第414話 新たなる戦略級魔法士の誕生

「ハルト。今日どこかで時間を作ってほしい。見てもらいたいものがある」


 その日、部下の提出した「戦場における各ケースごとの適切な部隊運用案」なる資料に目を通しながら自分なりの考えをまとめていたら、副官にして副長のイリスがそう話しかけてきた。


「見てもらいたいもの?」

「うん。詳しくは内緒」

「わかった。それじゃあ定時間際に空き時間を作っておくよ」

「ん、楽しみにしていて」


 そう言って仕事に戻っていくイリス。彼女がわざわざ予定を確認しに来るというのも珍しい。特戦群しょくばでは上司と部下の関係だとはいえ、家に帰れば仲睦まじい夫婦なのだ。

 話があるなら家に帰ってから、あるいは帰り道にどこかに寄り道してすればいいだけなので、こうしてもったいぶるように予定を訊ねてくるのには何かの裏があると見ていい。

 別に深刻そうな顔ではなかったし、「楽しみにしていろ」と言うくらいだから多分良い知らせだろう。

 ……あれかな? 最近イリスは色々と頑張っていたから、何か目に見える進歩でもあったんだろうか。数日前までのどこか思い悩んだような表情は綺麗さっぱり無くなっていたから、きっと何かが掴めたに違いない。

 そう思ったら、まだ少し残っている仕事すらも楽しく思えてきた。差し当たって、今読んでいる部下からのレポートは家に持ち帰ってじっくりと読もうかな。明日は魔法学院の授業もあるし、駐屯地にいないとできない装備の点検だけは今日中に済ませておくとしよう。



     ✳︎



「で、見せたいものって?」

「新しい魔法を開発した。それをハルトにお披露目したい」

「ほう」


 常日頃から鍛錬に勤しんでいるイリスは、こうしてしばしば俺に新技を披露してくれる。俺もまたイリスとの連携を密にする以上、彼女の技は完全に把握しておかねばならないので、毎回じっくり見せてもらうことにしているのだ。

 ただ、今日だけはどこかが違った。……なんだろう。雰囲気か?

 どことなくイリスから醸し出される魔力の圧が、いつもよりも強い気がする。魔力量自体に変化はないのに、だ。


「本当はお師匠にも見せたかったんだけど、いてもたってもいられなくて」

「それでまずは俺にってわけか」

「うん」


 最近、マリーさんはイリスに色々と相談を受けていたみたいだし、そういう意味ではまずマリーさんに成果を報告するのが筋ではあるんだろう。

 だがマリーさんは今日、西部方面軍の視察という大事なお仕事があるのだ。おかげで数日は皇都に帰ってこられないという。

 その出自もあって東方情勢には相当詳しいのだが、西方とは物理的にも精神的にも若干の距離があるマリーさん。それは全軍を預かる中将という立場からするとあまり健全とは言い難いということで、今回の視察にわざわざ立候補したらしい。勉強熱心で何よりだが、あまり忙しくしすぎて体調を崩さないか少し心配だ。帰ってきたら存分にイチャイチャして甘やかしてあげようと密かに心に決めている俺である。


 そんなことはさておき、今はイリスである。彼女が会得したという新魔法。それは果たしていったいどんなものなのか。

 珍しく口を開くことなく、特殊作戦群が保有する第三演習場へと向かう俺達。ここまで会話が無いということは、今から見せてくれる魔法にイリスの意識のほとんどが向いているということだ。それはつまり、これまでにない大魔法の可能性があるということである。

 イリス同様、俺もまた若干の緊張と期待で無口になって歩く。足下が湿ってきた。湿地帯、すなわち第三演習場だ。


「ちょうど良い感じに的がいっぱいある」


 イリスが水溜まりを指差してそう言った。

 数日前に少しだけ雨が降ったので、第三演習場には水溜まりがいくつかできている。元々この辺りは水捌けが極端に悪いから、こうして一年中どこかに水溜まりができているのだ。おかげで戦場の泥濘を想定した演習が実施できるのは、部隊の長としてはありがたい限りである。


「水溜まりが的になるのか。それにしては結構数が多いけど……」


 ざっと見回しただけでも一〇〇個以上はある。まともに数え出したらキリがない。


「大丈夫。見ていて」


 そう自信ありげに呟いたイリスは、チラと空を見上げた。晩秋あるいは初冬であるにもかかわらず、赤く燦々と輝く夕方の太陽。これから少しずつ気温は下がっていくが、それでも日の光が照っている時だけは暖かいのだから、太陽は偉大だ。


「今日は綺麗に晴れている」

「そうだな、晴れの日は俺も好きだよ」


 雨の日や曇りの日も悪くはないが、やっぱり俺は晴れが好きだ。気持ちが自然と上向くし、穏やかな一日を過ごせるような気がする。


はわたしの味方。それを今から証明する」


 「晴れ」という単語を強調して言うイリス。次の瞬間、彼女は大量の魔力を練り始めた。一気に密度を増す光属性の魔力。仄かに輝く魔力反応光が、夕方の赤い景色を青白く染め上げる。


