第131話 謁見準備

「エーベルハルトよ。出掛ける準備をせい」


 リンちゃんの名前が決定してからまた更に数日ほど経った日の朝。エミリアと朝の自主練で何度か組手をしてから、朝食を終えた時のことだった。まだ何人かが食堂に残っている段階で、俺はいきなりマリーさんにそんなことを宣告されたのだった。


「マリーさん? いきなり出掛けるだなんて、一体どうしたのさ」

「お主、自分が始原竜リンちゃんと契約したのをもう忘れたのかえ?」

「ああ、そういえばそんな話もあったな。……ってことはまた皇都に!? 陛下に謁見案件ですか!?」

「その通りじゃ」

「ぎいいああああああ!!」


 皇帝陛下から直々に謁見を賜り、その上で功績を認められるのは皇国民として、皇国貴族としてたいへんに名誉なことではあるのだが、いかんせん前世が日本の小市民たる俺にとっては、なかなかどうして緊張を抑えられるものではないのだ。あまり意識しすぎると地味に無視できないレベルで修行に支障を来すため、意識的に忘れていた節すらあるというのに、ここで蒸し返すとはマリーさんもなかなか意地が悪い。


「これでもギリギリまで黙っておったんじゃ。二日前の段階で既に知らせは届いておったのじゃぞ。お主がまた駄目になると思ってわざわざ直前まで秘密にしておいたのじゃ」


 マリーさん、まさかの配慮済みだった。


「いやあ、できたらそのまま聞かなかったことにしておいてもらえると……」

「あほか。相手は大陸一の大国の皇帝じゃぞ。お主も貴族ならその言い訳が通用せんのはよーーくわかっておろう」


 わかってるよ。わかってますとも! だからこうして必死に現実逃避をしようとしているんじゃないか!!


「リリーには悪いが、お主の転移魔法で送迎してもらうことになる。これも未来の夫のためじゃ。付き合ってたもれ」

「喜んでお供いたしますわ、お師匠さま。ハル君もしゃきっとしてよね。立派な姿を私に見せてちょうだい」

「ウン。頑張る」


 とは言ったものの、皇帝陛下に謁見するか、魔人との戦いかを選べるなら、俺は間違いなく魔人との戦闘を選択するね。あの大勢の議会の重鎮達に囲まれながら超が付くほどのお偉いさんに謁見を賜るってのは、それくらい緊張することなのだ。

 しかも平民出身ではないから、大貴族の次期当主として恥ずかしくないよう礼儀作法にも気を付けなくてはならない。本当に気が重い。リリーならその辺は完璧にこなすから、流石は辺境伯よりも格上の公爵家だなぁと実感させられるよ。まあ格上と言っても一つしか位は違わないのだが。


「謁見は今晩の6時じゃ。一旦皇都のファーレンハイト邸に寄って準備をしてからになるから、早いうちに行くぞ」

「当日の朝に言うなよ、もう!!」


 当日の朝に遊びに誘われるくらいなら笑い話で済むのにな。「今日、受験だよ」くらい唐突な話に、俺は辟易としながら出掛ける準備に取り掛かるのだった。



     *



「ハルさま。お久ぶち……お久しぶりでございますっ」

「噛んだな」

「いじわる言わないでくださいよ~!」


 リリーの転移魔法でファーレンハイト家皇都邸宅に飛んだ俺達を出迎えてくれたのは、俺の皇都での専属メイドのアリスだった。相変わらずドジっ子要素は健在のようで、早速出迎えの挨拶を噛んでいた。どことなくナディアに近いものを感じつつ、俺達は屋敷の中へと入る。


「「「お帰りなさいませ」」」


 屋敷の中では使用人達が整列して待っていた。特に今回はまたもや謁見ということもあり、主人の出世が嬉しいのか全員が勢揃いしていた。


「『白魔女』閣下にリリー様もようこそおいでくださいました。ごゆるりとお過ごしくださいませ」


 執事長が一緒についてきた二人に言う。二人ともにっこりと笑って応えていた。


「お召し物はこの季節、そして夕刻という時間帯に最適なものを用意してございます。特に今回はハルさまが主役の謁見ですから、やや豪華な路線で攻めることにいたしました! 珍しく陛下の御前でも無礼にならないので、腕の見せ所でした!」


