激戦の鐘の音


 朝だ。今日の空は少々機嫌が悪いようで、しとしとと涙のような雨が降り注いでいる。部屋の窓から見える景色は薄暗く、朝だというのに重苦しい雰囲気があった。


「はぁ……」


 自分の胸に手をやる。やっぱり膨らんでいる。小さくなったオレの手では掴み切れないくらいまで膨らんだそれは、ぽよぽよと動く度に揺れて邪魔だ。産まれ落ちた時から少しずつ大きくなっていく普通の女性ならそんな感覚も弱いのだろうが、昨日今日いきなり女になったオレにはなかなか受け入れ難い。

 今日がオレが女で生きる最後の日だ。名残惜しくはない。この姿のおかげで良かったことが一つもないからだ。強いて言うなら、本当に強いて言うなら、アヤさんが喜んでくれたことくらいか。まあ美人が笑顔になってくれると言うのは男にとっての名誉みたいなもんだ。それがしょうもない悪戯から生まれたものだとしても、オレは甘んじて受け入れよう。


「エドガー様、おはようございます。もうお目覚めですか?」


 すると、小鳥のさえずりのような可愛いらしい声で朝の挨拶をしてくれるパトリシアが扉をノックしてくれた。昨日は色んなことがあって距離を置かれてしまったが、一晩経つことで落ち着いてくれたのだろう。いつもと変わりない日常だった。そう思っていた。


「……おはようございます」


「……おはよう」


 一歩だけ部屋に入ってきたパトリシアは、そこから微動だにしない。オレがベッドから身体を起こすと、それにびくりと反応して震えた。いかん、朝から辛い。オレの可愛いパティに嫌われてしまった。その事実に完膚なきまでに打ちのめされる。もう今日は何もしたくない。ずっと部屋の隅っこでキノコと仲良くしていたい。


「パティ、遠くないか?」


「……すみません。まだちょっと抵抗が……」


 抵抗か……。よりによってその言葉が出てくるか。いつだって優しい笑顔を振りまいてくれたパトリシアはもういない。でも分かってる。全部オレが悪いんだ。あんな事をしてしまったのだから当然だ。あれ、でもいや待てよ。そもそもの原因はあの丸薬にあるんだからオレ悪くなくね? 悪いのは全部アヤさんだろ。本当にあの人いらんことしかしないな。


「パティ、昨日はごめんな……。そうだよな、もうオレのことなんて嫌いになっちゃったよな……」


 自分で言ってて余計悲しくなってきた。そんな嘆き悲しむオレを見て、パトリシアも辛そうに俯く。だが、


「い、いいえ! 嫌いになどなっておりません! 私はいつまでもエドガー様のメイドのパトリシアでございます!」


「いや、でも……」


「昨日は、その……少し驚いてしまったのと、私の身体がエドガー様を受け入れる態勢になっていなかったことに戸惑っただけでございます。でも今は違います! お望みとあらば、今、すぐにでも……」


 パトリシアは赤くなって、オレから目線を外した。その碧眼が見つめるのは彼女の足元。もじもじと動く綺麗な脚を見つめていた。


「パティ……オレを、許してくれるのか?」


「許すだなんてそんな……。私はメイド。どうなさろうとエドガー様のお気持ち次第でございます」


 なんか空気が桃色になってきた。まだ媚薬の効果が残っているのか、身体が芯から熱くなってくる。パトリシアの潤んだ瞳を見つめるだけで、オレの手は震えた。ゆっくりとパトリシアに近づき、その手を握る。一度驚いたように肩を跳ねさせたが、すぐに優しく握り返してくれた。


「パティ……」


「エドガー様……」


「朝から何をやってるだ貴様らは」


『ふぉ!?』


 リーリが絡み付くような目でオレ達を凝視していた。パトリシアのすぐ背後にいる彼女に、今の今まで気がつかなかった。それだけ二人に世界に入り込んでいたのだ。


「以前も言ったが、この屋敷で主人と従者の関係は認められていない。そう言う行いは慎んでもらおうか」


 オレ達が繋いでいた手を、オレの腕を掴んだリーリがぱっと引き剥がした。そのまま物凄い握力を腕に込められる。


「痛い痛い痛い痛い!!」


「とは言え、メイドは主人から求められれば無下には出来ない。つまり、貴様が分別をつけるかどうかが重要なわけだ」


「分かります分かります! やめ、やめろぉ! 乙女の柔肌になんてことしやがる!」


「いつから貴様は乙女になった! ふざけたことぬかしていると叩き出すぞ!」


 リーリの万力のような握力攻撃は留まるところを知らない。肉を通り越して骨まで潰されそうになる。


「てめ、リーリ覚えとけよ! 痛い痛い痛い!」


「貴様など私の記憶に割り込んでくる資格はない!」


「お、お二人とも! 落ち着いて!」


 リーリの頭を片手でポカポカ叩くが、筋力を失った女のオレでは全くダメージを与えられない。ダメだ。女の子は多少弱々しいくらいが可愛げがあると思っていたが、そんなの机上の妄想だった。男だろうが女だろうが、自分の身を守れる強さは必要だった。