「————『精査サーチ』、『照準フォーカス』」


 イリスの目の前に浮かび上がる、魔法陣型の照門。このへんはイリスお得意の狙撃魔法なので、何度も見たことがある。かく言う俺も似たような『望遠視』の魔法をしばしば使うが、「エレメンタル・バングル」がなければ基本的に無属性しか使えない俺の『望遠視』と違って、イリスの『照準』は光属性を応用した、より精度の高い狙撃魔法だ。

 ほんの数秒ほどで、大小合わせて一〇〇以上ある水溜まりのすべてがイリスによって捕捉ロックオンされる。俺の『絶対領域キリング・ゾーン』や『鉄の円蓋アイアン・ドーム』とはまた違った原理の自動照準魔法だ。

 これで大魔法を発動する準備が整った。


「いくよ」

「ああ。見せてくれ」


 こちらをわずかに振り返って、イリスが小さく頷く。そしてイリスは手を天に向かって高く掲げ、彼女にしては珍しい、強く響く声でその魔法の名を叫んだ。


「————『極光輪イリス・アウラ』」


 辺りが闇に包まれたように感じた。一瞬だけ錯覚かとも思ったが、錯覚ではなかった。

 巨大な擂鉢すりばち状のプリズムが、イリスの頭上数十メートル地点に浮かんでいる。そこからイリスの掲げた右手に向けて、さながら虫眼鏡の凸レンズが紙を焼く時のように、収束された太陽光が照射されていた。

 しかしイリスの右掌が焼けることはない。彼女の右手。その少し上を、まるで聖像画イコンに描かれた天使や聖人のように、極彩色の光輪ハイロゥが取り巻いている。


 次の瞬間。その光輪から無数の――――それこそ数え切れないほどの熱光線が雨のごとく大地に降り注いだ。光ゆえにひとつひとつが視認不可能な速さを持つ熱光線は、そのすべてが狙い定めた標的みずたまりを正確無比に射貫き、まばたきほどの間に蒸発させる。


 回避不能な速さで襲い掛かる、およそ常人には防ぎえない大火力の、精密狙撃の雨。彼女イリスの名を冠した必殺技は、まず間違いなく戦略級の威力を持っている。


 ————強い。あまりにも強すぎる。イリスは……ここまで強くなったのか!


 ぞくぞくぞく。思わず、背筋が震えた。ふと自分の顔を触ってみれば、無意識のうちに上向きに歪んだ口角。つい興奮を抑えきれずに笑みを溢してしまっていたらしい。


「ふ、ふふ。ふふふふ」


 堪えきれない衝動が、腹の底から湧き上がってくる。


「……ハルト?」


 今の魔法の実演で少し消耗したらしいイリスが、汗の滲んだ額を手の甲で拭きながら不審な様子の俺に声を掛けてくる。

 だが俺はそれどころではなかった。


 ついにイリスが、今までも俺の相棒パートナーとしては最高だった俺の嫁が、戦略この次元にまで届いたのだ。これからは「最高の」だけではない。相棒になってくれることが確定したのだ。これで笑わずにいられるだろうか。いや、無理に決まっている。

 俺は溢れ出す歓喜の感情を爆発させずにはいられなかった。


「ふふふ……はははは! ははははッ! イリス、やっぱりお前は最高だ!」

「そ、そう。ならよかった」


 困惑した表情で、しかしどこか満足そうに答えるイリスを見つめながら、俺は考える。

 今、皇国に新たなSランク魔法士が誕生した。国際情勢が緊迫する最中にあって、その事実は果てしなく大きな意味を持つ。

 今日は本当ならもう仕事は終わりなのだが、早速今から軍務省に走って中将会議の面々に直接話をしなければなるまい。


「おめでとう、イリス。……そんでもって、ありがとう」

「どうして?」


 感謝の言葉を掛けられた理由がわからなかったのだろう。イリスが小首を傾げながら訊ねてくる。そんな無自覚なところもまた彼女の魅力なのだ。


「いつまでも俺の隣にいられるように、強くなってくれたんだろ?」

「……うん。そう、そうだよ」


 ようやく自分が、俺に並び立てるだけの強さを得られたのだと実感したらしいイリスが、感極まったように声を震わせながらも頷いて言う。


「ありがとう、相棒イリス。愛してるぞ」

「わたしも愛してるよ、相棒ハルト


 相棒イリスを抱き締めながら、俺は思う。

 今日はハレの日だ。新たなる戦略級魔法士が誕生した日として、俺達の記憶に永遠に残ることだろう。

 栄えある皇国の歴史にまた一ページ、新たな魔法士の名が刻まれた。そのことを俺は心から祝福したい。





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