第53話 回顧録 〜『纏衣』〜

 北将武神流「裏」の修行は壮絶を極めた。膨大な魔力に回復魔法、固有技能【継続は力なり】のいずれか一つでも欠けていたら成り立たなかった修行だ。五年間みっちり修行して、ようやくオヤジを超えた時には嬉しさのあまり涙が流れたくらいだった。

 『将の鎧』は一年でマスターした。元から魔力刃などが使えていた俺は、魔力の実体化を極めるのにそこまで時間がかからなかった。ただでさえ魔力量が桁外れに多いのだ。魔力消費量が多い『将の鎧』は、むしろ俺にぴったりの魔法だと言えた。

 それに対し、『纏衣まとい』の習得はめっちゃくちゃ時間がかかった。ある程度モノにするのに2年、そこから実戦に耐えるレベルまで仕上げるのに3年かかった。

 食卓の席に着きながら、俺は当時の辛い修行の日々を思い出していた。



     *



「エーベルハルト。魔力の扱いに長けたお前ならわかるだろう。通常の『身体強化』と『纏衣』の違いはどこにある?」

「通常の『身体強化』は魔力を強化したい部位に集中させることで肉体を強靭化、活性化させる。けど『纏衣』はそうじゃない。もっとこう、全体に細部まで行き渡っている感じに見える」

「かなり近いな。しかしそれでは正解とまでは言えない。確かに魔力を全身の隅々まで行き渡らせているのは間違いない。ではどうやってそれをやっている?」


 北将武神流「裏」の授業を始めるにあたり、オヤジが難題を突きつけてくる。予備知識も何も無い状態で、どうやっているのか当てろと言われても、普通は答えられないと思うのだが。


「うーーん……。隅々まで……。魔力回路を拡張している……? でも魔力回路は現実に存在する身体の器官じゃないから『身体強化』には繋がらない筈だしな……」


 悩む俺は一旦深呼吸をして、考えを整理しようとする。


「魔力回路ではない。魔力回路の拡張は魔法を使う時には役立つけど、それだと魔法の威力が上がるだけで身体の強化には繋がらない。だから魔力回路を鍛えて太くしても、『身体強化』の威力増大には繋がるかもしれないけど隅々まで強化を行き渡らせることにはならない。無理矢理そうしようものなら、魔力の消費量がとんでもないことになる」


 つまり、普通の魔法の訓練の時のように、ただ威力を高めるという考えのままでは駄目だということだ。発想の転換が必要になる。


「だーーっ、わかんねぇ。これを思いついた初代様ってのは凄い人だったんだなぁ」


 はぁ、ともう一度深く溜め息をついて、俺は空を見上げる。ハイトブルクは空気が美味しい。日本も世界の中では空気が綺麗な方だったが、それでも東京みたいな都市は排ガスやら埃やらで田舎の山奥よりかは空気も汚れていた。

 ハイトブルクは広大な自然のすぐ隣に存在する地方都市だ。空気はとても綺麗だし、何より星空がよく見える。ここから見上げる星空は、地球のものとは全く異なる星空だ。夏の大三角も、オリオン座も天の川も無い。似たようなものはいくつもあるが、地球から見えるそれらとは別物だ。

 まあ、今は昼間だからそんなのは見えやしないのだが。


「…………あっ、もしかして」


 俺はもう一度、オヤジの方を見る。


「何か思いついたか?」

「ちょっと、もう一回やってみてくれない?」

「……いいだろう」


 ズアァッ、とオヤジの身体の内側から魔力が、煙が立つようにして染み出し、オヤジの身体を包んでいく。呼吸とともにドク、ドクと、脈拍を経る毎にどんどん濃くなっていくそれを見て、俺は『纏衣』の正体を確信した。


「――――脈だ。正確には、血液」


 それを聞いたオヤジは「ほう」と感心したように目を見開き、続いてニヤリと笑って答えた。


「よくわかったな。正解だ。『纏衣』が全身に魔力を行き渡らせる秘密は血液にある」

「よっしゃあ!」

「説明しよう」


 自分で答えに辿り着けたなら、後は答え合わせということだろう。オヤジは『纏衣』について詳しく解説を始めた。


「お前も知っての通り、通常の『身体強化』は強化したい部位に魔力を集中させるだけだ。それだけでもかなりのパワーアップと強靭化が望めるが、それには限界がある」

「そうだね。それは俺が一番よくわかってる」


 『身体強化』なら俺も使える。魔力量も3万近くあるので、本来なら相当高レベルの『身体強化』が使える筈なのだ。しかし現実には、ある一定の段階まで強化したらそれ以降はどれほど魔力を込めようとそこまで強化できない。これを魔法士界隈では一般に「強化の壁」と呼んでいた。これは『身体強化』でも『物質強化』でも、およそ強化と名の付く強化系魔法であれば大抵の魔法に共通して言えることだった。強化には限界があるのだ、というのが魔法界での常識だった。


「しかし、武神流ではさらにそれを深く行う。それもただ力のゴリ押しで強化するのではなく、発想を転換して新しい方法で強化するのだ」


「その方法が『血魔混合』だ」


「まず圧縮した魔力を心臓に集め、心臓の中で魔力と血液とを混合させる。そうして魔力を帯びた血液を、血管を通じて全身に細部まで行き渡らせるのだ。血液は頭の先から足の爪先まで全身を巡っている。血液を通して全身に密に魔力を巡らせることで、通常の『魔力強化』とは段違いの密度で肉体を強化することができる。消費する魔力量は多いが、極めれば無駄は少なく、最高効率の強化を実現できるわけだ」


「血液を通って全身に行き渡った魔力は、汗腺から身体の表面を覆うように吹き出して全身を薄く覆う。まるで魔力を衣が如く、身体に纏っているように見えるから、この技を『纏衣まとい』と言う」


 オヤジの話を聞いて、俺は鳥肌が立っていた。怖いからではない。あまりの凄さに衝撃を受けていたからだ。

 血液を通して魔力を全身に送り込む。これは要するに、全身の細胞ひとつひとつを魔力強化すると言っているに等しい。細胞の概念が未だ発見されていないこの時代に、細胞単位での『身体強化』を思い付く。果たして、初代ファーレンハイト卿はどれほどの才傑だったのだろう。


「ただ、気を付けろ。絶対にいきなり心臓の中で『血魔混合』しないことだ」

「どうして?」

「加減を間違えると死ぬからだ。過去に修行中に倒れて亡くなったり、心臓が止まったり、一命は取り留めても上手く話せなくなってしまった者がいる。混合する魔力は少しずつ多く、段階的に全身を強化していかなければならない」

「………………」


 なるほど。心筋の力が異常に強化され、血圧が高くなりすぎて脳溢血とか、あるいは突然の魔力に心臓がびっくりして心臓発作とかが起こりかねないのだろう。いきなりは厳禁という訳だ。


「この修行は本来なら10歳から、というのにはそういう理由がある。この調節は果てしなく難しいが、その分、極めれば人間の限界を超えた強靭な身体と戦闘力が手に入る。我がファーレンハイト家が傑出した戦闘力を持つのも、この『纏衣』が使えるからだ」

「…………凄い」

「まあ、時間はかかるだろうが、お前なら習得できるだろう。俺の知る限り、お前ほど才能のある者は歴代当主にもそういない」

「……頑張るよ。頑張って父さんを倒してみせるさ」

「ふっ、まだお前には負けられんな。精々励め」

「数年後に同じことを言えるかな?」

「ははははっ」

「ははははは」


 こうして俺の辛く厳しい修行はスタートしたのだった。

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