淡い円錐


「いやぁ、今回もまた色々やっちゃったんだって?」


 先程からアーノンはニヤニヤしながらオレの周りをぐるぐると回っている。


「勘弁して下さい……」


 本気で恥ずか死ぬ。今になってやっと自分が何を喚いていたのか分かってきた。ありゃダメだ。しかもあんな大勢の前で、全員が聞き漏らすことなどあり得ない大声で叫び散らしてしまった。頭が痛いを通り越して腹まで痛くなってきた。

 オレが今いるのは、前回登城した時に借りた部屋だ。また二、三日ここで厄介になることになった。ちなみにリュカは隣の部屋で、牧村はその奥だ。一人一部屋、何とも豪勢なことである。


「今日の夕食は国王様が地方貴族との会食だから、三人でゆっくり食べれるよ。でも明日は会食してもらうからね」


「それはもう良いけどさ。リュカと牧村のことなんだが……」


 リュカは国王からもてなすとは言われたものの、誰かが命を狙ってきてもおかしくない。そして牧村は、つい今朝方まで引きこもっていたと言うのに、いきなり王城でお泊まりときた。オレにそんな様子は見せてこなかったが、二人ともかなりのストレスになっているはずだ。どちらも手放しには出来ない問題だった。


「あぁ、それなら大丈夫だよ。女の子二人は今ごろアロママッサージ受けてるから」


「え、マジで?」


「うん。団長が勧めたんだ。慣れない王城で緊張しているだろうからってね」


 ほう。団長にしてはなかなか気の利いたもてなしだ。


「あれって凄いよね。一回で肌がつるつるになるんだ。あ、でも」


 アーノンが悪戯っ子のような表情で口元に人差し指をあてる。


「いくら肌つや麗しい嫁になったからって、襲っちゃダメだよ? 合意云々はともかく、王城でそう言うのは全面禁止だからね」


「しねぇよ!」


 ここまでいらん世話も珍しい。ただ、二人に構う必要がないとなると、いきなり暇になってしまう。城内は近衛騎士達に睨まれて歩き辛いし、何よりクロードと鉢合わせるかもしれない。それだけは絶対に嫌だ。となると、この部屋に閉じこもっているしかない訳で。


「さて、僕も仕事に戻るよ。自由に過ごして良いからね」


「え、行っちゃうの?」


「そんな捨てられた子犬みたいな目をされても。団長が何日もいなかったせいで仕事が溜まってるんだ。じゃあね」


 最後に影のある苦笑いを残して、アーノンは行ってしまった。いよいよ本当に一人である。この世界に来て以来、何やかんやで面倒ごとの解決に奔走していたから、時間を持て余すと言うことがなかった。そう言う意味では喜ぶべきなのだろうが、いざこうして暇を与えられると、何をしたら良いのか分からない。一体いつからオレはこんなにも忙しない性格になってしまったのか。

 だが、こうしてじっくり頭を巡らせて思考出来るのも久しぶりで、なかなか悪くない。ソファにうつ伏せにダイブして、ゆっくり瞼を下ろした。

 ここ最近、毎日のように夢に見た奴について考察する。

 あえて暗い世界に身を投じることで、あの日をはっきりと思い出す。潮の香りを搔き消す猛烈な血の匂い。月光を吸い込む闇のようなダークスーツ。血を舐め肉を貪る刀身は、何百何千の光の瞬きとなって襲いくる。その切っ先が次々とオレの身体に突き立っていく。


「くそっ……」


 怖い。真の狂気と言うのを初めて目の当たりにして、オレの心に奴が擦り込まれた。あの不気味で不吉な男は、今何を考えているのだろうか。太陽が眩しいとか、風が気持ち良いとか、そんな生物らしい思考をしている姿が想像すら出来ない。

 そして、そんな意味不明で理解不能な奴とオレはまた闘わなくてはならないだろう。確信に似た気持ちで予感する。レヴィアには次こそ勝つなんて言ってしまったが、正直自信はない。奴の無限の剣戟をオレの龍王の右腕ドラゴン・アームだけでは捌ききれないし、あの異常な再生力を凌駕するための方策が見つけられない。オレが最強だったのは平和な日本でのことだ。このレギオンという戦乱の世界で、果たしてそれが通用するのか。


「いや、ダメだな」


 笑ってしまう。ちょっと一回負けただけで、こんなにも弱気になっている自分が歯がゆい。この気持ちをどうにかしない限り、勝負にすらならない。その時、


「失礼、よろしいでしょうか」


 静かに扉がノックされた。少し嗄れた男性の声がオレの入室許可を待っている。


「良いですよ。どうぞ」


 ソファから起き上がり、姿勢を整える。入ってきたのは、執事服をピシリと身につけ、白髪混じりの黒髪を撫で付けた初老の男性だった。顔に刻まれた皺こそ深いものの、その立ち姿は一本針が通ったかのように凛としている。


