第6話 理由

 恐怖に見開かれた赤い瞳には、他でもない私が映り込んでいる。

 どうして、私をそんな目で見るの? 息を飲み込んだ。

 後ろから腕を引かれる。


「ウルバノ殿下……彼女から離れるんだ」

「でん、か? じゃあ、お前はまさか」

「二人は下がっていてくださいねえ」


 先生が少女に向かって杖をふるった。杖先は流れるように空中に紋を描いていく。見たことのない複雑な模様は黄色に光ると、現れた蔦が幾重に重なり少女を縛った。


「……拘束の紋だ。あれはそう簡単には解けないぞ」

「先生? その子をどうするつもりですか、そんな風に縛るなんて」


 突然の蛮行を攻めれば先生は振り返り、にっこりと笑顔を浮かべて私に自分の三角帽子を被せた。ずれた帽子の隙間から先生を見上げる。


「また暴れられたら困るのでえ、ただの保険ですう。それに私はひどいことをするつもりはありませんよお……ですが、どうやら、この子には込みいった事情がありそうですのでえ……あとは大人に任せてくださいねえ」

「もう、その子は落ち着いていますよ、縛る必要があるようには思えません」

「フェイ。これから師は国王陛下に彼女のことを報告しに行きます。留守の間に殿下の傷の手当をしておきなさい」

「先生っ! 私の話を聞いてください!」


「大丈夫ですう。あとは大人に任せてくださいねえ」

「……殿下!」


 止めようとしたのをフェイに腕を掴まれたまま引き留められた。そう先生は縛り上げた少女を連れて出て行ってしまった。少女は一瞬だけ、私を見たもの大人しくついて行く。

 研究室には私とうつむいたままのフェイだけが残された。


「どうして止めるんだ!」


 私を引き留めたフェイに掴みかかる。

 もちろん、そんなものは八つ当たりに過ぎず、頭の中はぐちゃぐちゃだった。でも少女が怯えていたのは他でもない私で……私はただあの子を助けたかっただけなのに。

 うつむいていたフェイが顔を上げた。眉を寄せて、唇をぎゅっと結んでいる。


「君もあの子の赤い目を見ただろう」

「それがなんなんだよ」

「……あの子は魔物だよ」




「え? 魔物ってあの、固有の魔法紋を生まれつき持っているっていうやつ?」


 フェイの言葉に思考が追いつかず、思わず聞いていた。魔法を習う者が、はじめに教わるのが魔物の存在で、そんなわかりきったことをわざわざ問いかけた私を、今のフェイは馬鹿にすることしなかった。

 険しい表情で頷いた。


「魔物、ってでもあの子は私たちと変わらない姿をしてたよ?」

「城のある都では、確かにほとんど見ないけどね、そういう人に近い姿の魔物もいるんだ」

「え、まって、待ってよ。じゃあ、先生に連れていかれたあの子は、どうなるの」


 先生の帽子を脱いで、胸の前で握りしめる。帽子は歪にひしゃげて震える。


「処分だろうね」


 研究室を飛び出した。

 魔王領に多くの国境が面する、この国で街に現れた魔物は常駐する騎士たちに害獣として駆除される決まりだ。それは王都でも例外でなく、さらに言うとここは最も厳重な警備がされる王城だった。


 先生は国王に報告すると言っていた。大広間だろうか?

