第7話 サンドイッチ
枝垂れた枝葉を仰ぎつつ、河川敷にレジャーシートを敷いた二人は横一列に並んで腰を下ろしていた。グリーンのレジャーシートは二人で座るとほとんど隙間が無いほどに小さく、恭介さんは顎に手を当て、「やっぱ二人じゃ狭かったか」と真顔で言い放つ。それ、もっと早く気付けなかったんですか? と内心少し呆れながら、私は目の前で枝葉を広げる桜の木を見上げていた。
桜が散ってしまったせいか、河川敷に人の姿はほとんど見当たらない。恭介さんによると、満開の時期は普段の閑散ぶりが嘘のように人で溢れかえるんだそうだ。あんまり人混みは好きじゃないから、この程度の静けさでちょうどいいな、と私はこっそり安心してみたり。
「チッ、屋台も出てねーのか。失敗したな……」
「……屋台も出るんですか? いつもは」
「そう。それ買って食うつもりだったから、今日の飯は大したもん作ってないんだよな……あー、失敗した」
はあ、と盛大に溜息を吐きこぼし、彼は苦々しく頭を抱えている。屋台を頼りに来たとは言いつつ、やはり何か作ってくれているらしい。そんなに気負わなくてもいいのに、とは思ったが、そう言うとまた「気負ってるわけじゃねえよ、好きでやってんの!」と怒られてしまうだろうから口には出さないでおいた。
恭介さんは背後に置いていたリュックをガサゴソと漁り、お洒落なタッパーを取り出すと
「わー! 可愛い!」
「……料理に可愛いってどういうことだよ。女って何でも可愛いって言うよな……」
彼は呆れたように言い、おしぼりと紙皿を私に手渡す。おしぼりまで用意してるなんて、どこまで女子力高いんだろう。合コンとか行ったらどの女の子よりも率先してみんなの分のサラダとか取り分けてくれそう。それって良いのか悪いのか、ちょっとよくわかんないけど。
なんて余計なことを考えていたのがバレたのか、彼は訝しげに目を細めて「何だよ……」と低音をこぼした。怒らせるのはまずいので、私はへらりと笑って誤魔化しながらおしぼりの袋を開ける。冷たくも温くもないおしぼりで手を拭いて、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたサンドイッチをじっと上から見下ろした。
トマト、レタス、ハム、卵、カツ……色々種類があって、迷ってしまう。
「全部恭介さんが作ったんですか?」
「うん」
「すごい!」
「……サンドイッチなんて、具材切ってパンに挟む作業がほとんどだぞ。一部以外は、そこまで手の込んだもん作ってない」
素直に褒めれば、彼はふい、と目を逸らして首の後ろを掻いた。彼は照れると目を合わせてくれない節があるから、多分この素っ気ない態度も照れ隠しだと思う。
私は早速両手を合わせた。いつもの合図、「いただきます!」を彼より先に言い放って、すぐさまサンドイッチに手を伸ばす。どれから手に取ろうかと迷ったが、最初だからと近くにあった卵サンドを手に取った。卵サンドと言っても、よくあるゆで卵を潰してマヨネーズと和えたようなアレではない。黄金色に輝く美しい厚焼き卵が、ふわふわのパンとレタスの間に挟まれているソレである。
「わ、すごい! 卵焼きがふっわふわ……ぷるぷるしてる……!」
「いいだろ、自信作だぞそれ」
「おおー……!」
手に持った感触だけでも柔らかくてふわふわなのが分かる。そのくせに重量感はずっしりと重たい。まだ口に入れてないのに、既に美味しい。
「いただきます!」
「どーぞ」
瞳を輝かせ、黄金色のそれに私は勢いよく被りついた。ふわふわ卵とシャキシャキレタスが、マヨネーズの酸味、そしてマスタードの香りと合わさって超絶に美味しい。もうそれしか言いようがない。美味しい!
