衝撃の一言
「本当に大丈夫か?」
「はい。もう平気です。ご心配をおかけしてすみません」
「でもさ、そうだ。少しどこかで休んで……」
「いえ、本当に大丈夫ですよ。少しびっくりしちゃっただけですから」
申し訳無さそうに手を振るリュカは、まだ目尻が赤く腫れている。時折怯えたように辺りを警戒する点を見ても、全然大丈夫だとは思えなかった。国王との謁見とは言え、無理をする必要などないと思っているので、出来れば早めに王城から出たい。もうここにはリュカが安心出来る空間はないだろう。しかし、オレが何度そう言っても、リュカは頑なにそれを固辞した。
そうこうしている内に、謁見の間に騎士が集まってきだした。その中にはあのハウルと言う近衛騎士長ももちろんいて、オレの顔を見るなり苦虫を噛み潰したような表情で舌打ちした。そしてそれに続いて、クロードも何食わぬ顔で戻って来る。今初めてオレ達に会ったかのような穏やかな笑顔で騎士達の列に加わる。
「もう退室は許されないぞ」
「……分かったよ」
団長が背後から声をかけてくる。オレももう観念するしかない。最後にもう一度だけリュカの頭を撫でて、床に跪いた。リュカと牧村もオレの格好を真似る。
「国王様のおなりでございます!」
前回と全く同じフレーズで国王が登場する。少年王が静かに玉座に座ったのを、雰囲気で理解した。
「三名とも、顔を上げられよ」
声変わりはまだ先のようで、やはり中途半端な高さの声だ。それでもその声に従ってゆっくりと顔を上げる。目と目を合わせると、以前会った時よりも精悍さが増しているように思えた。そしてその目には喜色がありありと浮かんでいる。
「まさか、またこうしてそなたに会うことが出来るとは思いもしなかった。余は嬉しいぞ」
お言葉だがオレは全然嬉しくない。この若い国王本人には好感を持っているのだが、取り巻き連中が面倒だしいけ好かない。国王の知性を感じさせる瞳が、オレから外され牧村へと移った。
「そして、勇者殿ともこうして面会出来た。今日は実に良き日だ」
「はぁ」
牧村は何とも間の抜けた返事を返す。こんな場所に突然連れてこられた割にはリラックスしていて、こいつのメンタルが良く分からない。もっと緊張とかしろよ。隣のリュカなんかガチガチに固まっていて、まだ顔すら上げてないぞ。しかし、謁見の間に集まったほぼ全ての人間がリュカに注目しているのは何故だ? リュカが魔族であることに全員が感づいているのか。そんな事を考えていると、
「国王様、少々」
クロードが片手を上げた。
「どうした、クロード団長」
「いえ、そちらの、中央のお嬢さんについてですが……」
リュカが俯いたままビクリと震えた。オレも咄嗟に身構える。クロードは優しい笑顔のまま、リュカを横目で捉える。
「そのお帽子。大変よくお似合いで可愛らしいですが、ここは謁見の間で国王様の御前。被り物をしたままというのは失礼極まりますよ」
「っ!」
しまった。どんだけ迂闊なんだオレは。リュカが何を言おうとも無理やり退がらせるべきだった。こんな形で糾弾されれば逃げ場がない。
「どうしました? 何か、帽子を外せない理由でもあるのですか?」
クロードの笑顔には嫌味も厭らしさもなく、ただ清々しさだけがある。こいつの心の内を見せないその表情に悪寒すら覚えるが、それと同時にようやく気づいた。何故全員がリュカを見ていたのか。国王への無礼に怒っていたのだ。
「そ、その……」
全員の視線に晒されて、リュカの手が震えながら頭へと向かう。どうする? 止めるべきか。いや、いっそのことリュカを連れて逃げた方が良いんじゃないか?
