第145話 本官の責務。俺の覚悟。

「し、勝負ありじゃ! ……クリストフ、お主毎回それじゃな! 早ようその手を抜かぬかッ、このたわけが!」

「死なないのなら問題ないだろう。何のための『精神聖域』だ。過保護エルフめ……」


 確かにクリストフの言う通り、オスカーの腹を貫いていたように見えていたその攻撃は、実際に彼の腹部を貫通していた訳ではなかった。もちろんのだが、それでも現実に腹に穴が空いた訳ではない。肉体的ダメージを精神的ダメージに変換できるのが、この結界の特性だからだ。


「馬鹿者め。たとえ精神であったとて、ダメージが強すぎれば死に至ることも無い訳ではないのじゃぞ。お主は人殺しになりたいのか」

「この程度で死ぬような奴一人二人に情けをかけたとして、何の役に立つ?」

「クリストフッッッ!!」


 あの穏やかのマリーさんが激昂する。幸い、オスカーは特に致命傷を負っている様子もなく、普通に気絶しているだけのようだが……今のは流石に俺も頭に来たな。

 言葉に言い表せないような冷たい感情が脳を支配して、思考が一気に研ぎ澄まされていく。


「マリーさん」


 俺はオスカーのために怒ってくれているマリーさんの肩に手を置いて、振り向かせる。


「な、何じゃ。今こいつを指導せんで、いつ誰がこいつを指導すると言うのじゃ」


 俺はゆっくりと首を振ってからマリーさんに告げた。


「マリーさん。こいつは

「え、エーベルハルト?」

「『三つ子の魂百まで』って言葉があってね。人間の本性ってのはそう簡単に変わるものじゃない」

「『わらべの根性、死ぬまで治らず』のことか? 確かに妾の育ったエルフの森にも似たような言葉があったが……、しかし、妾は教育者じゃ」


 へえ。異世界にも似たような言葉があったとは。ただまあ、マリーさんには悪いが、クリストフの人格を矯正するのは流石に誰にも不可能だろう。マリーさんは優れた教育者だが、そんな彼女の下で一年間修行を積んでも変わらなかった奴なのだ。いや、そもそも奴はマリーさんの教えすら拒んだのだったか。つくづく救えない奴だ。


「マリーさんのその教育に対する熱は、もっと別のところに注ぐべきだ。あいつはもうマリーさんの手を離れている」

「え、エーベルハルト……」


 薄々マリーさんも気付いているのだろう。もうあいつがどうしようもないということに。だが、教育者としての彼女の立場がそれを明確に言語化することを許してくれない。

 だから俺が言語化する。そして問題を片付けてやるのだ。


「俺が叩く。手加減抜きで、だ。叩き直すなんて生易しいことは言わない。俺はクリストフを叩き潰す」

「……………………」


 その言葉を聞いたマリーさんの瞳は、揺れ動いていた。教育者の責務として誰一人見捨てることなく立派に育て上げることへの使命感と、一人の人間としてどうにもならない現状から救われるかもしれないという安堵との間の揺らめきに。

 マリーさんは何も言わない。何も言えない。


 ――――別に殺す訳ではない。ただ、再起不能くらいにはなってもらうだろう。どれほど憎くても、どれほど相手が悪だったとしても、相手の人生を大きく左右する行為を自分が働くなら、その意味を事前によく吟味する必要がある。


 だから、これは俺の自己満足だ。マリーさんが苦しんでいて、他の皆も辟易としていて、そして何より俺自身が許せなくて。だから俺は自分の力を思うがままに振るうことで、その問題を強引に解決したいと考えている。

 その結果、たまたま皆が楽になったり、たまたまマリーさんが救われたりするかもしれないが、それは決して彼女達のためなんかじゃない。


 俺は、俺自身のエゴイズムのために力を振るうのだ。だからこそ、その結果がどんなものであれ、責任を負わねばならないだろう。その覚悟を今、決める必要がある。でなければ俺は無責任なそこの男と同じになってしまうだろうから。



「特魔師団第201分隊隊長、エーベルハルト・カールハインツ・フォン・フレンスブルク・ファーレンハイト大尉の名前と責任において宣言する。クリストフ・フォン・ブランシュ。お前は未来ある若者達を徒らに弄んで、その命を危険に晒し、加えてそのことへの反省の意志も一切見られかった。以上の点から本官は、クリストフが今後も同様の危険を発生させかねない危険分子であると判断した。よって、皇国軍服務規程第9条『国家背信者への対処の責務』に基づき、皇国の未来のためにお前を排除する」

