灼かれるような君を

火毒蜂


「はーい、そこに立って下さーい。竜の紋様のところには、貴方。羊の紋様のところには貴女。不要な荷物は置いていって下さいねー。転移の妨げとなるんでー。あ、あとお二人とも表情固いですよー」


 赤と青と緑のステンドガラスから差し込んでくる光を浴びながら、オレとリュカは指定された場所に立っていた。足元には三重の円陣と幾何学的な紋様が、床に白い線で細かく描き込まれている。


「おい。他のは分かるけど、表情は魔法に関係あるのか?」


「ありますよー。ネガティヴな被術者にはネガティヴな魔法しかかけられませんからねー。あ、はいオッケーでーす。じゃ、最終調整するんで、少し待ってて下さいねー」


 今は順調に進んでいるように思えるが、実際はオレ達はこの円陣の上でかれこれ三十分近く立ちっぱなしにされている。


「おい団長、こいつ大丈夫なのか?」


 くすんだ緑色のローブのフードを目深に被る少年がわたわたと走り回って転移魔法の発動準備をしている。しかし、どうにも信用出来なくて、円陣の外で腕を組んで見学している団長に文句を言う。


「安心しろ。彼は十四歳という最年少で宮廷魔術士になった天才だ。他の宮廷魔術士からの推挙があったのだぞ」


「実際は?」


「魔族と怪しい人間の転移などに力を貸したくないらしく、一番の下っ端がよこされた」


 ため息が漏れる。頭が痛い。リュカもエヘヘと苦笑いだし、オレも歯軋りしてしまう。不安一杯の目を少年に向けていると、


「グフフ。実は転移魔法って初めてなんですよねー。成功するかなぁ? 失敗するかなぁー?」


「チェンジ! チェンジお願いします!」


 全力で挙手する。ダメな予感しかしない。


「だ、大丈夫ですよエドガーさま! 見て下さい、この羊の紋様。良く描けてますよ。ほら、羊が一匹羊が二匹……。わぁ、わたくしこんなにもたくさんの羊に囲まれて……」


「いや待てマジで囲まれてるぞ!」


 実物の羊の群れに囲まれたリュカが、全身を舐め回されていた。どうしていきなり羊が出現してんだよ。


「あ! 間違えて召喚魔法の陣になってますねー」


「何なんだお前は!」


 王城の連中から嫌われている自覚はあったが、まさかこれ程までだったとは思いもしなかった。今から国王に抗議しに行こうかと本気で考えていると、魔法陣が完成してしまったらしく、青白い光が室内を満たし始める。


「あれ、まだ準備終わってないのになー。変だなー」


「しっかりしてくれよ! あと羊を何とかしろ!」


 既にリュカは数匹の羊に埋もれて見えなくなっている。絶対仲間だと思われてるな。もう何もかもがグダグダで、今すぐ魔法を停止させるべきだと思ったが、当の魔術士にはその気がないらしく、半笑いで魔力を高めている。最後に助けを求める気持ちで団長にすがるが、


「ん」


 真顔で親指を立てられた。このクソ女! 次会った時は絶対! 絶対……。ふと、辛い考えが頭をよぎる。次会う時は、お互いどんな立場なのだろう。またこうして笑い合って隣に立てるような状況であるのだろうか。


「そんな顔をするな」


 オレの心の内を察したのか、団長は笑った。長剣を鞘から引き抜き、切っ先を下に、剣を十字架に見立てるようにして構える。


「未来は分からない。だからこそ、私は次会う時まで高潔な騎士であり続けることを、この剣に誓おう」


 構えた剣が、赤く光った。それは、団長の瞳と同じ色と輝きを持って誓いの導となる。その美麗な燈がオレの心に焼き付いて、彼女との大切な約束となる。


「おう。オレも、まあ頑張るよ」


 団長のおかけで穏やかな気持ちで手を振り、目を瞑ることが出来た。魔法の発動を静かに待つ。


「では行きますよー」


 こいつの魔法だ。絶対にまた酔ってしまうはずなので、それ相応の覚悟をして、みぞおち辺りを手で抑える。青白い光がまぶたの奥まで飛び込んできて、魔法の発動を悟る。こい……! 今回こそは……しかし、


「あ、れ……?」


 どれだけ待っても、不快感がやって来ない。ただずっと怖い気持ちで目を瞑り続けるが、その時が遠い。


「エドガーさま。到着したみたいですよ。凄いです。お屋敷の目の前」


「え?」


 リュカに言われて目を開くと、確かにオレ達は屋敷の玄関前にいた。シンメトリーに広がる建物に、立派で重厚な扉。何日も過ごした魔王の屋敷だった。


「嘘。全然気持ち悪くない……」


「どうなるかと内心ヒヤヒヤでしたが、お見事です。お父様よりずっとお上手ですよ」


 その通りだ。これまでの転移魔法は、発動とともに全身を頭から引っこ抜かれるような感じがして、ああ、移動しているんだなという実感があったのだが、今回はそれが全く無かった。オレ達はただ立ったままで、周囲の景色だけが様変わりしたみたいだった。


