第36話 精霊祭、夜の部 〜祭祀〜(改稿版)

 夜になった。街の人々は相変わらず飲んで踊って騒いでいるが、貴族と神官は別だ。

 精霊祭はこれからが本番。祭祀を執り行い、大地の精霊と天の神々に感謝を捧げるのが俺達貴族と神官の役目だ。先ほどまでの賑やかな祭りが精霊祭・昼の部だとすれば、今度は精霊祭・夜の部である。


「兄上」

「クリフォードか。久しいな」

「元気そうで何よりです」

「今日は大切な日だからな。おちおち体調を崩してもいられない」

「その通りですね。……エーベルハルト君も久しぶりだね」

「お久しぶりです。叔父上」


 オヤジこと、カールハインツ・クラウス・フォン・ファーレンハイトには、何人か兄弟がいる。とは言っても兄や姉はおらず、長男のオヤジの下に弟と妹が二人ずついるそうだ。

 この人はクリフォード・クラウス・フォン・ファーレンハイト。オヤジの一つ下の真ん中の弟で、ハイトブルクの社院の神官長を勤める人物だ。


「おひさしぶりです、ハルにーさま」

「あにき、おひさしぶりです」

「やあ、久しぶり。エレン。エドワード」


 彼女達は俺のイトコだ。叔父のクリフォードの子供で、エレンが長女。エドワードがその弟で長男。エレンが俺の一つ歳下で、エドワードは三つ下だ。エドワードは、ちょうど俺の弟のアルベールと同い年になる。二人とも俺のことを兄と呼んでくれる、可愛い姉弟達だ。

 クリフォードを家長に据える二つ目のファーレンハイト家の彼らは、俺達ファーレンハイト宗家の分家にあたる。宗家は領主を継ぎ、分家は神官を継ぐ。祭政一致とは言え、このようにして普段は聖俗を分担してこの広い辺境伯領を統治しているのだ。

 と言うのも、現実的な問題として文字通りの祭政一致などやっていられないからだ。ただでさえ領主としての仕事で忙しいのに、それに加えて神官の仕事などまず不可能だ。なので同じ一族ということで、普段はこうして分家に「祭」の部分を任せるのが世間一般の貴族の在り様だった。

 これは皇家であっても同じだ。皇帝陛下はハイラント皇国の統治で忙しい。なので、ハイラント神教総本社にあたる皇都オルレウスの神殿のトップ、ハイラント枢機卿は代々皇帝の弟か親戚の男子が世襲するのが習わしだった。


「そろそろ祭祀が始まる。皆、準備は大丈夫か」


 祭祀を行うにあたって、俺達は皆、神官の装束に着替えている。白い法服に身を包んだ俺の姿は、見た目だけなら立派な枢機卿だ。


「ハルくん、にあってるわ」


 同じく女性神官の法服に着替えたリリーがそう言ってくる。リリーもまた普段のお転婆娘の姿はどこへやら、白いローブ姿は清楚な感じがしてとても似合っていた。


「時間だ。それでは皆、練習通りに落ち着いて、緊張しないようにな」


 オヤジが主に俺達子供組に向かってそう告げる。俺は去年も参加しているし、何度も練習をしているので問題はない。リリーは相変わらずのお嬢様力で何とかするだろうし、実家が本職の神官である分家姉弟に関しては言うに及ばず、だ。


「大丈夫だよ」

「よし。では行くぞ」


 リーンゴーン……、と鐘の音が鳴る。祭殿に火がくべられる。さあ、精霊祭・夜の部の始まりだ。



     *



 それから数時間が経った。誰も失敗することなく、皆が所定の位置について感謝と繁栄祈願の祝詞を奏上したり、決められた所作に基づいてお供え物を掲げたりとつつがなく祭祀は進行し、そろそろ日付も変わろうかというあたりで祭祀は幕を下ろした。

