第385話 白魔女の物語

 世界樹イグドラシルと比べたら遥かに小ぶりではあるにせよ、見上げるほどの高さと、人が何人も集まって手を繋いでようやく一周できるほどの太い幹を誇る巨木の数々。それらが一定の距離を保って聳え立っているおかげで、エルフの森はどこか薄暗い。

 そんな巨木の森の中は、なぜか直射日光が届かないにもかかわらず「薄暗い」で収まる程度には明るいのだ。木漏れ日かとも思ったが、どうにも違う。

 しばらく観察してみて気付いたのは、樹冠を構成する葉の一枚一枚がほのかに光っているという事実だった。


「葉っぱが光ってる?」

「ほう、気付いたか」


 マリーさんが少し嬉しそうに言う。


「エルフの森は、魔の森と同じく豊富な魔力に満ちておる。大地に含まれる豊かな魔力を吸い取った木々がそれを濃縮し、葉に養分として蓄える。結果として、葉が魔力の光を灯すのじゃ。これのおかげで日光が届かん森の中でも明るさが保たれておる。自然のなせる幻想的な光景じゃの」


 魔力というものは、集まると光るという性質を持っている。それが自然現象として現れたのが、この眼前の光景というわけであるらしかった。


「綺麗だね」

「うむ。魔の森も悪くはないが、この景色を見ると『帰ってきた』という実感が湧いてくるの」


 そう呟くマリーさんは、どこか嬉しそうだ。当たり前である。何しろ彼女は五〇年近くエルフの森に帰っていなかったのだ。ついこの間の世界樹攻略の際、一時的にエルフ領へと立ち寄ったにせよ、あれを帰省とは言いえまい。

 久方ぶりというにはあまりにも長い間、マリーさんは故郷を離れていた。半世紀ぶりに故郷の大地を踏む感覚は、いったいどの程度の感慨をもたらすのだろうか。俺には窺い知れないほどだ。


「少し昔話をしようかの」


 里を一望できる小高い丘に登り、人気が少ない木陰に腰を下ろした俺達はそこで一休みする。インベントリからティーセットを取り出したマリーさんは紅茶を淹れつつ、ぽつりぽつりと語りだした。


「妾には歳の離れた兄がおった」

「いたってことは……」

「うむ。戦争で亡くなってしもうた。妻ともども、まだ歳若い息子を残しての」


 辛い話だ。俺はまだ戦争や戦いで肉親を、親しい人間を亡くしたことはない。これだけの数、死線を潜ってきて未だに大切なものを失っていないというのは、ひとえに幸運以外の何物でもないだろう。

 だがそれは本当に限られた幸運なのだ。戦争があれば、普通は近しい誰かを失うものである。頭ではわかっていても、感情で納得するのは難しい。


「先ほどうたヴェルネリという男は、その兄の親友じゃった奴じゃ。あやつの妹と妾の兄は夫婦めおとでの。それはもう仲睦まじいおしどり夫婦であったぞ」

「そうだったんだね」


 往年の幸せだった思い出を懐かしむように、明るい顔で語るマリーさん。だがその幸せな時代は突如として悲劇へと転落する。


「五〇年前の初春であったかの。突如として公国連邦がこのエルフの森へと攻め入ってきおった。この森はお主も知っての通り、立ち入った者を惑わす『帰らずの森』じゃ。にもかかわらず奴らは数にものを言わせて人海戦術でエルフの集落を襲撃し、森を焼き払った。……最初のひと月で多く者が犠牲になった。当時のエルフ族はまだ諸部族同士の緩い連合体でしかなかったからの。組織的な抵抗を行う暇もなく、東側にあった部族から各個撃破されてしもうた」


 軍の資料を目にしたことがあるから、俺は知っている。当時のエルフ族人口は約一〇万程度。うち二割が現役の戦士を兼ねていたという。

 だが侵略してきた公国連邦軍兵士の数は一〇万。実にエルフ側の五倍の数である。いくら地の利がエルフ族にあったとて、それだけの数の差はいかんともし難い。

 結果として、戦争序盤のエルフ族は、それはもう散々な目に遭ったと記録されている。


「いくつもの部族が滅んだ頃、妾達エルフ族もようやく重い腰を上げて連帯すべく動き始めた。最初は難航したものじゃ。なにせこれまでの歴史において、エルフ族が統一された政権を樹立したことなどないし、本格的な対外戦争も経験したことがないのじゃからの。……おかげでエルフ族が一つにまとまるまでには相当な時間が掛かってしまった」


