第369話 ブレイクタイム

 俺をはじめとする極秘プロジェクトメンバーの姿は今、特魔師団皇都駐屯地の一画に位置する部外者以外立ち入り禁止の研究施設の中にあった。

 その施設の一室、会議室の中央に置かれているのはうっすらと紅い輝きを放つ宝玉だ。結晶化した魔王の遺骸を眺めながら、俺達はしばし無言のまま座り込んでいた。


「……ふぅ」


 誰かが一つ溜め息を吐いて立ち上がる。そのまま部屋の隅にあるやかんを手に取って湯を沸かし始めたのはレベッカさんだった。気分転換に紅茶でも淹れるんだろう。人数分のティーカップを用意してくれているあたり、俺達のことも気に掛けてくれているみたいだ。


 ところで何を俺達がそんなに悩んでいるのかといえば、それは遺骸からエネルギーを取り出す際のエネルギー伝達手段についてであった。

 魔王の遺骸は強力な負の魔力の集合体だ。質量を持つほどに濃縮された魔力が結晶化したのがこの宝玉なのだ。ゆえにこの遺骸が持つエネルギーの総量は限りなく大きい。少なくとも数年、数十年と使い続けても枯渇する心配が無い程度には莫大なエネルギーを秘めている。

 だがそれをどうやって取り出すかといえば、答えを持ち合わせていないのが現状であった。

 魔王の魔力は、負の性質を帯びているのだ。負の魔力は魔物や魔人、精霊の亜種である悪魔といった、人間とは根本的に相入れない存在に固有のものである。人間やその辺の野生動物、木々や草などの植物は大抵が正の性質を帯びた魔力を持っていて、負の魔力に当てられてしまったら良くて体調不良、最悪は魔力中毒で死に至ることだってあるのだ。

 そもそもの話、同じ正の性質を帯びた魔力同士でさえ波長を合わせなければ魔力酔いを起こすわけで、これが負の魔力になろうものならそれがどれだけ悪影響を与えるかは深く考えずとも自明だろう。

 以前マリーさんとともに戦った第二世代の魔人、「呪詛」のタナトス。奴の主な攻撃手段は、負の性質を帯びた固有魔力を相手に注ぎ込むことで中毒症状を引き起こし、もって相手を段階的に死に至らしめるというものであった。

 それくらいには、負の魔力というものは人間にとっては害のあるものなのだ。そしてそれを中和できるのは「昇華」した俺のみ。しかも俺にできるのはあくまでであって、エネルギーの変換ではない。俺は魔王の魔力を相殺できるにすぎないのだ。これではエネルギー源としての利用なんて夢のまた夢だろう。


「うーん……難しい」


 俺が「昇華」をしたということ、そして「昇華」がどのようなものなのかという話は既に彼ら研究メンバーには話してある。その流れで、俺が「昇華」する現場に居合わせたマリーさんも説明のためにこの極秘研究プロジェクトに顔を出しており、そのままここに居座っていたりするのだが……まあそもそもマリーさん自身が、俺にこの命令を下してきた中将会議の中核メンバーなのだから、別に今更気にすることもなかろうということで俺は彼女の参加を黙認していた。

 というか、マリーさんは軍の階級でいえば中将であって、俺よりも三つも階級が上なのだ。この年齢で大佐という高級将校をやっている俺も大概化け物の自覚があるが、中将というのはそれ以上だ。

 日本やアメリカ、ドイツといった地球の諸国では多少システムが異なるが、このハイラント皇国においては中将という階級は実質的に最高級なのだ。この国の軍事戦略を決定するのは「中将会議」なる複数の中将からなる合議制の議会で、中将より上の大将は皇国ではあくまでその中将会議の議長であるというに留まる。

 建国当時やかつて度々あったという戦時には「元帥」なる臨時の最高職も存在したらしいが、平時(と言っていいかは大いに謎だが)の今はそのような役職は置かれてはいない。少なくともまだではないとの判断が皇帝陛下ならびに宰相、そして中将会議によってなされている。

 何はともあれ、そんな最高位のマリーさんを交えての研究、そして会議を幾度となく繰り返してなお、俺達は魔王の遺骸からエネルギーを取り出す術を見出せてはいないのだった。


「あー、これじゃにっちもさっちもいかねぇな。気分転換に身体でも動かすか」


 そう言ってヒルデがぐぐっ……と背伸びをしながら俺のほうを向いて話しかけてきた。体格の割に意外と大きなその双丘が強調されて目に毒だ。思わず視線が釘付けになった俺のことをジト目で見たマリーさんが小さく脇腹を小突いてくる。

 ……仕方がないじゃないか。これは本能なんだから! ちなみに他の男連中は机の上の資料と宝玉に夢中で、そんなヒルデの痴態に気付いた様子はなかった。俺だけの眼福だな。


「あー、そうだな。このまま机に向かってたって何か新しい発見があるわけでもないだろうし」


 かつて日本で暮らしていた時にも、行き詰まったら散歩なり運動なりをしたら良いと耳にしたことがある。同じ人間なのだ。あっちの世界とこっちの世界で違いがあるわけでもあるまい。ならばヒルデの言う通り、軽く身体を動かすのも研究を進める上で小さな前進に繋がるかもしれないだろう。

 俺は立ち上がると、すっかり固まってしまった身体を捻って解す。パキパキ、と節々が音を立てるあたり、相当に長い時間同じ姿勢でいたんだなぁと改めて自覚する次第だ。


「マリーさんはどうする?」

「せっかくじゃし、妾も同行しようかの」

「あ、それじゃあついでにぼくも行こうかな。……けどその前にお茶を淹れたから、それを飲んでからにしようよ」


 レベッカさんがお盆に載せたティーカップを見つめてそう言う。せっかくの紅茶だ。ありがたく頂くとしよう。


「いただきます」


 レベッカさんの淹れてくれた紅茶は、渋くないのにしっかりと茶葉の香りが出ている。上等な茶葉を使っているというのもあるにせよ、彼女自身の腕が相当に良いんだろう。俺も高位貴族として紅茶の淹れ方にはかなりうるさい自覚があるが……非常に美味しい。


「ほぅ」


 思わず口からこぼれるのは、幸せの溜め息。研究はちっとも進んでいないが、なんとなく焦りがどこかへ飛んでいったような気がする俺であった。





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