第411話 しかしイリスは貪欲に

「なるほど、考えたな」


 飛び降りるイリスを見ながら、俺は思う。


 この世界には(中将会議や軍大学といったごく一部を除いて)まだ制空権という概念はない。同様に、対空兵器も戦場においてはまだ登場してはいない。ただ、まったく対空砲火が存在しないかというと、そんなこともない。

 実は軍ではなく、野生の魔物を狩る冒険者や狩人の界隈において、対空砲火に近しい攻撃方法が見られることがあるのだ。

 それが、ワイバーンや鳥型の魔物といった空から襲い来る敵を狩る際の魔法攻撃ないし弓撃である。

 良い例が、エルフ族の弓魔法だ。最近でこそエルフ族兵士の間で魔導小銃が用いられるようになってきたが、それでも民間レベルでは未だ弓矢による狩猟が中心のままである。そして、それでもまったく狩猟に困っていないのがエルフ族の凄いところだ。

 ドワーフ族が土の精霊に愛されているのと同じように、エルフ族は風の精霊に愛されている種族である。だから彼らは皆、多かれ少なかれ風属性の得意魔法をいくつか持っているのだ。その中でも特に普及率の高いものが、放った矢を風魔法で強化して射程と威力を底上げする魔法だった。

 まったく同じ弓でも、人族とエルフ族が放った矢ではまったく飛距離が違う。そしてその長い射程距離を活かして、エルフ族は高い空を悠々と飛ぶ野鳥を難なく狩ることができるのだ。


 そんな強力な対空攻撃の手段がある以上は、(エルフ族が味方だとはいえ)悠長に落下傘を開いてフワフワと降下などしてはいられない。地球の歴史でもそうだったように、良い的になるのが見えているからだ。

 だからこそ、空挺揚陸部隊にはパラシュート降下ではなく自前の飛行魔法による軟着陸を要求したのだ。戦場のド真ん中に降下する空挺隊には、自分達目掛けて撃ち上がる魔法や弓矢の嵐を掻い潜って、誰一人欠けることなく敵地に降り立ってもらわねばならない。

 そしてそのためには、ただ自由落下するよりも加速して落ちたほうが良いに決まっているのだ。


「これは……狙うのが難しい。早速マリーさんに伝えないとだな」


 自由落下では、空気抵抗もあり時速にして二〇〇キロ程度で停滞してしまうという。ところが今イリスがやって見せたみたいに『風防』を展開した状態でなら、三〇〇キロ近い速度を出すことだって可能だ。

 しかも『風防』の形状を変化させれば、降下の角度だって自在に変えられる。つまり敵の攻撃を回避しながら、一気に敵陣地へと突入できるのだ。


「イリス、凄いぞ」


 聞こえてはいないだろうが、それでも呟かざるをえない。普段から自在に空を飛び回ってる俺にとっては当たり前すぎて、逆に気付けなかった新発見だ。


 やがてイリスは地表が近づいてきた段階で、『風防』を巨大なお椀のような形に変化させる。途端に空気抵抗が大きくなって急減速するイリス。そして彼女は『風防』を解除した後、背中から魔力の翼を生やしてグライダーのごとく滑空する。

 軽やかに空を舞った後、数度ほど羽ばたいてそのまま軟着陸するイリス。なるほど、あれなら上昇は確かに難しいかもしれないが、上手いこと翼を使えばかなり遠距離まで飛んでいけるに違いない。

 それに「難しい」とはいったが、上昇気流を掴めればさらに上空に上がることだって可能な筈だ。速度は出ないかもしれないが、これも立派な飛行魔法である。


「イリス! 凄いじゃないか!」


 地上に降り立ったイリスの下へと急降下し、声を掛ける。まったく危なげなく降下を完遂してみせたイリスは、例によって死んでいる表情筋をわずかに動かして「ふんす」と鼻息荒く得意げにVサインを掲げてみせた。


「ここまで自在に滑空できるようになるまで、随分と頑張った」

「数日じゃここまで上手くはならないだろ。……何週間も練習したんだな」

「うん。基本は毎日。仕事か学校が終わったら、ずっと練習してたよ」

「偉いよ、イリスは」


 俺はイリスをギュッと抱き締めて褒める。もちろん上司としても嬉しいが、それ以上に彼女の伴侶として、イリスが健気に努力して結果を残したことが誇らしかった。俺は良い女を嫁に貰ったと、全人類の野郎どもに自慢したくなったほどだ。


「でもまだ足りない」


 しかしイリスはこの程度では飽き足らないらしい。更なる高みを目指して、彼女は貪欲に「強さ」を求めるのだ。


「いつかハルトと同じSランクになる。それがわたしの夢であり、目標」

「その夢、絶対叶えろよ」

「もちろん。叶えたい夢じゃないと、夢とは呼ばないから」


 いつか、とイリスは言ったが。既に一歩手前までは辿り着いているイリスである。何かほんのちょっとのきっかけさえあれば、一気に化けるような気がしてならない俺であった。





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