「ふん。さっさと食堂に来い。皆待っている」


「誰かさんのせいで余計遅れたけどな!」


「エドガー様、どうどう」


 なんて可愛げのない女だ。パトリシアやリュカをちったぁ見習え。

 痛む腕をさすりながら食堂に入ると、リーリの言った通り全員がすでに席に座っていた。魔王も上座に座っていたので、少ししまったと思う。


「遅かったではないかダーリン。朝の性衝動をパトリシアに処理してもらっていたのか?」


 リュカが紅茶でむせた。


「朝からフルスロットルだなあんたも」


 この人に天気の良し悪しは関係ないんだな。普通雨の日の朝って少しは気持ちが滅入るものなんだと思ってた。相変わらず皆逞しい。


「うむ、婿殿も揃ったな。ではいただこう」


 団長の存在を疑問に思うこともないらしく、魔王が食事を開始する。トーストにマーガリン、もしくはジャムを塗って食べる。焼きたてのトーストに染み込むマーガリンは絶品だ。


「では、皆食べながらで良いので聞いてくれ。壊れた屋敷の修理計画が出来た。明日から職人を雇って行ってもらう。リーリ」


「はい」


 何やら資料のようなものを抱えたリーリが、それに目をやりながら報告してくれる。


「修理は明日の昼から。壊れ方が壊れ方なので、魔法修理になる。よって、屋敷の至るところに魔法陣が描かれるのでそれに触らないように気をつけて。修理終了は一週間後を予定している。作業する職人は七名だ。以上」


 あの崩壊をたった七名という人数で一週間しかかからないのか。魔法ってやっぱり凄いな。オレも早く使えるようになりたい。


「ところで、そこのお嬢さんどちら様だ? 見た所人間のようだが」


 そして何故かこのタイミングで魔王がオレに気づいた。昨日あれだけ騒ぎ通していたのに気づいてなかったのかよ。


「ああ、この子リューシちゃんの元カノ」


 そして性懲りも無くアヤさんが事態をややこしくする。しかし、


「なるほど。ではゆっくり過ごされよ。何か不便があればリーリか、そこのパトリシアに言えば良い」


 魔王は平然とした表情で流してしまった。そのあまりの軽さに皆して目を丸くする。アヤさんは一人だけつまらなそうに舌打ちした。流石は魔王。器がでかい。改めてただの親バカではないと思い知らされた。











 お昼になっても雨は降り止まない。むしろ時折窓を叩きつけるような降り方をして、むしろどんどん天気は悪くなっているようだ。気温も上がらないし、長袖だと言うのに肌寒く感じてしまう。


「雨季?」


「そうだ。これから魔界は雨季に入る」


 屋内に作られた洗濯物を干すスペースで、リーリとパトリシア、リュカがせっせと洗濯物を干している。この屋敷の布は大体一度使えば洗濯に出してしまう。なかなか潔癖なのだ。オレは、そんな風に働く女の子達を座って眺めていた。最初は一緒に働こうと思ったのだが、パトリシアに二度手間になるから、と言われてすごすご引っ込んだ。おかしいなぁ。オレずっと一人暮らししてたから家事もそこそこ出来るはずなのに。どうも皆の家事スキルが高すぎていかん。


「一月くらいはほとんど雨の日になる。なのでこの時季は洗濯物が乾き憎くてな」


「まあ、だからこそメイドの腕の見せ所! なのですが、やはり私も苦手です。重たい雲ばかりだと陰鬱な気分になっしまいますよね」


 パトリシアみたいな明るい女の子でも陰鬱になったりするのか。


「……雨季なのにうきうきしないんですよね……ふふ」


「……」


「……」


「……」


 リュカが小声でとんでもないことを言った気がしたが、誰一人として拾わなかった。黙々と洗濯物を干し続ける。


「ま、まあ、そう言うわけだから、貴様も洗濯物はあまり増やさないでくれ」


「わかった。気をつける」


 部屋干しの洗濯物ってなんかサッパリしないしな。リーリやパトリシアがそんな不快な家事をしないことはわかっているが、そのぶん手間が増えてしまうだろう。


「でも、そうなるとヒマだな」


 雨だと外に出るのは気が進まないし、出たところで出来ることは限られてしまう。となると屋内にいるしかないのだが、それだと途端に時間を持て余してしまう。

 ここは異世界だ。ゲームもスマフォも、パソコンもない。テレビやコミックもない。あるのは本くらいだが、魔王の書斎はお堅い本ばかりで、暇を潰すと言うよりは勉学向けだ。ならば今こそ好機と見て魔法の勉強をすれば良いと思うかもしれないが、正直そればかりだと飽きる。もともと勉強はそんなに好きじゃない。どうしようかな。こんなに美女美少女に囲まれて暇してるとか男の風上にも置けない体たらくだが、オレなんて所詮そんなものだ。しかし、そんなオレ達のところに、


「なぁなぁ!」


 面白いこと大好きな美人お姉さんがやってきた。


「これ見つけたんよ! 今から皆でしよや!」


 にこにこしながらその白い羽で抱えるのは、小ぶりなカードケースだった。その中には、紫色のカードが何十枚も重ねられている。


「カード?」


「あ、それ『嘘つきのお茶会』ですね」


 パトリシアが珍しい物を見つけたような声で言った。その瞬間、場の空気が一瞬研ぎ澄まされた。あれ、なんなんだこの空気。

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