「何にせよ無事に帰って来られて良かったです。王都のお土産は喜んでくれるでしょうか」


 リュカと二人で、例の黄緑色の果物をたくさん買ってきた。そのままではあまり美味しくないが、料理に使ったり、砂糖漬けや蜂蜜漬けにしてお菓子にするそうだ。個人的には蜂蜜漬けが楽しみだ。完成まで一月ほどかかってしまうらしいので、今から待ち遠しい。


「じゃ、入ろうか。ただいま」


「ただいま戻りました!」


 オレが扉を開けて、リュカを先に通す。数日ぶりにこの屋敷の匂いを嗅いだ。赤の絨毯、壁に飾られた絵画、置かれた壺。視覚を通してここに帰ってきたのだと再確認する。それはひどく心を落ち着けてくれるものだった。


「お父様! リュカ、ただいま戻りましたよ! お父様ー?」


 リュカが魔王を探す。しかし、不思議なことにあの親バカ魔王が一向に姿を見せない。前回離れ離れになった時は、帰ってくるなりリュカを小一時間抱き締めて離さなかった。今回も数日リュカと切り離されていたので、全力で飛び出してくるものと思っていたから何とも拍子抜けだ。それに、リーリも出迎えに来ない。二人そろって子離れ出来てきたのかな。そんな事を呑気に考えながら自室へ戻ろうとしていると、


「婿殿」


「うおっ!?」


 突然、背後からの低い声がオレを飛び上がらせた。振り返れば魔王の巨体が目の前にある。気配すら感じなかった。この魔王にはこうして何度も背後を取られる。これだけの質量の移動に気づかないなんて有り得ないと思うのだが、どうにもいつだって察知出来ない。


「あ、た、ただいま帰りました」


「うむ。息災で何より。それより、こちらに来てくれ。時間がない」


「え?」


 魔王が足早に屋敷の奥に入っていく。その焦ったような姿は初めて見るもので、響かせる足音がやけに耳に届いてくるのと、何故かはやる心臓の動きを同時に感じていた。それは何か。不安である。身体の芯から凍りつくような不安がオレを襲っている。


「ここだ」


「ここって、リーリの部屋?」


 屋敷の一番奥にあるのは使用人であるリーリの部屋だ。その小さな部屋はオレやリュカのものの半分にも満たない質素なものだが、彼女がそのことに文句を言っているのは聞いたことがない。


「入ってくれ」


「え、でも……」


 オレは、リーリからこの部屋に入ることを固く禁じられている。理由は知らないが、一度屋敷で迷ってこの辺りをうろうろしていただけで箒で追い払われたことすらあった。


「構わん。急いでくれ」


 魔王は、その巨体ゆえにリーリの部屋には入れない。扉を覗き込むようにして中を見るが、すぐに魔法で自身の身体を小型化させて進んでいく。部屋は思ったより赤やピンク色に染められていて、熊や兎の可愛らしいぬいぐるみがそこかしこに飾られていた。その部屋の奥、窓際には、


「昨日、屋敷のすぐ近くで倒れているのを私が発見した」


 目に飛び込んできたその光景に、オレの身体が身震いを起こした。そこには、顔を真っ赤にしたリーリが、額から流れる滝のような汗をそのままに、ベッドの上で苦悶の表情を浮かべていた。呼吸は荒く、数秒ごとに咽せ返り、その口からは血すら吐き出している。


「リーリ……? リーリ! おい、どうしたんだ! おい!」


 転げそうになるのを何とか堪えてベッドに駆け寄ったオレに、魔王の苦しげな声が届く。


「病名は分かっている。あと三日以内に特効薬となる薬草を投与しなければ、死ぬ」


 その時、ボロボロと複数の何かが床に落ちる音と、ギシ、ともたれかかるような音が背後から聞こえてきた。振り返ると、


「リ……リ?」


 リュカが 扉にしがみつくように尻を落としながら、その白い肌をさらに蒼白にして、こちらを、いや、リーリを見ていた。瞳は激しい動揺に揺れている。お土産として買ってきた果物の一つが、床に当たって皮に傷をつけた。












「時間がないから手短に伝える。リーリを蝕んでいるのは、火毒蜂と呼ばれる虫の猛毒だ。この蜂に刺されると、全身に火を噴くような激痛と高熱を発症する。毒はいずれ肺や心臓にまでめぐり、最終的には臓器を壊死させる」


「壊死って……じゃあ……」


 向かい合う魔王が、吐き出すように現状を教えてくれる。


「この毒はシミズ草という薬草があれば間違いなく完治する」


「だったら早く! あいつもう、あんなに苦しんで……!」


「聞きなさい。裏を返せばシミズ草以外助かる道はない。そしてそのシミズ草は、高地や洞窟にしか群生しない」


 絶望が波となって押し寄せてくる。


「ここには、ないのか……?」


 リーリの熱は、触れたオレの手を焼いてしまいそうだった。血の混じる咳は枕やシーツを赤く濡らし、呼吸は荒くなっていく一方だ。もう今すぐにでも苦痛で死んでしまってもおかしくないと思えるような状態だった。


「ここにはない。だから採りに行く必要がある」


「どこだ!? どこにある!?」


 魔王が、厳しい表情をさらに苦しげに歪めて声を絞り出す。


「軍神ルシアルの最大拠点である傀儡城の周辺か、憤怒の王サタニキアの洞窟都市だ」

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