 頭の無い軍隊は、まさしく烏合の衆である。明確な指揮系統を持たず、組織的な戦争の作法を知らないエルフ達が、数に勝る敵を相手取るのはなかなかに至難の業であった。


「そのエルフ族をまとめる上で奔走したのが妾の兄じゃった。兄は各部族の村を飛び回っては話をつけ、当時既に『世界樹の巫女』としてエルフの間では一定の存在感を示しておった妾を中心に、なんとか史上初の連合政権を樹立したのじゃ」


 そう話すマリーさんの顔はどこか誇らしげだった。強大な敵と戦うために身内が、実の兄が奔走し活躍したのだから、充分以上に自慢できる話だろう。


「兄は戦士としては決して優秀なほうではなかった。じゃがその人柄が、熱意が、多くの同胞を焚き付けたのじゃ。そのおかげで妾もまたエルフ族の柱となることができたわけじゃの」


 ハイエルフなる、エルフの上位種。寿命や魔力量、魔法のセンスに至るまで、ありとあらゆる面で通常のエルフよりも優れた突然変異個体。その秘密はマリアナさんから続く血筋にあったわけだが、当時のマリーさんや長老達がそんなことを知る由もなく。

 血筋ゆえではなく、あくまでハイエルフとして崇拝され、その強さを他部族も含む全エルフに認知されていたマリーさん。そんな彼女がエルフ族の棟梁として擁立されたことに反対をする者は皆無だったという。


 彼女なら。あのハイエルフの巫女であれば、窮地に立たされた我らがエルフの救世主たりうるのではないか。


 多くのエルフ達がそう考えたという。そして実際にマリーさんは皆をまとめあげ、奮戦し、皇国との同盟の末になんとか停戦へと漕ぎ着けることができた。

 それはひとえにマリーさんの強さと、彼女を信じたエルフ達の団結ゆえだ。もちろん皇国の介入も大きな転換点ではあっただろうが、先の戦争では皇国と連邦は大規模な会戦を経てはいない。

 マリーさん率いるエルフ軍は、地の利を活かして奮戦した。徹底した遅滞戦闘により戦えない老人や子供などを後方に避難させる時間を稼ぎつつ、ここぞという局面では踏み留まってそれ以上の被害の拡大を防ぐ。

 結果として、マリーさんの台頭以降は損耗率が劇的に低下したという。相反するように損害を出し始めたのが連邦軍だ。それまでは各々の部族単位からなる小規模な部隊がてんでんばらばらに散発的な攻撃を仕掛けてくるのを処理するだけでよかったところを、マリーさんが指揮を執るようになってからは途端に戦力集中の原則に従った精強無比なる弓兵達が二四時間、前も後ろも関係なく意識の逸れた隙を狙って攻撃してくるようになったのだ。

 ただでさえ地形に疎いのに加えて、方向感覚を狂わせる濃霧までもが連邦兵を苦しめる中にあっての、覚醒したエルフ軍の猛反撃だ。しかもその最前線では、一丸となった彼らエルフ兵を率いつつも、自らもまた一騎当千の活躍で敵を薙ぎ倒す災害級のハイエルフが猛威を振るい続けるのだ。

 なるほど、連邦軍が敗走を繰り返すわけである。そこへきて、連邦と同格以上の軍事力を持った超大国ことハイラント皇国の参戦だ。いくら人命を軽視し、人海戦術でもって強引にエルフ領の大部分を奪い取った公国連邦といえど、流石にこれ以上の戦争拡大は無謀だと悟ったらしい。

 結果として、公国連邦は皇国軍の主力が前線に到達しきる直前に暫定的な軍事境界線を設置、それ以西への侵攻を一時中断する。その通告を受けた皇国軍もまた、軍事境界線より東側に軍を派遣することなく防備を固めるに留め、戦況は停滞。そして今日に至る。


 マリーさんが「白魔女」の異名で呼ばれるようになったのも、この戦争の頃からだったそうだ。やがて伝説的な戦いを繰り広げ、すんでのところで辛うじてエルフ族の滅亡を阻止した英雄の魔女は、自らが守った筈の故郷から姿を消す。

 残されたエルフ達が再三に帰郷を乞うも、当の本人は皇国北方の辺境の地、魔の森の奥深くに引き篭もってしまった。

 やがてその五〇年後に魔女は一人の少年と出会い、そこから再び彼女の世界は動き出す。




 



 



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