第6話 許婚は幼馴染……?
たいへん美味な昼食を終え、紅茶を飲んで食後にひと息ついたところで、オヤジがおもむろに口を開いた。
「エーベルハルト」
「な、なんでしょう」
怒ってはいなさそうとはいえ、こうも改まって呼びかけられると少々緊張してしまう。
「お前に会わせたい人がいる」
「俺に会わせたい人?」
「ああ。会わせたい……というか、友達になってほしい人、か」
「トモダチ……?」
前世ではそこまで親しい人間のいなかった俺にとっては、友達という言葉にはそれなりに憧れがあったりする。別に俺だって友達が欲しくないわけではなかったのだ。ただ、前世では作る余裕がなかった。
「お前も知っての通り、我がファーレンハイト辺境伯家は皇国北方の守護を任されている、名門貴族家だ」
「うん、そうだね」
皇国には通常の男爵・子爵・伯爵・侯爵・公爵の五つの爵位に加えて、辺境伯というもう一つの爵位が存在する(厳密にはさらにもう二つ、「騎士」と「準男爵」という位も存在するのだが、これは普通の貴族とは少々異なる性格を持つのでここでは一旦割愛する)。辺境伯は侯爵と同格という扱いだが、名称が示す通り、その役割が少々他の貴族とは異なっている。
辺境伯家の領地は、文字通り皇国の辺境にある。東西南北、四方からの脅威に備え、最前線で皇国の防衛を任された皇帝から厚い信頼を寄せられている名門武官貴族家。それが辺境伯という爵位の由来なのだ。
そして我がファーレンハイト辺境伯家は、北方の防衛を任され、四将と呼ばれる辺境伯家の中でも最強と名高い「北将」の地位に就いている。北西から北にかけては大山脈が、北の大山脈の麓から北東にかけては魔の森と呼ばれる危険地帯が、そして東には公国連邦との国境線があり、常にそれらの脅威に備え、皇国を守っているのである。
そんな我が辺境伯家は、皇国貴族の中でもそれなりに上位に位置する。そのため、色々付き合いとか取引があったりするものだ。武官としての性格に加えて、文官としても振る舞わなければいけない。そういう意味では貴族もなかなか大変だ。
「その様子だと何となく察してそうだが、一応伝えておこう。今回、お前が会う人とは、将来お前の許婚になるかもしれない人だ」
「いっ、許婚かぁ」
それは予想していなかった。てっきり信長と家康の関係みたいな人質案件だと思っていたのだが、そういうわけでもないらしい。というか、冷静に考えてみれば皇国の政情はかなり安定しているので、そもそも人質交渉なんて物騒なものが頻繁に起こるわけもないんだけどな。戦国時代の日本とは事情がまるっきり異なるわけだ。
「驚け。なんと相手は公爵家。臣籍降下したから皇位継承権こそ無いが、血筋的には皇族に連なる一派だ。先代皇帝陛下の弟君の家系で、そこの長女がお前と同じ年でな。この度めでたく許婚の交渉を行う運びとなった」
スケールがデカイ。日本で言えば、ロイヤルファミリーの親戚になるよ、と言われているようなものだ。
「ははは、流石にお前でもこれは驚くか。まあ安心しろ。公爵閣下は温厚な方だ。お前の許婚になる予定の娘さんも、お転婆だがいい子で可愛らしいと聞く。お前もさぞ気にいるだろう」
「は、はあ」
「なんだ、緊張してるのか」
そりゃもうね! 何せ前世を含めたところで、恋人なんてできたこと一度も無いんですから。なまじ前世の記憶がある分、悲壮感が大きくて辛い。根っからの童貞にコミュニケーション能力なんて期待されても困るよ?
「女の子相手に失礼なことをして、き、嫌われても勘当したりしないでね」
「勘っ当、ははははっ、珍しいな。お前がそんなに引き腰になるなんて」
「ハル君なら大丈夫よ。お父さんに似てとっても男前だもの」
「母さん……」
まったくこのラブラブカップルは、子供達の前であっても構わずイチャイチャしやがるから気が抜けない。情操教育によろしくないではないか! ……いや、夫婦仲を良好に保ち、愛情表現を素直に伝える見本を見せることで豊かな人格形成に役立つ……という側面もないわけではないから、一概に否定できるもんでもないんだが。ただ、精神的に幼い姉や弟妹はともかく、中身がほぼ成人の俺にはチョット甘々すぎて胸焼けしちゃうのだ。悪くはないよ。だけどほどほどにね!
「その子が来るのっていつ?」
「明日だ」
「いきなりすぎでしょ……」
「いや、予定自体は随分前から決まっていた。ただ、確定したわけではないからいつ流れるかも定かではない。そのような状態でお前に淡い期待を抱かせるわけにもいくまい」
お気遣いはありがたいが、もう少し心の準備をする時間は欲しかった。
「つきましては、ハル様に似合うお召し物をご用意させていただきましたので、この後は試着といたしましょう」
頃合いを見計らって、背後に控えていたアリサが割り込んでくる。おのれ、どうあっても逃がさんつもりだな。
「うむ、着替えたらサロンに来い。姉弟達に披露してやれ」
「私も楽しみにしてるわね〜!」
相変わらず子煩悩というか、なんともホワホワした様子の母親に見送られつつ、俺はアリサに連れて行かれて着替えさせられることになった。
ちなみにアリサ達使用人が仕入れてきた服は素晴らしくセンスが良く、俺としてもとても気に入った。確かにこれはイケメンボーイだ。モテモテ不可避である。姉弟達にもたいへん好評だった。
✳︎
次の日。朝食を食べ、アリサにお世話されて身支度を整えた俺は、玄関先にて待機していた。時刻は午前10時くらい。早朝に隣の宿場町を出発していれば、そろそろ城下町に到着してもいい頃だ。
「む、着いたようだな」
隣のオヤジが呟く。広大な庭園の正面に見える門から、立派な馬に引かれた上品な馬車がゆっくり近づいてくるのが見えた。
「気さくな方とはいえ、相手は格上の公爵だ。くれぐれも失礼の無いようにな。まあ、お前なら大丈夫だとは思うが」
「気をつけるよ」
細かい礼儀作法は貴族家の教育の一環で既に身についているし、気配りに関しても精神年齢は大人なので、問題ない程度にはこなせる。プロの接客業のような神対応は難しいが、儀礼的な対人スキル程度であれば大丈夫だ。
馬車が目の前までやってきて、停まった。先に御者が降りて馬車の扉を開ける。中からまず、三十後半くらいの紳士が降りてきて、次に俺と同い年くらいの(実際、同い年らしいが)女の子が降りてきた。
衝撃を受けた。何と言うか、俺は頻繁に衝撃を受けるが、ここまでの衝撃は人生の中でもそれほど多くないだろう。それくらいに大きな衝撃だった。
白いフリルのあしらわれた上品な意匠のドレス。明るい茶色の可愛らしい革の靴。ビスクドールのような白磁の肌。緩くカーブを描き、日の光を浴びて金色に輝くブロンドの髪。碧く透き通ったガラス玉のような瞳。
多分、運命的な出会いってのはこういうことを言うんだろうな、なんてことをぼんやりと考えつつ、せっかく準備しておいた挨拶もすっかり頭から吹き飛んでしまった俺は馬鹿みたいに突っ立っていた。
「こんにちは。ご機嫌麗しゅう」
リアルお姫様じゃん……。俺は惚けた頭でそんなことを思っていた。
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