「初めまして。私、王女アミナ様にお仕えしておりますバッケスと申します」


「こちらこそ。オレは……江戸川竜士。まあ、素性はあいまいだけど、あんたらに危害を加えるつもりはないよ」


 自分で名乗っておいて何だが、あまりに怪し過ぎる。この世界でオレと言う存在を明確に証明出来るものが何もない。


「それで、何の御用ですか?」


「はい。実は、王女がぜひエドガー様にお会いしたいと申されておりまして……」


「王女が?」


 あの王女を思い出す。長い金髪をツインテールにした中学生くらいの女の子だ。国王同様、非常に利発そうな顔つきをしていて、オレ個人としても好感が持てる王女様だった。あの娘は将来絶対美人になる。


「魔王軍による攻撃を警戒するあまり、王女は産まれてからこの方、一度も王城を出たことがありません」


「つまり、話し相手が欲しい訳か」


「その通りです」


 しかし、一度も王城から出たことがないという話には流石に驚いた。いくら危険があるとは言え、それではまるで監禁じゃないか。誰の施策かは知らないが、厳し過ぎる。王女はさぞ不自由な思いをしてきたのだろう。


「分かった。オレなんかで良ければ。そうだな、リュカと牧村も呼んで……」


 年も近く同性の彼女達がいた方が良いと思ったのだが、しかしバッケスは慌てたように首と手を横に振る。


「い、いえ。王女は人の身でありながら魔界に赴かれたエドガー様のお話こそを楽しみにされておりまして」


「……? そうか。分かったよ」


 何故かバッケスがホッと息をついた。オレ一人を連れてくることをよほど厳命されているのかな。


「では、こちらへ」


 案内してくれるバッケスの身体が震えているように見えたのは、オレの気のせいか?










 カエルの悲鳴のような声が漏れてしまう。


「うげ」


「おや、そんなにも嬉しそうな顔をなさらなくても良いのに」


 バッケスに連れられてやって来たのは、王城の中の庭園だった。美しく整えられた花々が虹のように咲き誇り、城下町を眼下に一望できる。その庭の中央に備え付けられた木のベンチとテーブル。そこでは、忌々しくもクロードが座ってお茶を楽しんでいた。白い陶磁器のティーセットに、白いテーブルクロス。お茶菓子は優しい色をしたマカロンで、甘さが視覚を通して伝わってくる。だと言うのに、心がイガイガして仕方ない。


「何で、あんたがいるんだ」


「王女と二人きりでお会い出来るほどの信用があなたにあると?」


「いや、そうだけどさ……」


 もっと他にいるだろう。よりにもよってという感じだ。

 テーブルに立て掛けられた短槍はよく見ると細かく刃こぼれしていて、それがこいつの激しい戦歴を物語っている。いつでもオレを殺せるぞ、と言う脅しにも思えた。


「ささ、席にどうぞ」


「……」


 短槍の立て掛けられているのとは逆のベンチに座った。だがそこにも別の短槍が当然のようにあって、血の気が引く。いや、王女とのお茶会にお呼ばれして武器持参ってどうなの?


「ハーブティーとレモンティー、どちらがお好みですかな?」


「……レモンティーで」


 クロードが目で側に控えていたメイドに合図を送る。その子が恭しくオレのカップに紅茶を注いでくれた。その間クロードはずっとオレの顔を笑顔で見ている。


「オレの顔に何かついてるか?」


「これは失礼。あなたのこれからを思うと、少々ね……」


 何だそれは。こいつは本当に何を考えているのか読めない。ずっと笑顔なのだ。裏があるのかないのかすら分からない。ただ一つ言えることは、こいつとお茶会しても全然話が弾まないことだ。全くもって楽しくない。レモンティーが苦く感じたの初めてだ。


「お待たせしましたわ」


 すると、この苦々しい空間に、さっと爽やかな風が吹いた。それは、淡い水色のドレスに身を包んだ王女の登場だった。胸元には赤いリボンが添えられ、その細く長い綺麗な首には白いチョーカーを巻いている。豪華なドレスにはたくさんのフリルがあしらわれていた。フワリと広がるスカートは足首まで隠されており、王女という品格と気高さ、そして何より、この娘の可憐さをよく表している。