「天才です!」
「……いや、だから大袈裟なんだよ。卵焼いて挟むだけだぞ、それ」
「その卵が天才的においしいです!」
「……はいはい、ありがとな」
やはり照れているらしい彼は、すぐに目を逸らしてしまう。褒めちぎると途端に彼が大人しくなるという事を、私は最近学んだ。まあ、それに関しては私も人のことをとやかく言えないんだけれども。
あっという間に卵サンドを平らげた私は、今度はハム、その次はトマトと、次々に彼お手製のサンドイッチをお腹の中に収めて行く。パンってあんまり満腹感を得られないって昔どこかで聞いたことがあるけれど、本当にそうかもしれない。どんどん口の中に入れてしまって、止まらないもの。
そうこうしている間にタッパーの中身はすっかり無くなってしまった。辛うじて残っているのは、ポテトサラダの挟まれたサンドイッチただ一つ。それをじっと見つめる私の食い入るような視線を恭介さんはくすりと笑って、「食べて良いよ」と言ってくれた。
「う……で、でも……」
「お前のために作ってんだから、食えよ」
「……」
お前のために、とハッキリ宣言されて、異性への耐性が乏しい私はかあっと頬を火照らせてしまう。「んだよ、またチーク付けすぎてんぞ」とニヤニヤ笑う彼をむっと睨んで、私は最後のサンドイッチに手を伸ばした。
「いただきます!」
「はいどーぞ」
なんかさっきもこのやり取りしたような、と既視感を感じつつ、私はサンドイッチに口を付ける。ぱくり、一口。その時点で私の瞳がキラキラと輝いたのだろう、目の前の彼が呆れたように息を吐いたのが分かった。
じゃがいもとベーコンだけの、具材は至ってシンプルなポテトサラダ。スーパーのお惣菜コーナーにあるようなポテトサラダは少し甘いけど、彼の作るポテトサラダは甘みよりも、おそらくマスタードのものだと思われる酸味の方が強い。ブラックペッパーの味もピリリと効いていて、なんだか家庭の味というより、お洒落なフレンチのお店で出てきそうな大人の味だった。まあ、そんなお店行った事ないんだけど。
「美味しいです!」
「そ?」
「はい! きゅうりの入ってないポテトサラダって初めて食べました!」
「今度入れて作ってやろうか?」
「ん……! それも美味しそうだけど……! でもこのシンプルなポテトサラダも好きです!」
「何でも良いんじゃん」
頬杖をついて彼が笑う。しかし不意に彼は顔を逸らし、かと思えば「へっくしゅん!」と豪快なくしゃみが静かな川沿いに響いた。ずず、と鼻をすする彼は、寒そうに身を縮めてパーカーのフードを被る。
「さむ……」
「あ……ごめんなさい、ゆっくり食べちゃって。寒そうですよね、帰りましょうか」
「いいよ、ゆっくり食べてて。それよりちゃんと腹一杯になった? 少ねーだろ、いつもより」
「……うーん……」
確かに、量はいつもより少なかった。けれどここで「足りませんでした」とはっきり言えるほど、私の
「はい、お腹いっぱいです」
「嘘だな。コンビニ寄るか」
なんてこった、速攻でバレた。
表情を強張らせた私にべえっと舌を出した彼は立ち上がり、空のタッパーをリュックの中に戻す。「ほら、行くぞ」とレジャーシートを畳み始めた彼に急かされるまま、私もクロックスに足を通して立ち上がった。
もごもごと動かしている口の中で美味しいポテトサラダの味を噛み砕きながら、私は彼の背中を追いかける。
「……あーあ、屋台の焼きそば食いたかったな。あとタコ焼き」
残念そうに吐きこぼした彼の隣で、ようやく最後のサンドイッチを飲み込んだ。名残惜しそうな彼の瞳の先には、おそらく数日前まで出店が並んでいたであろう、閑散とした河川敷。
「焼きそば、好きなんですか?」
「いや、別に好きでも嫌いでもねーけどさ。祭りとかで売ってる焼きそばって、なぜかやたら美味く感じるじゃん? あの雰囲気が好きなんだよ」
「ふうん……?」
彼の言い分には、確かに一理ある。けれど私は、たとえ今日この場に焼きそばの出店が並んでいたとして。それを購入して食べたとして。果たしてその雰囲気だけで、「美味しい」と感じることが出来るのだろうか。
……だって、そんなものよりも。
「……私は、恭介さんの作ったサンドイッチの方が、好きですけど……」
「…………」
ぽろりと本音を口に出せば、こちらを見る彼の目がまんまると見開かれた。その後戸惑ったようにその視線が泳ぎ、ゆるゆると逸れて、彼の顔は明後日の方向を向く。
「……バカ、お前……。そういう不意打ちは、ずるいだろ……」
顔を逸らしたまま首元を掻いて、彼はぽつりと呟いた。ピアスの付いた耳がほんのりと赤く染まっているのは、きっとライトアップの光のせいではないだろう。
最大級に決まりの悪そうな背中を見つめて、私の口元は自然と緩んだ。なんだか、彼に勝った気分。
「今日は私の勝ちですね?」
「……勝手に言ってろ、バァーカ」
ちょっと乱暴に返されたその声は、ほんの少しだけ、嬉しそうだった。
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〈本日の晩ご飯/サンドイッチ〉
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