 アリスが腕をまくって柔らかそうな腕で力こぶを作っている。可愛いのでプニプニと突いてやると、アリスは頬をぷくっと膨らませて怒った。その膨らんだ頬を押してやると、ぷしゅーっと音を立てて頬っぺたが潰れる。するとアリスが涙目になってきたので、その辺で弄るのをやめて褒めてやることにした。


「これ全部アリスが選んだのか。すごいな。主人として誇らしいよ」

「……きょうえつしごくに存じます!」


 使い慣れない難しい言葉で返すアリス。ドジなのは変わらないが、彼女もまた俺達がマリーさんの元で修行をしている間にメイドとして立派に成長しているようだった。



     *



「では宮廷に参ろうかの」


 謁見の二時間ほど前になり、アリスの用意してくれたお召し物に着替えてすっかり式典スタイルになった俺を見ながらマリーさんが言う。


「ハル君、立派よ!」

「ありがとう。なんか照れるな」

「そう照れることもあるまい。もっと胸を張れ。お主は立派な皇国騎士じゃ」

「そうだね。堂々と見えるようにしないとね」


 でないとせっかく格好いい衣装を選んでくれたアリスに悪いしな。


「宮廷よりお迎えの使者が参りました」


 使用人が部屋に入ってきて、伝えてくれる。


「わかった。今行くと伝えてくれ」

「かしこまりました」


 表に出ると、近衛騎士団の団員と思しき使者が二人ほど、馬車を用意して待っていた。


「ファーレンハイト卿。お迎えに上がりました」

「お勤めご苦労様です」


 敬礼してくる騎士達に答礼し、馬車に乗り込む俺達。今回は婚約者のリリーに、修行で俺がリンちゃんを召喚するきっかけになったマリーさんも呼ばれているので、二人とも俺ほどではないが綺麗におめかししている。リリーはいつものように美しさと可憐さを持ち合わせたドレスを、そして意外なことにマリーさんもまた大人びた印象を抱かせる落ち着いたデザインのドレスに身を包んでいた。いつもの印象が、のじゃロ……可愛らしい幼女だったから、思いがけない大人の魅力に少しドキッとしてしまったのは秘密だ。……これが世間で言うギャップ萌えか。


「言っておくが、妾は皇国の中でもトップクラスで年長者なのじゃからな」

「ワカッテルヨ」


 もちろんエルフ族自治領は除くが。あそこは平均寿命がその他の地域と軽く一桁は違う地域だからな。エルフ達の中ではマリーさんは比較的若手に入るそうだ。もっともハイエルフの彼女にとって、寿命という概念は極めて希薄であるそうだが。まったく人族の俺からしたら羨ましい限りである。不老不死はあの宇宙の帝王の冷蔵庫様ですら手に入れられなかったのに、流石は異世界のファンタジー種族である。


 そうこう言っている間に宮廷に着いてしまった。さあ、いよいよ謁見が近づいてきたぞ。


「こちらでお待ちください」


 騎士に案内されて、俺達は控室で待機する。


「お連れ様方はこちらへ」


 どうやら二人は別室での待機になるようだ。


「頑張るのじゃぞ」

「基本は前回の通りでいいからね。かっこいい姿、楽しみにしてるわ」

「うん」


 二人と別れて、俺はしばらくの間瞑想する。それにしてもこういう待機時間が一番緊張するよな。いきなり謁見、とかの方がまだマシだと思う。下手に緊張する時間を与えられている方がしっかり緊張しちゃうものなのだ。行き当たりばったりの方がよっぽどいい。


 深呼吸を繰り返して心臓の鼓動を落ち着かせていると、騎士の人が控室に入ってきて言った。


「準備が整いました。こちらへどうぞ」








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