 他家貴族からの使者や各ギルドの支部長、大規模な商会の会頭、警邏隊や内政官の上層部などが出席している中で、祭祀を終えた俺達は社院中庭で彼らの挨拶を受ける。こちらから挨拶周りに行かないのは、あくまで立場は俺達の方が上だからだ。


「この度はたいへんおめでたく云々」

「この度は遠路はるばる云々」

「今後ともどうぞよろしくお願い致します」

「あなたに精霊のご加護がありますように」


 この辺はまったく定型文だ。オヤジも叔父さんも、相手によって多少の文言は変えるけれど、基本的に言っていることは変わらない。これも付き合いというヤツだろう。大人というのはメンドクサイ生き物だ。


 全てが終わる頃にはもうすっかり真夜中になってしまっていた。6歳の身には厳しすぎる重労働だ。今にも意識が消し飛びそうである。


「お前達、よく頑張ったな。疲れただろうから、あとは帰ってゆっくり休みなさい」

「父さん達は?」

「俺達はまだ後片付けがあるからな。今日中にやらなければならないことを終わらせたら帰るさ」

「ふうん」


 精霊祭は、厳密には今日だけで終わりではない。祭壇にくべられた聖なる火が燃え尽きてしまわないよう、一晩中火の番をしていなければならないのだ。

 とはいえそれは俺達の役目ではない。ちゃんと火の番を行う神官が数名いるのだ。オヤジ達が言う「片付け」とは、彼ら火の番役に役目を引き継ぐこと。そうして明日の朝に然るべき手順を踏んで鎮火して、ようやく儀式は終了となる。

 この楽しくも大変な祭祀の役は、俺が当主を継承した段階で同時に引き継がれることになる。まだ家を継ぐまであと30年近くあるだろうが、今の内に少しでも慣れておかないと後が大変だ。


 ひとまず、今年の精霊祭は無事に終わった。今晩はゆっくり休むとしよう。



     ✳︎



 精霊祭を終えた俺達は、その後は特に大きな出来事もなく、穏やかな日を過ごした。外は暑いので家の中で本を読んだりお話をしたりして涼んでいたら、あっという間にお別れの日が来てしまった。


「まだかえりたくないわ」

「あんまり遅いと閣下も心配するから。通信魔道具もあるから悲しくないよ」

「そうね。また冬になるころにいくね」

「待ってるよ。秋には俺の方からもそっちに行くから」

「うん。それじゃあハルくん、またね!」

「またね、リリー」


 公爵閣下のお膝元、ベルンシュタットまでは約500キロ。公爵家の優秀な馬と高性能(実はこの一週間の間に荷車に用いたベアリングの改造を施してあるので、更に性能は増している)の馬車でも6日間の長旅だ。

 公爵家なだけあって優秀な護衛も複数人付いているし、主要街道には警邏隊の詰め所も複数ある。細い脇道ならいざ知らず、交通量が多いこともあって主要街道の治安はかなり良い。心配は要らないだろう。


「ばいばーーい!」


 やっぱりお転婆だな、と感じさせる元気な声を上げながら、馬車の窓から身を乗り出してブンブン手を振り回すリリー。よく見ると腰にはメイドのものと思われる手が巻きついていたので、馬車の中ではリリーが落ちないようにメイドが必死に掴んでいるのだろう。メイドも大変な仕事だ。

 そうして一週間の滞在を経て、リリーは公爵領へと帰って行った。


 今回のリリーの来訪では、メイとの確執はあったものの、メイが引いてくれたお陰で大きな問題にはならなかった。リリーもそこからはその話題に触れることなく、充分に楽しんでくれたと思う。俺としても久々にリリーと楽しめて良かった。

 ……さて、これからメイのところに行って埋め合わせをしないとな。

 俺はいつもの庶民(とは言っても「多少金持ち」程度に見せるよう意識しているので、身なりはそこまで悪くない)姿に変装し、革ポーチを身につけて、門番へと一言告げてから街へと繰り出した。

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