 肩で息をしながら覗くも大広間にはいつも通り、見学をする国民たちと警備の近衛騎士しかいない。

 国王はどこに……。あてもなく探すには城は広すぎた。焦りすぎて、何度か転びかけながらとにかく足を動かして先生を探す。

 だって、そんなのだめだろう。だって、私が連れて来たんだ。

 助けようと連れてきて、そのせいで殺されてしまうなんて、そんな、そんなの私には耐えられない。


「あれ? 殿下? 何してんですか?」

「宮廷魔法師のアキーレを見なかったか?」

「ああ、あのぼいんの魔法師先生なら地下牢のほうへ向かってましたで」


 ときどき剣術の稽古で一緒になる近衛騎士見習いのハコモに声をかける。寸前まで全力疾走していて息の荒い、私を少年は何でもないように頬を掻きながら教えてくれた。


「教えてくれてありがとう。助かる……」

「いえいえ~。ほなまた稽古で会いまひょ」


 走り出して地下牢へと向かう。地下への廊下に立つ見張りの近衛騎士に、一度、引き留められたけど、大切な用事があるのだといい。何とか通った。

 地下牢に向かう下り階段。冷え切った空気が揺れるたび、通路を照らすランプの火が一緒になって揺れた。冷たい石の階段をいくつか飛ばしながら駆け下りていく。


「……ほう、つまり刺客だと」

「おそらくは間違いないでしょう……。体を見ればわかりますからあ、殿下を危険に晒してしまい申し訳もございません……」

「よい。これを連れ帰ったのはウルバノなのだろう。貴殿の弟子とともに大事がなくてよかった」

「……どうされますかあ?」

「あれに手を出したのだ……処分にはそれだけで十分だろう。あとは頼むぞ」

「御意」


 聞こえきた国王と先生の会話に心臓が跳ね上がる。

 様子をうかがう。少女は植物に拘束されたまま牢の中に入れられている。牢の扉の前で国王と先生が並び、少女を眺めていた。

 国王の言葉に先生は一礼して、牢へ一歩、近づいた。


「待ってください! 国王陛下!」

「っ殿下!? どうしてここに……!?」

「……ウルバノ、待ってほしいとはどういうことだ」


 国王たちと少女のあいだに両手を広げて立ちふさがる。私の登場を予想もしていなかったのか、先生は動揺を隠せずに息をのむ。

 国王は静かに私へと問いかけるだけだった。


「この者の処分に対して異議があります」

「異議だと? ……どんな弁護を重ねようとも城内に侵入した魔物は処分するのが決まりだ。お前のわがままのために例外を作れとでもいう気か」

「まさか。私が異議を申し立てたいのは、罰するべきは彼女以外にもいるということです」

「……ほう? 聞こう」


 国王の両眉があがる。まっすぐに見つめてくる国王から私も目をそらさない。


「魔物が城に入れば処分。ならば、城に連れ込んだ者にも同様の処分があるべきでしょう。その子を連れてきたのは私です」

「殿下っ!?」


「殺すなら私から殺せ」


 先生が両手で口を覆い、悲痛に叫ぶ。国王の表情は変わらない。

 牢に入り、少女の傍らで近衛騎士見習いの練習用の剣を抜く。体を縮こまらせる少女に絡まった植物を斬り捨てれば石の床に植物の残骸が散らばる。

 呆然と少女が私を見上げた。少女の前に膝をつく。


「ウルバノよ。なぜ、そこまでする? お前がそこまでする理由があるのか」

「あぁうぅ……。殿下あ、そんなに近づいては」


 眉を下げて、先生が珍しく情けない。半泣きな先生の言葉を国王が手で制した。


「なんの罪も犯していない命が奪われるのは間違っている、と少しだけ思います」

「魔物に罪はないと?」

「魔物の話じゃなくて、今は目の前にいるこの子の話をしてくださいよ、父上様」

「むっ……」


 怯えたままの少女へ笑いかける。私がどうして怯えられているのか、それはわからないけど、今はどうでもいい。助けたい、だから助ける。

 それでいいじゃないか。怖がられたって拒絶されたって、自分がそうしたいからそうするのだから、その責任だってもちろん負うよ。


「お、まえ……王子がどうして、わたしを助ける?」


 手を差し出すと少女は、恐る恐るその手を取った。小さな傷だらけの手を掴み、少女を立ちあがらせる。


「君と友達になりたかったからさ」


 恰好をつけて少女に生まれて初めてのウィンクをしてみせる。たぶん、失敗したし、そんな間抜けな姿で笑わないかな、というウケ狙いだ。

 少女はさらに表情を凍り付かせて、紛れもなく滑っている。


「ねえ、君の名前はなんていうの?」


 気を取り直して、そう問い掛けた。

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