「この度は急なお誘いにも関わらず、よくいらして下さいました」


 晴れやかな笑顔で王女がスカートをつまんで礼をする。小鳥のさえずりのような声だ。何度か会ったことはあるが、こうして話をしているのを初めて見た。


「エドガー殿」


 王女に見惚れていると、クロードに横から声をかけられた。見るとこいつは席から立ち上がり、胸に手を当てて直立不動の姿勢を取っている。


「あ、す、すみません!」


 慌てて立ち上がり、一礼する。


「いえ。どうか肩の力をお抜きになって。さぁ、楽しいお話を聞かせて下さいな」


 クロードが王女のためにベンチを引く。地面に取り付けられているんじゃないのか。着席した王女に、メイドがテキパキと紅茶を準備する。


「お、王女のお気に召すような話が出来るかは分かりませんが……」


「自由にお話して下さって構いませんわ。あ、そうでしたわ!」


 王女が笑顔で手を合わせた。そして、彼女の背後についていたバッケスからある物を受け取る。


「最近いただいた物ですが、とても良い香りがするのですよ。心が落ち着きますの」


 それは、香だった。その小さな円錐は淡いピンク色で、火を灯すと甘い香りを庭園に優しく漂わせた。確かにどこか安心出来る温もりのような香りだ。


「さぁ、これで準備は整いましたわね」


「分かりました。ではそうですね。魔界の月の話をしましょうか」


「月、ですか?」


 王女の目が好奇心で輝く。よし、食いついてくれた。


「はい。魔界には月が二つあるんです。大きな赤い月と、小さな青い月。それなのに人間界には一つしかない。不思議ですよね」


「本当ね。クロードは知っていましたか?」


 王女がクロードに目を向ける。するとクロードは、口につけていたカップを静かにテーブルに置いて、優しく微笑む。眼鏡の奥の瞳が閉じられる。


「はい。私も何度か。とても美しいですよ」


「まあ。それは素敵ですわ。いつか見てみたい」


「我ら騎士団が魔王軍を駆逐して、必ずや王女にご覧にいれます」


 クロードが頭を下げる。ただ、オレはその言い方に引っかかった。引っかかっても仕方ないとは思っていたが、それでも反応せずにはいられなかった。


「別に魔王軍と戦わなくても、もっと友好的な方法があるだろ」


「おや、それは何でしょう?」


 分かっているくせに、クロードは首を傾げる。


「魔族と人間がきちんと法を整備することだ。今だって民間レベルでは交流がある」


「まあ、エドガー様はとても素敵な未来を夢見てらっしゃいますのね。私はそのようなことをおっしゃる方と初めてお会いしましたわ」


 嬉しそうに言う王女の言葉に、オレは一瞬耳を疑った。


「え? 誰も? 聞いたことがないんですか?」


「はい。やはりお話を聞いて良かったですわ」


 聞いたことがない。知らない。この国の王女様が、友好的解決の発想すらない。これは、明らかな情報操作と偏った教育のせいだ。もしかしたら、あの賢そうな国王もそうか? いや、それはない。彼はアスモディアラとの友好条約を結んでみせた。


「あんたら、一体どう言うつもりだ?」


 クロードを睨む。


「どう言う、とは?」


 とぼけるクロードは口元の笑みを崩さない。


「誰だ? 誰が戦争に突っ走っている?」


「あはは。なんだそんなことですか。簡単ですよ」


 クロードはテーブルに肘をつき、眼鏡を指で押し上げた。


「世界ですよ。この世界が戦いの道へと加速している。いくら国王様が、アスモディアラが優秀で、それを止めようとしても、世界の一部に過ぎない彼らではどうしようもない」


「おい王女様、聞いてたか? こいつ、お兄様を侮辱したぞ」


 クロードを指差し、王女を振り返る。しかし、


「あら、些細なことですわ。王とは不満と不平を一身に受ける者。お兄様はいつもそうおっしゃっていましたもの」


「ちっ……」


 ダメだ。あの少年王は良くも悪くも賢すぎる。そしてそれでいて清廉すぎてもいる。そんな調子じゃいつか家臣に裏切られる。


「さあ。もっともっとお話を聞かせて下さいまし。お二人の議論、とても興味深かったですわ!」


「分かりました」


 気を取り直して王女に話をしようとしたその時、突然視界が揺れた。クロードが二人に、いや、三人に見える。違う。揺れているのは視界じゃない。オレの脳だ。


「あ、れ。これは……」


 腰にかかる体重が不安定になって、テーブルに突っ伏した。紅茶のカップが落ち、マカロンを載せた皿が音を立てる。胸がかき回されたようになって、吐き気がする。呼吸すら上手く出来ない。


「ク、ロード……てめぇ……」


「違いますよ」


 クロードの声はエコーがかかったようで、オレの耳に何度も反射する。何か、盛られた。おそらくは、毒。


「違いますよ。私ではない」


 クロードの笑顔が、初めて消えた。その目には、憐れみの色が灯っている。


「あぁ、あぁ。やっと、やっと私の物になって下さいますのね」


 王女のさえずりが聞こえた気がしたが、脳がしっかり処理してくれない。消えかかるオレの意識が最後に捉えたのは、溢れた紅茶のティーセットと、ピンク色のマカロン。そして、


「香……」


 淡い、円錐。

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