第567話 法王猊下

 そこからの移動は比較的順調で、ほとんどトラブルに見舞われることもなく行程を消化できた。途中で何度か魔物に襲われはしたが、『衝撃弾』で一撃である。ろくに金にもならない有象無象しか出没しなかったので、素材の剥ぎ取りすら行っていないほどだ。


「流石は俊英たる皇国軍……どのような敵が相手でも一網打尽なのですね」


 とは、護衛対象の一人である閣僚さんの言だ。まあ正直に言って、厳しい訓練を乗り越えて精鋭の誉を欲しいままにしている我ら特戦群が、この程度の相手に手こずるほうが難しい。そう素直に伝えると、閣僚さんは「羨ましい限りです……」と若干悲しそうな顔をして呟いていた。

 気持ちはわからんでもない。何しろルクサン大公国の残存戦力を考えれば、この強行軍すらも簡単には実現しえないと容易に想像がつくからだ。小国に悩みは尽きないようで、なんともいたたまれない気持ちになった大国の将おれである。



     *



「ハイラントの英傑方よ。ルクサン大公の護衛、まことに大義であった」

「ありがたきお言葉、恐悦至極にございます」


 カンブリア教主国、聖都。その中心部に建つ大聖堂の「謁見の間」にて、俺達一行は法王に護衛の労を労われていた。


「此度の戦は、西方諸国にとっては存亡が懸かった一大事である。こうして皇国のほうから救援の手を差し伸べていただいたこと、儂はたいへん嬉しく思うぞ」

「これも我が主君の望みゆえでございます。一刻も早く西方に平和が訪れんことを、我が君は切に願っておいでです」

「うむ。それについては儂も同感である。皇国のオルレウス陛下にはいずれ正式に謝礼を申し入れよう」


 カンブリア法王は、西の宗教的権威である。それは東の宗教的権威である皇帝陛下とて同じ話だ。だが法王は皇帝陛下とは違って、政治的な支配者というわけではない。

 ゆえに武断政治を好む荒々しい性格では法王は務まらず、結果として高い身分とは裏腹にかなり下手に出た外交を行うことがある。

 その最たる例が対皇国外交だ。

 皇国は言わずと知れた超大国である。カンブリア法王も宗教的権威としては同格かもしれないが、一人の君主として見た時、両者には明確な序列があるのだ。

 もちろんそこには互いに触れぬ暗黙の了解が存在している。ゆえに国際的な文書のやり取りにおいては対等な関係を志向するし、それをうちの陛下や外交筋がとやかく言うことはない。

 が、その中身に関しては別である。皇国がカンブリア教主国におもねるようなことは絶対に無いし、またその逆にカンブリア教主国が皇国に対し上から目線で無茶な要求を突きつけることもまずありえない。そういった絶妙なバランスで成り立っているのが、皇国と西方諸国との国際関係である。

 ゆえに今回、カンブリア法王はうちの皇帝陛下の「助太刀するよ!」というありがたい申し出を断ることはできないのだ。むろん、そこには皇国の圧倒的な軍事力を利用したいという思惑もある。だがそれは同時に、戦後国際秩序において皇国が頭ひとつ抜けた主導権イニシアチブを得るとわかっていても拒絶できないという事実の表れでもあるのだ。

 外交とはかくも難しいものだが、それは一介の少将風情にはあまり関係のない話である。俺はただ、強くあるだけでいい。そのために生まれてこの方、ずっと己を鍛えてきたのだから。


「それにしても、ファーレンハイト卿はお若いのによくぞそこまで強くなれたのう。ひょっとしたら神殿騎士の序列一位よりも強いのではないか?」

「猊下、お戯れを」


 神殿騎士の序列一位とやらがどの程度強いのかは知らないが、仮にも法王を護衛する西方の最強集団である。いくら俺が皇国最強だからといって、簡単に倒せるような相手でもあるまい。


「ふむ……少し興味が湧いてきたが、長旅で疲れていることであろう。会議の準備にも時間が掛かることであるし、まずは諸君らもゆっくりと休まれよ」

「ご配慮、痛み入ります」

「うむ」


 立派にたくわえた白髭を弄りながら穏やかに笑って言う法王猊下。彼はだいぶ高齢に見えるが、なかなかどうしてお茶目な人であるらしい。この分だと、酒の席とかで模擬戦をしろと言われることがもしかしたらあるかもしれないな。

 俺としては別に受けても構わないし、負けるつもりもまったくないのだが、向こうの顔を潰さないかだけが心配だ。相手は何しろカンブリアの神殿騎士である。教会の威信を背負った相手をぶちのめすわけにもいくまい。これが敵だったらいっそ気持ちよく殴り飛ばせるんだが……まあ、たらればの話だな。


 法王に礼を言って退室し、衛兵の案内に従って賓客用の部屋へと向かう。そう、なんとただの護衛の部隊であるにもかかわらず、俺とイリスは賓客扱いだった。


「すっげぇ部屋だな」

「ベッドに天蓋がついてる。天井のシミが数えられないね」

「イリス……そんなお下品なことを言うのはやめなさい。あと天井にも絵画が描かれてるし、シミなんて一つもないだろ」

「そうだった。それに、今日はわたしが上になりたい気分。神聖な法王庁で愛を営む……。背徳的でとても興奮する」


 だめだこの子。今夜、俺を搾り取ることしか考えてない。長旅で疲れと鬱憤と性欲が溜まってるんだろうが……まあ、それは俺も同じだ。仕方ない。今夜は俺もハメを外してハッスルするとしよう。この部屋だけは聖域ならぬ性域なのだから!










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