「何? 俺を、排除だと?」

「ああ。排除だよ」


 空気が張り詰め、一触即発の雰囲気になっていく。


「……面白い。やれるものならやってみろ!」

「俺は勅任武官だ。抵抗すれば即皇国への叛逆と受け止めるが、良いのか? 引き返すならこれが最後だぞ」


 もっとも、言うだけ無駄だろうけどな。


「知るものか。……皇国も皇国だ。もう実家も国も知ったことではない。俺は好きなように生きてやる!!!」

「クリストフ……お前……!!」


 クリストフの叛逆発言に、ヴェルナーが前に出て叫ぶ。皆がクリストフを敬遠する中、彼だけは奴を気に掛けていた節があったからな。見捨てられないのだろう。

 だが、クリストフはそんなヴェルナーのことは歯牙にもかけていない様子だった。


「クソだ! この俺を肯定しない世界は全てクソだ!! こんなもの焼き尽くしてやる。俺は自由だぁあああッッ!!!!」


 全身に魔力を漲らせて叫び出すクリストフ。吹っ切れたせいか、奴の表情はこれまでにないくらいに晴れ晴れとしていた。

 この瞬間を以って、奴は伯爵家の人間という属性も、皇国の未来を担う魔法士としての役割も、奴を縛る事柄の全てを捨て去ったのだ。まるで重荷から解き放たれたかのように、ありのままの姿を見せて笑うクリストフの姿は、他の修行参加者達には少々衝撃的に過ぎるようであった。


「……クリストフは、これを望んでいたのか」


 後に引けなくなったにもかかわらずむしろ楽しそうなクリストフを見て、ヴェルナーが思わずそう溢す。


「クリストフは生まれる身分と立場を間違えたな。もしあいつが何の力も持たないただの村人だったなら、こんなに捻じ曲がることは無かったのかもしれない」


 まあ、そんなのはたらればの話に過ぎない。現実がこうなっている以上、これ以外の展開はあり得なかったのだ。


「ははははは! まずは手始めに何人か殺してやる!! お前らには辟易させられていたよ。特にマリーとエーベルハルトとヴェルナーだ。お前らは俺にとって目障りに過ぎた!!」

「……っ」

「自分のことを気に掛けてくれていた二人に対して、それは無いんじゃないのか。お前は道徳心って言葉を知らんのか」

「……道徳? お前の常識を俺に押し付けるな。俺はお前とは違う」


 自らに内面化された、人として備えているべき規範を持たない人間とはこうも歪んでいるものなのか。


「ヴェルナー」

「な、何だよ? エーベルハルト」

「人間関係は上手くいかないこともあるってことだ。今はできるだけ早く忘れるようにした方がいい」

「……そうだな。エーベルハルトの言う通りだよ。なかなか難しいな。人と関わるってのはさ」


 ヴェルナーもクリストフのことを気に掛けていたとはいえ、そこまで入れ込んでいた訳ではない。あまりにあんまりな態度を取り続けるクリストフに対し、修行仲間として唯一手を差し伸べようとしたのが彼だけだったという話だ。

 何とか現実を受け止めたヴェルナーは、神妙な面持ちでクリストフのことを見据えている。やんちゃな性格が目立つヴェルナーだが、何気にこのメンバーの中で一番優しい心を持っているのは彼なのかもしれないな、と俺は思ったりしていた。


「クリストフ」

「何だ、無属性の無能男」

「マリーさんと俺を相手にした上で、更に他の人間も何人か殺すだって? …………お前、それ本気で言ってるのか?」

「そうだ! 立場を捨てた以上、もう国から犯罪者扱いされても怖くはないからな。お前らは特に念入りに甚振いたぶってから嬲り殺してやる」

「そうじゃねえよ。――――って訊いてんだよ。いつからそんなに強くなったんだ? お前は」


 いくら才能があるとはいえ、その才能に胡座をかき続けてきたクリストフが、俺とマリーさんを相手にして他の人間を襲う余裕があるとでも?


 ――――そんなもの、ある訳がない。


「……っ、殺す! まずはエーベルハルト、お前からだ!!!」

「俺はお前よりも格上の貴族だし、勅任武官だ。恐喝に不敬罪に背信罪に……しょっぴくのには充分だな。…………こういうのは権力を盾にしてるみたいで好きじゃないんだけど、仕方ない」


 こうして試合は一時中断となり、俺とクリストフの実戦殺し合いが始まることとなった。マリーさんも中将としての立場から、これ以上背信行為を続けるクリストフを看過できないと悟ったのだろう。俺を止める様子は無い。


「死ね、目障りな無能め」

「根拠の無い自信は足元を掬われる原因になるぞ、叛逆者クリストフくん」


 本来なら一年間に亘る修行の成果を確かめるための試合だった筈が、こんなことになってしまうとはな。残念な気持ちを覚えつつ、俺にとってはなんだかんだで久し振りとなる対人戦がなし崩し的に始まってしまうのだった。









 


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