第361話 一大プロジェクト
「そうだ、マリーさん。久しぶりに里帰りしたらどうかな」
「里帰り?」
「うん」
チャプン……という水音が響き渡る皇都ファーレンハイト邸・大浴場。素っ裸のマリーさんが幼くも艶かしい首筋に湯を掛けているのを眺めながら、俺はそんな提案を口にしていた。
「マリーさんはさ、これまで故郷を守り切れなかった責任を感じて五〇年以上も帰ってなかったんだよね」
「まあ、そうじゃの」
寿命の長いエルフ族にとっての五〇年がどれほどのものかはわからないが、決して短い時間ではない筈だ。それだけでもマリーさんがどれだけの責任を感じていたのかが窺い知れるというものである。
「皇国軍は旧エルフ族領への進駐を事実上決定したわけだけど」
皇国軍の進駐。それはこの機を逃してはならないという中将会議の判断でもあり、エルフ族の長年の悲願でもある。エルフ族自治領では既に、正規の軍人に加えて続々と義勇兵が集まってきているという。その数、実に数千。エルフ族が少数民族であることを考えればかなりの大勢力だ。
「そうなったらきっと旧エルフ領は戻ってくると思うんだ。……いや、取り戻すんだ」
「そうじゃの。妾も前線に出て、陣頭指揮を執ろうかと思っておる」
「それが終わったらマリーさん。一緒にエルフの村に行こう」
手紙では親族や長老達とやり取りを続けているらしいマリーさんだが、直接会うことはもうずっとしていないそうだ。
だから俺が背中を押してやろう。もう一度マリーさんが心から笑えるように。
「……そうじゃな。エーベルハルトよ、一緒に来てくれるか?」
「もちろんだよ」
「お主は優しいの」
湯船の下で、俺の手を柔らかく握ってそう言うマリーさん。俺はその小さな手を優しく握り返す。
「何せ、俺はマリーさんの弟子ですから」
「そうじゃったの。愛弟子じゃ」
*
「ファーレンハイト大佐。これがお前に下された新たな命令だ」
「拝領します」
特魔師団・皇都駐屯地。その団長室でジェットから手渡された書類の封を開け、中身を確認する俺。
「これは……マジで?」
「大真面目だぞ」
ジェットから渡された命令状に書かれていたのは、一行でまとめるならば「魔王の遺骸をどうにかせよ」という内容のひどく抽象的で曖昧な命令だった。
「エーベルハルト。お前は魔法学院やアーレンダール工房に太いパイプを持っているだろう?」
「まあ、そうだね」
俺は学院の特待生として教授陣からは比較的覚えも良いし、魔法哲学研究会の顧問でOGでもあるレベッカさんのような新進気鋭の研究者とも縁がある。アーレンダール工房に関していえば俺自身が筆頭株主だし、何よりそこの次期当主が俺の嫁だ。
「大佐。それらの最先端魔法技術を持った組織への太いパイプを活かして、魔王の遺骸を研究。これを利用できる手段を模索せよ」
「了解」
魔王の遺骸は今のところ軍務省に保管されているが、このあと特魔師団預かりとなるらしい。警備の衛兵くらいしか碌な戦力がいない軍務省よりも、団員のほぼすべてが優秀な戦力で構成されている特魔師団駐屯地のほうが保管に適していると判断されたらしい。
併せて、師団内でも主要メンバーである俺ことファーレンハイト大佐に安全な利用法の研究を移管することで、保管と研究を両立させようという魂胆だろうか。
まあいずれにせよ、命令された以上は軍人なのだから任務を全うしなければなるまい。
「では、失礼します」
「おう。頑張れよ」
最後にフランクな雰囲気になったジェットに片手を軽く上げて答えてから、俺は特魔師団皇都駐屯地を後にする。
さてと……どうするかな。ジェットから支持された書類に記載されている予算額は、目が飛び出るくらい莫大だった。それこそ小国の国家予算くらいなら軽く吹っ飛びそうなほどに大きな額である。中将会議が……皇国がどれだけ魔王の遺骸を重要視しているかが、これだけでもよくわかるというものだろう。
そんな一大プロジェクトを任されるほどに信頼を得ていることを喜ぶべきか、はたまた責任の重さに苦しむべきなのかはわからないが。
「まずはプロジェクトメンバーの選定だな」
その基幹人員として起用をジェットから遠回しに提案されたメイは、俺の頭の中では既に内定が決定している。彼女は軍人ではないが、皇国軍に武器弾薬など各種兵器を供給するアーレンダール工房の次期当主兼実質的な経営・研究者として、既に半ば軍属扱いを受けている身だ。従う義務こそないものの、断ることは依頼する側もされる側も想定していない。
「あとは……研究者が何人か必要だな。他にもプロジェクト全体を管理するマネージャーに、実際の研究設備を作るための技術者、鍛冶師、それと上級の魔法士が何人か……」
技術者や鍛冶師はいつも通りアーレンダール工房の職人でいいだろう。魔法士は宮廷魔法師団に頼んで信用できる人間を何人か寄越してもらうとしようか。特魔師団からも適任者を見繕ってやれば、かなりの人員が集まる筈だ。
あとは魔法学院の知り合いにも声を掛けてみるつもりだ。教授陣や研究者の中から、誰か良い人を紹介してくれるかもしれない。
「こんな超巨大プロジェクトを任される日が来るとはね」
世界樹攻略の件も充分重要な任務だったが、今回の任務もそれに比肩するくらいには重要な案件だ。もしこれを無事に達成できたら、また昇進してしまうかもしれない。そうしたら俺は十代にしてまさかの将官だ。佐官ですら十代は珍しいというのに、将官ともなれば前代未聞級の昇進の早さだろう。前例が皆無ではないとは聞いているが、いずれにしても数十年に何例かあれば多いほうらしい。
「魔王の遺骸か。無力化以外に更なる活用法を見出せ、と言われてもなぁ……」
少々どころではない悩み事に頭を抱えつつ、俺は皇都の街をてくてくと歩く。気が付けば、だいぶ日も短くなってきていた。
「風が涼しいな」
魔法学院の四大行事である秋の文化祭まで、もう残り僅かな期間しかない。
「そっちについても何か考えないとな」
学生と軍人。二足の
それでもたまに気分転換で野良ワイバーンとかを駆りに行くこともないわけではないので、言ってみれば三足の草鞋を履いているわけである。
「帰ったらメイと相談だな」
あいつは推薦入学組だから、必修授業が多くて大変だとぼやいていた。だからメイは今回の文化祭で何か功績を上げて、俺やエレオノーラのように特待生になろうと画策している最中なのだ。
そんな忙しい時期の貴重な時間をもらうわけだから、たとえ夫とはいえ話し合いは必要だと思うのだ。
「お! ちょうどいいところに酒屋が。あいつに土産でも買って帰ろう」
たまたま目に入った酒屋へと入り、適当に美味そうな度数の高い蒸留酒を見繕う俺。
……ほう? 一〇年ものか。美味そうじゃないか。
「これ、お願いします」
「お、お客さんお目が高いね。毎度あり」
蒸留酒の瓶をインベントリに放り込んで、もう終わりかけの夏の風に吹かれながら俺は帰り道をのんびりと歩く。
久しぶりの家だ。今日はゆっくり寝る……前にしっぽり楽しんでから、休むとしよう。
――――――――――――――――――――――――――
[あとがき]
あけましておめでとうございます!
箱根駅伝が楽しいですね。常石の母校も頑張ってくれているみたいで、なんだか嬉しいです。
今年も『SFオタク建国記』ともども、常石作品をよろしくお願いします。
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