだ」

「ええ? 私別に歯科医目指してなかったよ」

「いや、医療系目指してたじゃん。歯科医だって医療の分野じゃん?」

「ああ、そういうことか。よく覚えてたね」


 よく覚えている。将来の話を聞かせてくれたのが、嬉しかったから。


「俺の身近でそういう人は篠宮しかいなかったから、印象に残ってるよ」

「そっか。なんか恥ずかしいな」


 照れ臭そうな表情は、俺が知ってるものより大人になってる。大人になって良かったと今思うのは、変だろうか。


「見過ぎじゃない?」

「ああ、ごめん、綺麗になったなって」

「そう? 歯の矯正したからかな」

「いや、そうじゃないと思うよ」


 そうじゃない。篠宮は昔から綺麗だった。見た目というわけではなくて、なんというか、凛としていた。


 心の背筋が通っている、みたいな。それが今も、変わっていないように思える。

 どうしてか、嬉しい。どうかしている。


 急に酒が回ったのかもしれない。自分の気持ち悪さに吐き気がこみ上げてくる。

 何か別の話をしなければ。話を逸らせるような、インパクトのある話。


「篠宮!しーのーみーや!こっちこいよ!」


 女性陣が手を振っている。篠宮は苦笑いをしている。

 いいタイミングだ。ありがとう顔は知ってる誰か。


「人気者よなあ」

「そんなことないよ」

「日陰者はほっておいて、日の当たるところに行きんしゃい」

「日陰者て。まあ、行ってくるよ」


 呼ばれた先に篠宮が行くと、辺りが一層盛り上がる。


 昔から篠宮は不思議な立ち位置の人間だったことを思い出す。中心にはいないけれど、決定権はあるというか。生徒会もやっていたから、なのだろうか。


 俺の様に、集団の中で一人ぽつんといるような人間には、まぶしい存在。やっぱり今も変わらない。


 グラスで口元を隠す。誰かに見られていないか目だけで確認して、残っていた酒を流し込む。ちょうど新しい梅酒が来て、グラスを交換した。


 梅酒ばかり追加で二杯ほど飲んでいると、二次会が終りの時間になった。


 終電のあるもの、明日も仕事のものは帰るらしい。集金をしている間にも俺は残っている酒をいやしく飲みながら、三次会に行くかどうか、考える。


 さっきまでは帰るつもりだったけど、今は篠宮がいる。欲が出ている。もしかしたら、もう少し話せるんじゃないかって。


 財布を取るために篠宮が戻ってきた。


「お疲れ人気者」

「人気者じゃないって」

「三次会は行くの?」

「ちょっとだけね。日下部は?」


 訊かれてどうしてか、妙に冷静になってしまった。


 きっと三次会に行ったところで、俺が篠宮と話せる機会は、これ以上ないんだろうと悟ってしまった。


 だったら、このまま帰った方がいい。今ならラーメンを食べて帰れるし、タクシー代を払うこともない。


「帰ろうかな。飲み過ぎたよ」

「なんだ、残念」

「残念? そりゃ光栄だ」

「なにそれ」

「あっはは」


 幹事が来てくれて、二人で金をわたした。篠宮はそのまま、上着を着始める。俺も身支度をしなければいけない。


 準備が出来た人間から外に出ていてくれと言われ、他の人間がだらだらとしているのをよそに、俺と篠宮はさっと外に出た。


 温かい室内にいたせいで、外は余計に寒かった。

 駅前で明るいのに、夜空には少しだけ星が見えた。


「寒いね」

「二月だもんなぁ」

「夏が恋しいね」

「春じゃなく?」

「うん。私お祭り好きだから」

「ああ、今でも好きなんだ」


 地元の祭りに行けば、何処にでもいるんじゃないかってくらい篠宮はいた。必ず何か食べていたのを覚えてる。


 そういえば一度だけ、祭りの最中に話した記憶がある。何を話したか、どうしてそうなったのかなんて覚えてない。ただあの時の表情は、今もまだ綺麗なまま。


 篠宮はきっと覚えていない。もしかしたら、俺の妄想かもしれない。そうじゃないといいんだけど。


「私、今でも覚えてるんだけどさ」

「うん」

「日下部さ、わたあめ買ってくれたよね」

「え?」


 思わず篠宮の方を見た。得意げな表情は、あの頃よりも子供っぽい。


「お祭りでさ。もう帰ろうとしてたんだけど、わたあめ食べたくて。でももうお金なかったし、そろそろ帰らないと怒られる時間だったしで、諦めたんだけど、そのとき買ってくれたのが、本当に嬉しかったんだよね」


 ずっと、今の今まで忘れていた、言われなければ思い出すこともなかった記憶。


 なけなしの勇気を振り絞って声をかけて、物欲しそうにしている顔に負けて、格好をつけた、あの日の間抜けな自分。


 なんて言ってわたしたか覚えていない。だけど、ああそうか。あの顔は、その時に見たんだったか。


 笑ってしまった口元を隠すものはもうない。


「ああ、そんなこともあったね。ただ金に余裕があっただけだよ」

「それでも、ありがとう。ずっと忘れないよ」


 それは、好意があったから。なんて言えるわけもない。

 恋人がいるのをわかっていながら、それでも好きでいてしまった俺の、ダサいかっこつけ。


「さて、俺は帰るわ」

「うん。じゃあ、またね」

「ああ。またいつか」


 それは、訪れないいつかだと知っている。期待するほど、子供でなくなっている自分が、なんだか寂しい。


 ラーメンはまた今度でいい。今日はもう、胸がいっぱいだ。

 心が纏った学生服は、もう少しだけ着ていよう。

 なんてのは、ちょっと格好つけすぎて寒いかもしれない。

 だから、誰にも言わずにしまっておこう。

 またいつか、その日まで。




                 了

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それがいつかはわからないけど リリィ有栖川 @alicegawa-Lilly

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