第112話 強くなる理由

 尋常なる勝負が終わったところで日も暮れてきたため、今日の修行はお開きとなった。五つ覚えねばならないノルマはまだ一つ達成できていないが、急遽試合を行うというハプニングがあったため仕方のないことではある。明日また頑張ればいいだろう。

 こうしてだんだんと負債が溜まっていくんだなぁ……と、学生時代に課題を期限までに提出せず利子でどんどん課題の量が膨れ上がっていったクラスメイトのことを思い出しながら、俺はマリーさんの屋敷の居間で一休みする。彼は無事に卒業できただろうか。課題をやらなければ単位は出さないと先生に宣言されていたが、溜めまくった結果、最終的にノート数冊分になってたからなぁ。絶対あの利子は法外だと思うね。腱鞘炎が心配になるレベルである。


 そんなことを考えながら魔力練成の修行に瞑想をしていると、エミリアがやってきて隣に座った。ぽすん、とソファが軽く沈み込む。


「なあ、エーベルハルトはどうしてそんなに強くなりたいんだ? もう今の段階でも充分強いだろ」


 不思議そうにエミリアが訊ねてくる。まあその疑問ももっともだ。俺は既に皇国でも十数人しかいないSランク(数年前から何人か増えたのだ)の魔法士だし、Sランクの中でも決してドベという訳ではない。全力の俺より強い人間なんて片手の指に収まる程度いれば多い方だろうし、俺はもう決して弱い人間ではないのだ。

 現に魔人相手だって今のところ勝率100%だしな。まあ、その内一人は不戦勝な訳だけど。


「んー……。もしものため、が一番かな」

「もしも?」

「うん。最近、魔人やら不法移民やらで何かと物騒だろ? 戦争だって起こらないなんて保証はどこにも無いんだ。もし100万の兵が攻めてきたら? もし魔王が復活でもしたら? ちょっと非現実的な話かもしれないけど、万が一が起こった時に後悔はしたくないんだよね。だからそれに備えて修行をしてる」


 異世界に転生する、なんて非現実的な話がここに実在しているのだ。魔王復活やら世界対ハイラント皇国、なんてトンデモ展開も可能性はゼロではない。もしそのゼロでない確率が的中して、家族や身の回りの人達を失うようなことにでもなってしまえば目も当てられない。この世界に来て、努力が必ず報われるようになって、周囲を顧みる余裕ができて、そしてようやくできた大切な人達なのだ。この幸せを俺は失いたくはない。

 そんな意志が伝わったのかはわからないが、エミリアは俺のトンデモ話を笑うことなく頷いてくれた。


「なんか、あたしには難しいことはわかんないけどさ。エーベルハルトってすごいヤツなんだな」

「えっ? 何でよ」

「すごく先を見てて、そのために必死に努力してて、それでも今の幸せを満喫してんだろ? 並大抵のヤツにできることじゃないと思うぜ」


 普通ならストイックに修行一筋か、サボっちまうかのどっちかだからな、と言ってからから笑うエミリア。俺はその姿を見て納得していた。


 確かにエミリアの言う通りなのだ。普通ならストイックに生きるか、怠けてしまうかのどちらかだ。両方を選べるほど人生は長くもなければ、人の体力・気力も多くはない。多くの人はそこで怠けてしまうし、怠けずとも周りを顧みずにひたすら一人でストイックなまでに突っ走ってしまう。その良い例が前世の俺だ。俺は日本に生きていた時、友人なんて作らずにひたすら勉学に励んでいた。それでも才能を持った人間には敵わず、自分自身に嫌気が指していたのだ。

 しかし、今こうして振り返ってみて思う。あの頃の俺の人生は豊かではなかった。勉強一色で、灰色で、くすんでいた。だが今はこんなにも幸せで、大切な仲間達に囲まれて、人生が七色に輝いているのだ。

 豊かな人生を送りたいなら、豊かな経験が無ければいけない。そのためには幅広い人間関係と、何でも挑戦する姿勢が必要なのだ。俺は前世の18年間と、この短い12年間でそれを学んだ。

 何だか少し人生哲学っぽくなってしまったが、おおよそ間違いという訳でもあるまい。現にこうして俺は今幸せなのだ。ならばその幸せを守るためにもっと強くならないとな!


