第375話 小さな一歩とヒルデの可能性
「あ、ようやく帰ってきたね!」
アーレンダール工房皇都支部で手厚い接待を受け、無事に魔力タンクを手に入れた俺達が研究室へと戻ったら、満面の笑みを浮かべたレベッカさん他数名に迎え入れられたのだった。
「何か良いことでもあったの?」
「ふふーん、実はね」
そこでレベッカさんは研究メンバーのほうを振り返って言葉を止める。俺もつられて見回してみれば、いつものように人の良さそうな微笑を浮かべる生真面目なメッサーシュミット卿、何かを言いたそうにニヤリと俺に笑いかけるマリーさん、自信ありげに足を組んでソファに腰かけるヒルデ、そしていつになくワクワクしていそうなノイマン教授の珍しい姿が。
「君達が留守の間に、魔王の遺骸から漏れ出る魔力を解析して、制御に必要な波形パターンを割り出したんだよ」
「……なんだって?」
俺達が魔力タンクを調達しに出かけているわずか数時間の間で、超国家機密級の特大難問を解決しただと?
「えっと、マリーさん?」
「本当じゃ。三人寄れば女神の知恵、とはよく言ったもんじゃの」
「うっそだろ」
と、そこでメッサーシュミット卿が微苦笑しながら説明を付け足してくれる。
「エーベルハルト君はさておき、アーレンダールさんは工学分野の第一人者ですからね。工学にあまり関係ない、魔王の魔力を詳しく分析する部分だけなら我々だけでも問題ないと判断して、空いた時間を使って作業を進めていたんですよ」
「……そうしたら奇跡的に、制御パターンに合致する波形を発見できたと?」
「まさかこんな短時間で発見できるとは思ってもみませんでしたけどね。今回の功労者はノイマン教授です」
そんなふうに褒められたノイマン教授はといえば、年齢を感じさせる白髪を掻きながら「いやぁ、そんな。たまたまですよ」などとしきりに照れていた。
……いや、たまたまで発見できてたまるか! これはまぎれもなくノイマン教授と皆が優秀だったからこそ得られた大きな成果なのだ。
「素晴らしい報告ですね。一気に計画が短縮できましたよ」
ぶっちゃけこの段階だけで軽く数ヶ月はかかる見通しだったので、かねてより構想していた極秘計画が前倒しで実現できるかもしれない。
「ただなぁ……一概には喜べん話もあっての。せっかく割り出した波形のパターンじゃが、不定期かつ不規則に変化するのじゃ。一応、変化の際には事前に兆候のようなものもあるんじゃが、従来の魔力タンクの方式ではエネルギーの取り出しは難しいの」
「つまり?」
「計画が短縮できたかどうかは、議論の余地ありじゃな」
「……はぁ。もう何を聞かされても次は驚かない自信が湧いてきたよ」
魔力の波形パターンがランダムに変化する。意味がわからない。
普通、生き物が持つ魔力の波形というものは一生変わることはない。血液型や指紋、骨格のようなもので、多少の成長や変化はあっても根本から変わってしまうようなことはまず起きないものなのだ。
ところが魔王の遺骸から漏れ出す魔力は、完全に予測不可能なタイミングでまったく別の波形へと変化してしまうらしい。現状、観測された変化のスパンは最短で三〇秒。長いと三時間だったそうだ。そこから既に一時間くらい経っているらしいが、最長のスパンがどれだけ長いのかはまったく予想がつかないらしい。
そりゃそうだ。もしかしたら最短で一秒かもしれないし、最長で一〇〇年かもしれないのだから。
つまりだ。魔王の遺骸から魔力を取り出す際には、ランダムに変化する波形に都度対応できる仕組みを付け加えるか、そもそも波形など関係なくエネルギーに変換できるなんらかの装置を開発するかしかないということである。
そして後者を選べば、ノイマン教授達が波形パターンを発見してくれた労力が無駄になってしまうわけで。それを既に回収不可能なサンクコストとして受け入れるか、はたまたもう少しだけ研究のリソースを割くべきかは議論の余地があるな。
「とはいえの、波形の把握にすら時間をかけていた初期に比べれば随分と進歩したものじゃぞ。少なくとも今なら波形を確認するだけなら一瞬で作業が可能じゃ。そういう意味では成果有りと言って良いじゃろうな」
そうマリーさんがまとめて、途方に暮れかけた雰囲気は雲散霧消する。小さいが、確かに一歩は前進したのだ。ならば今はそれで良いとしようじゃないか。
「ついでに面白いことがわかったぞ」
と、そこだマリーさんが俺のほうにてくてくと近寄りながら、そう話しかけてくる。
「面白いこと?」
「うむ。ヒルデガルトの契約悪魔に関する話じゃ」
「ヒルデの……」
マリーさんに目配せされたヒルデが立ち上がって、すぐそばまでやってくる。たいへん眩しい満面の笑顔だ。いったい何があったというんだろうか。
「これは朗報でもあり、悲報でもあるわけじゃが……こやつ、どうも
「えっ」
ヒルデが使っているバアルの力。現時点でかなり強力なあの力が――――全体におけるたったの数%でしかない、だと?
「まあ、よくて四〜五%といったところかの」
「ついさっき、遺骸の魔力を分析するっつーから『悪魔憑依』を再現したんだけどな。そん時に発覚したんだよ」
そう言いながら、指先からバアルの魔力を小っちゃい噴水みたいに放出して遊ぶヒルデ。皇帝杯の時よりも随分と成長したと思ってはいたが、それでもたったの数%か……。
「末恐ろしいな」
確かに、バアルの魔力は「昇華」した俺と同等レベルには多いのだ。もしそれを一〇〇%使いこなせるようになれば、ヒルデは一気に俺やマリーさん、ジェットといった皇国最強格に匹敵しうるわけで。
チート魔法士に成長する可能性を大いに秘めているヒルデ。もし俺達に並び立つほどの魔法士へとなってくれたら、きたる魔公との戦いにおいてもかなり余裕が生まれるだろう。
少なくとも前回の、世界樹の麓で「呪詛」のタナトスと戦った時のような最悪の展開は避けられる筈だ。
「まあ、これを機にヒルデガルトも修行に励むことじゃな」
「げっ、アタシ頑張るの苦手なんだけどなー」
「エーベルハルト。このプロジェクトが終わったらこやつのことを扱いてやれ」
「そうだなぁ。ヒルデの可能性を思えば、育てないわけにもいかないよなぁ」
頑張るのが苦手、ということは、逆に言えばこれまではあんまり頑張ってこなかったというわけだ。それであの強さなんだから、ヒルデは磨けば絶対に光るダイヤモンドの原石である。
「勘弁してくれよ」
「……ドンマイ」
いつもより若干小さくなったヒルデの肩をポンと叩きながら、俺は彼女を慰めるのであった。
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