第386話 もう幸せになっていいんだよ
「――――これが妾の半生じゃ。知りたいことは知れたかの? ……まあ、あまり面白いものでもなかろう」
そう締めくくるマリーさんが見つめる先にあるのは、シルフィーネの街。マリーさんが知らない、新しい時代のエルフの街だ。
「ううん。マリーさんの話を聞けて、俺はよかったよ」
そう言う俺に優しい顔を見せながら、マリーさんは首を振って続ける。
「……守れなかった。救えなかった。故郷を、同胞を、民族の拠り所である世界樹を奪われてしまった。父も母も失い、まだ若い子供のいる兄も、結婚を目前に控えておった友も失ってしまった」
小さな拳を握り締め、感情を抑えながらマリーさんは叫ぶ。
「……何が『最強』じゃ。何が『白魔女』じゃ! そんな称号、守れなければなんの意味もないのじゃ……」
「マリーさん」
「妾はエルフ族の棟梁を自他ともに認めておきながら、そのエルフ族を守りきることができんかった
だからこそマリーさんは五〇年という、種族全体が長寿なエルフから見ても果てしなく長い時間を、ずっと一人で過ごしてきたのだ。
最初の一五〇年はまだ幸せだった。若かったマリーさんは家族や友に囲まれ、魔法の修行に明け暮れ、知識を深め、技を磨き、いずれ「白魔女」と呼ばれるようになるほどの実力を着実に身につけていった。
だがこの五〇年はひたすらに辛く苦しい孤独の時代である。皇国軍の会議へと赴いたり、生き残った親族や友に手紙を送るなどはしていたそうだから、完全に孤独だったわけではないだろう。
しかし彼女は年間の大部分を薄暗く魔力の澱んだ魔の森で一人孤独に過ごし、もう二度と大切なものを失わずに済むよう自身の技量に更なる磨きをかけ、継続してひたすら公国連邦の動きを注視していた。
そんなマリーさんの生活に小さな変化が訪れたのが、今から二〇年と少し前。当時はまだ魔法学院の学生であった俺の母、テレジア・サリー・フォン・フレンスブルクが、マリーさんの下に弟子としてやってきたのだ。
生命属性という、水と土、そして光の三つからなる珍しい派生属性を持っていたテレジアは、当時の指導教授の伝手によりマリーさんの下で修行をつけてもらうことになった。
このマリーさんをして「ある種の天才」と言わしめた我が母はその後、ファーレンハイト辺境伯家当主の代理でマリーさんに挨拶をしにやってきたオヤジと出会い、意気投合した結果、二人組の冒険者パーティを組んで皇国中の冒険者界隈にその名を轟かせることとなる。
やがて第二世代の魔公との戦いで多くの仲間や義父のクラウス(俺の祖父にあたる)を失いつつも、辛うじて勝利を収め。その一年後、第一子にして俺の姉のノエルが生まれるのを機にハイトブルクへと移り。
そしてまたさらに二年後、この世に俺が生まれ落ちた。
なんの因果か、またその一二年後には「魔の森修行プロジェクト」なる計画が始動する。皇国各地から将来有望な若者を招集して、稀代の魔法士であるマリーさんに修行をつけてもらう――――というコンセプトのプロジェクトで、俺は「白魔女」に……マリーさんに出会ったのだ。
「じゃが、お主に会ってからその思いは変わった」
マリーさんがクルリとこちらを振り返って、慈愛の混じった微笑みを向けてくる。
「才能では母親に劣るし、属性魔法すら使えない欠陥持ちのどうしようもないスケベ野郎じゃったが……誰よりもひたむきに自分と向き合い、苦しくても努力を続けることのできる、立派な弟子が妾にもできた。戦争前も合わせたら、妾には他にもたくさんの弟子がおったが、こんなにも教え甲斐のある弟子は後にも先にもただ一人じゃった。……そうこうしておるうちに、気付けば愛弟子は皇国最強と呼ばれるようになっておった。同じく『最強』と呼ばれた師匠を、その弟子が超えたのじゃ。妾は我がことのように嬉しく思ったぞ」
お師匠様はまだまだ続ける。
「その愛弟子は、妾とともに軍の極秘任務に就くこともあった。危険な任務じゃ。命の危機に陥ることさえあった。……じゃが妾達はそれを乗り越え、そしてついにエルフ族の土地を奪還する目処が立つところまでやってきたのじゃ」
そこで俺の上官は、顔を軍人のそれから私人のそれにして、俺の手を取って言うのだった。
「ありがとう……。本当に、ありがとう……。エーベルハルト、お主は最高の弟子じゃ」
気付けば、マリーさんは泣いていた。幼い顔付きの中にどこか大人の悲壮を湛えていた彼女は、しかし今ばかりは歓喜と感涙に
マリーさんの涙を見るのはこれが初めてかもしれない。怒ったところや笑っている姿を見ることは何度もあった。どうしようもない人間を相手にしている時の失望したような無表情や、軍務に服している時の真剣な顔だって知っている。
だが、涙だけはついぞ見たことがなかった。
そのマリーさんが今、感情を爆発させて泣いている。
「マリーさん」
俺は愛しいお師匠様を抱き締めてやりながら、話しかける。
「ん、……うむ。なんじゃ」
俺の腕の中で嗚咽を漏らすマリーさんが、ややあって答える。そんな彼女に、俺は目の前の光景を示して伝えるのだ。
「マリーさんはさ。このシルフィーネの街を知らないんだよね」
「うむ。かつてのイグドラシルの街にどこか似ておるが、この街自体に来たことはないの」
シルフィーネの街は、往年の故郷の姿に似ているとマリーさんは言う。
――――それはつまり、かつてイグドラシルの街に住んでいたエルフ達がその光景を覚えていて、再現したということにほかならない。
「マリーさんが守ったものは、ちゃんとここで息づいてるよ」
すべてを守れはしなかったかもしれない。失ったものも多かっただろう。
だが、確かに彼女が守ったものはあったのだ。マリーさんがいなければ失われていた土地が、文化が、命があったのだ。それを守り、育み、紡いできた結果がこのシルフィーネの街なのだ。
ゆえにこの街を作ったのは、ほかならぬマリーさんであると言えよう。
「マリーさんは、もう幸せになっていいんだよ」
「……ぅ、うぅ、ううぅ……っ」
再び泣き崩れるマリーさん。そんな彼女の肩をきつく、しかし優しく抱き締めながら、俺は声に出すことなく心の内で呟く。
マリーさん。あなたの辿ってきた人生は、俺なんかには想像もつかないくらい壮絶なものだったんだね。
でもようやく、ほんのちょっとだけ、心の傷が癒えたんだね。故郷に戻れるようになって、よかったね。
――――やっと、心の底から笑顔になれるようになったね。
大粒の涙を零しながら、しゃくり声を上げ続けるマリーさん。しかしその顔には、今までに見たことがないような晴れやかな笑顔が浮かんでいた。
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