 俺は抱いていた卵のタマちゃんにたった今練り上げた魔力を注いでやる。タマちゃんは手をぽんと置くだけで魔力を自分で吸収するいい子だから、将来が楽しみだ。


「早く生まれてきてくれよ」


 仄かに光る卵の表面を撫でながら、俺はそう小さく呟くのだった。



     ✳︎



 次の日。起き抜けに俺達を招集したマリーさんは腰に手を当てて宣言した。


「まだそこそこ離れてはおるが、数日以内に到着するであろう距離に他の修行参加者達がちらほらと近づいてきておる。今回の要請は随分と急であったがゆえに、妾の屋敷には彼ら全員が寝泊まりするだけのスペースが無い。よって本日の修行は少々趣きを変えて、修行参加者の寝床の確保も兼ねて前線基地の建設訓練を行うものとする!」


 なんだか本当に軍隊みたいな訓練だな。素直に「部屋数足りないから手伝って」って言えばいいのに……。


 と、そんなことを考えていたのが表情から伝わってのだろうか。隣に立っていたヨハンが俺に近づいてきて、そっと教えてくれる。


「マリー閣下は出身こそ皇国の出ではないが、現在は歴とした皇国の人間。そして名誉伯爵と皇国軍中将の位を陛下より賜わっておられるお方だ。軍事訓練の名の下に基地建設を指導なされても不思議ではない」

「えっ!? 中将!」


 中将といえば皇国軍の中でもほとんどトップに近いじゃないか。特魔師団団長のジェットと同じ階級といえば凄さが伝わるだろうか。皇国最強だからそれなりに偉いとは思っていたけど、まさかそこまでとは……。半ば世捨て人みたいなものだから、てっきり俗世とのそういう繋がりは薄いと思っていたのだが。


「考えてもみろ。こんな辺境も辺境、いくら強力な魔法が自由に使えるからと言って、ここまで立派な屋敷を構えて維持管理をしつつ自給自足する生活がどれだけ大変であろうか。何かしらのバックアップがあるに決まっている」


 確かに、マリーさんは理由こそ不明だが、こんな魔の森のど真ん中に引きこもっているにもかかわらず、かなり裕福そうな生活を送っている。そもそもどうやって僻地にこんな立派な屋敷を建てたのか、日々の素敵な食事の原料はどこから調達しているのかなど、今まで意識してこなかった疑問はいくらでも湧いてくる。


「ほれ、そこ。本人の前で噂話をするでない。ハイエルフの耳を嘗めるでないぞ」


 長めのお耳をぴこぴこさせながら半眼で睨んでくるマリーさん。ご機嫌斜めな子供が膨れているみたいでなんだか可愛い。それとハイエルフマリーさんの耳なら舐めてみたい。反応が気になる。


「ヨハンの予想の通り、妾には皇国からの支援が潤沢に用意されておる。妾とて、別にこの森で遊んで暮らしている訳ではないからの。極秘任務を兼ねつつ隠居しておるのじゃ」


 魔の森での極秘任務……。立地的に公国連邦の監視とかだろうか。エルフ族という出自も相まって、何やらキナ臭いものを感じないでもない。


「エーベルハルトよ、余計な勘繰りは要らぬ。いずれ知る時は来るじゃろうが、それは今ではないの。今は修行に集中せい。……まったく、お主は妙に鋭いからの。鋭いのはまつりごとを司る貴族としては正しいのかもしれんが、命令を受けて戦う一兵士としては厄介じゃの」

「イ、イエス、マム」


 これでも大貴族の嫡男としてそれなりの教育を受けてきている。その中には当然、皇国史の教養も含まれている訳で、そこには五十年前の公国連邦との戦争に関する知識も存在している。

 かつて、現在のエルフ族自治領はハイラント皇国領ではなく、さらに言えば今よりももっとずっと広かったと聞く。その領土の大半を失ったのが、五十年前の公国連邦による侵攻事件だ。口にするのも憚られるほど数多くのエルフ達が命を失ったと聞いている。ハイラント皇国も国益を守るためにエルフ族領へと進出し、追い詰められたエルフ族と協定を結んで保護領化することで公国連邦に対抗。皇国、連邦は双方共に甚大な被害を出しつつ、戦争は収束したそうだ。

 マリーさんは約二百歳。当然、当時も戦争に参加していたことだろう。彼女が一体そこで何を見て何を感じ、何を考え、どう決断したのか。彼女が自ら語らない以上、こちらは想像することしかできないが、その結果が今の状態なのではないだろうか。

 マリーさんが魔の森に引きこもってに就き続ける意味。それは自ずと予想できよう。


「……それではまずは建設資材の確保じゃ。各自、できるだけ真っ直ぐな木を伐採し、正午までに建設に足る木材の調達に邁進せよ!」

「「「「「はい!!」」」」」


 今日もまたハードな一日になりそうだ。

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