第382話 愛の伝道師

「……ってなわけで、詳細は軍規に抵触するから言えないんだけど、またしばらく留守にするよ。ごめん」

「ま、仕方ないわよね。ハル君もついに准将閣下だもの。旦那が出世して嬉しくない妻はいないわよ」

「リリー」


 その日の夜。愛妻リリーと一戦交えた後のピロートークにて、具体的な内容についてはボカしつつも、しばらくの間また任務で家を開ける件について報告した俺に対し、リリーはそう言って理解を示してくれた。

 俺の頬を撫でつつそっと密着してくるリリーを、俺は優しく抱き返す。


「でもこの任務が終わったら、またゆっくり家族の時間が欲しいわ」

「全力で確保してみせるよ」


 准将になったこともあって、俺の働き方はかなりフレキシブルなものになる。学院に通いつつも、ある程度は家族との時間を捻出することもできるようになるだろう。


「楽しみにしてるわね。今度久しぶりにお父様にも顔を見せておきたいし」

「そういえば閣下、内務次官に内定したってね。おめでたい限りだ」


 リリーのお父上にして、ベルンシュタイン公爵家の当主でいらっしゃるラガルド・アルブレヒト・フォン・ベルンシュタイン閣下は、皇立文理学院出のエリート官僚である。数年前まではベルンシュタットで領地経営に精を出していたが、ここ数年は中央政界に進出して次々に出世していると聞いていた。

 そしてついに辿り着いた内務次官の地位。内務省なる、皇国の政務全般を司る省庁のナンバー二に内定である。宰相の登竜門とも言われる内務次官を経た次は、陛下を除けば事実上の最高権力者である宰相だ。


「こりゃ、宰相閣下になるのも近いな」

「お父様、魔法はからっきしだけどお仕事はできるみたいだから」


 そんなことを言うリリーだが、本来ベルンシュタイン家は武闘派の家ではない。むしろ努力でこれほどまでに魔法の腕を磨き上げたリリーこそが異端なのである。

 リリーは勉強もできるし人柄も良く、魔法の腕もピカイチのスーパーウーマンだ。そんな彼女が俺の幼馴染で、しかも嫁さんだというんだから世の中わからない。

 俺だってそりゃあ皇国では最強と呼ばれるようになったし、曲がりなりにもエリートと呼ばれる魔法学院で首席を張る男なわけだが、それにしたって前世が前世だから根っこの部分がどうしても非モテ時代の自分に引きずられるのだ。

 この世界に生まれ変わって早一五年。そろそろ日本で過ごしたのと同じくらいには長くこちらの世界で過ごしている。幼少期から明確に自我があったことを加味すれば、体感時間ではむしろこっちでの生活のほうが長いとすら言えるだろう。

 ゆえに多少は人間的にも成長して、自分に自信が持てるようにはなった。少なくとも自分の強さを客観的に認識して、その強さに裏打ちされた程度の自負は抱いているつもりだ。

 そんな俺からしても、やっぱりリリーは立派な女性だと思う。

 可愛くて、美しくて、高嶺の花という言葉がぴったりな彼女だ。何を隠そう、俺の初恋はリリーだった。


 リリーと同じく幼馴染で、かつ同郷ゆえに一番長い時間を一緒に過ごしているのはメイである。だから一番気心が知れているというか、素の俺でいられるのはもしかしたらメイなのかもしれない。そんなメイは俺のことをズブズブに愛してくれているし、俺もまた彼女のことを単なる幼馴染以上に溺愛している。


 特魔師団での厳しい訓練や任務を共にして、一番の信頼を置ける相棒は他の誰でもない、イリスだ。背中を預けられる最高のパートナーは誰かと聞かれたら、間違いなく俺はイリスだと答える。俺より一つお姉さんのくせに妙に可愛らしいところとか、彼女が俺だけに見せる少し甘えた顔なんかはもう最高に愛しいし、俺はイリスが大好きだ。


 魔の森で俺に修行をつけてくれたマリーさんは、俺にとって敬愛すべき師匠であり、頼りになるお姉さんであり、一緒におふざけして笑い合える友人であり、軍人としては上官でもある。小さな身体に大きな力を秘めているマリーさん。そんな彼女は俺にとって唯一、甘えたり頼ったりすることができる存在だ。そんなマリーさんが俺に見せる、ふとした瞬間の愛情表現が俺はたまらなく好きだった。


 文芸部で一緒になったユリアーネは、俺にとってただ一人、普通の青春を教えてくれた子だ。生まれ育った環境ゆえに、およそ世間一般とはかけ離れた生活を一五年間続けてきた俺が、戦いや己の責任を忘れてただの「エーベルハルト」でいられる時間をくれた彼女が俺は好きだった。


 イリスと同じく一つ先輩で、なのに悪戯っ子みたいな態度で俺を翻弄してくるヒルデは俺にとって悪友みたいなものだ。魔法哲学研究会で真面目な議論をする時もあるが、たまに学院内をぷらぷらと一緒に歩いたり、ひたすら駄弁ったりする時間は俺の学院生活に彩りを与えてくれた。先輩風を吹かしたいのか学食を奢ってくれたり、学院内の穴場を色々と教えてくれたヒルデはかけがえのない友人と言えるだろう。そんな友人の筈の彼女が、なぜかたまに仕掛けてくる色っぽい悪戯に俺はドキドキさせられっぱなしである。


 気付けばたくさんの女の子達に囲まれて、かつての自分からは考えられないような幸せな生活を送れている俺だが、その始まりの第一歩は紛れもなくリリーとの出会いだった。

 幼い頃のあの日。縁談のためにハイトブルクへとやってきた彼女を一目見たその時から、俺の人生の歯車は回り始めた。灰色だった俺の世界に色が付いたのだ。

 俺を幸せにしてくれた女神、リリー。俺の初恋の女性が、今こうして俺の腕の中に収まっている。なんて幸せで愛しい時間なんだろうか。


「ハル君」

「何?」

「お師匠さまを幸せにしてあげるのよ」

「ああ。……きっと、幸せにするよ」


 マリーさんはリリーにとってもお師匠様なのだ。深い絶望と傷を抱えた彼女が、五〇年ぶりにかつての同胞と会おうとしている。それを民間人のリリーは知らない。だが、なんとなく雰囲気で悟ったのだろう。

 ゆえに彼女はこうして、俺の背中を押してくれている。


「俺は万能じゃないよ。最強にはなれたかもしれないけど、決して無敵じゃないんだ。……それでもせめて自分の手で掴める範囲の幸せくらいは、守り抜いていきたいと思う」


 俺はリリーに愛されて、幸せな世界を知った。次は俺が教える番だ。俺がマリーさんに幸せを伝える。愛の伝道師と言ったら少し軽薄に聞こえるだろうか?


「でも私がナンバーワンだからね!」

「リリ〜! 愛しいやつめ!」

「きゃあっ♡」


 夜はまだまだ長い。明日は早いが、軍人の体力をなめてもらっては困る。俺はしばらく留守にする埋め合わせの意味も込めて、せめて今晩だけは正妻をドロッドロに溶かし尽くしてやろうと決めたのだった。





――――――――――――――――――――――――――

[あとがき]


 マリーイチャラブまで、たぶんあと二〜三話です。ずっと温めてたマリー編のラストスパート、楽しみです。

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