「リュ……!」
「待て」
オレの首筋に、煌めく長剣が突きつけられた。剣の冷たさを頸動脈で感じる。これは団長の長剣だ。跪ずくオレの背後から一瞬で差し向けられたのだ。
「あんた……何を!?」
「ここで下手に動くのは愚策だ。黙って見届けろ」
オレにだけ聞こえる小さな声で告げられる。少なくとも団長は敵ではない。だが、味方かどうかは怪しい。この人にも立場と言うものがある。
リュカはまだ帽子を取るか逡巡している。頭に手をかけたまま固まっていた。それを、
「まどろっこしいでござるな」
なんと、隣の牧村がサッと片手で奪うように取り払った。リュカの白い髪がフワリと舞って、その小さな角が露わになる。リュカが隠すように頭を抑えるが、もう遅い。その角を見たこの場の全員にどよめきが生まれる。そして、彼らのリュカを見る目つきが変わった。得物に手をかける者まで現れる。だが、何故か国王とクロード、そしてハウルまでも微動だにせず落ち着き払っていた。
「静まれ。ほう。やはり魔族であったか」
国王の一声で、また静けさを取り戻す。
「ふむ。エドガー殿。これはどう言うことか。話によれば、そなたはこの者らと楽しげに町を回っていたそうだが」
もうそんな事まで知っているのか。オレにぶつけられる国王の瞳は冷ややかだ。悪意も敵意も感じないが、だからこそ次の返答の模範解答が見つからない。
「余は魔族だから必ず殲滅せよなどと申すつもりはないが、納得の行く説明を求める。事と次第によっては……」
「オレの嫁だ!!」
焦りと動揺、そしてこの場でリュカを守るためにはどうすれば良いかひたすら頭を回した挙句、口から飛び出した言葉だった。
「この娘は、リュカ・アスモディアラ! 魔王アスモディアラの実娘で、オレの嫁だ! 以前話したことがあるはずだ!」
だからどうしたと言うのか。正直自分が何を言っているのかも理解し切れていないまま、とにかくまくし立てていた。敬語も礼儀も忘れ、心に思いつく事を精査することなく並べていく。そんなオレを、リュカも団長も、牧村でさえ目を丸くして見つめていた。
「確かに魔族だが、人間に害をなすような娘じゃない! そこはオレが保証する! 保証するから手出しをしないで……」
「もう良い」
国王がオレの話を手で遮った。不興を買ったかと肝が冷えたが、しかし国王の口元にはどこか満足げな笑みがある。
「意図せぬ形で追い詰めてしまったようだ。思い違いがあるようだから申しておくが、余にその娘を傷つける意思はない」
「え、じゃ、じゃあ何で……」
「そもそも、その娘に攻撃するような事は一言も申しておらぬ。あまり気を急くものではないぞ」
そんな風に言われて、少しクールダウンした頭がこれまでのやり取りを思い出した。確かに、国王はリュカに対して一度も悪意を向けていない。唐突に気づかされて、ぺたりと膝をついて脱力する。
「それに、余がアスモディアラに送った親書の返事には、かの者の娘についても言及してあった。レギオンとアスモディアラ領における魔界の民とは不戦の契りを結ぶが、娘に何かあればその限りではない、とな。両国の力関係の不均衡には余としても頭が痛いが、ひとまずは安心出来る事態となったのだ。それをわざわざこちらから反故にする理由などない」
国王の長い話を、呆然としながら聞いていた。つまり、アスモディアラがすでに手を回していたと言う事か。やっとそれだけを理解すると、クロードを睨まずにはいられなかった。あいつが思わせぶりな態度を取るから、オレは変な誤解をしたのだ。
「私は、ただマナーについて言及しただけですよ?」
しかし、オレの責める視線もクロードは柔和な笑みで軽くかわす。ダメだ。完全に手玉に取られているし、こいつには勝てる気がしない。まだオレに長剣を向けている団長も、この事を分かった上でオレを制止したと言うことだ。
「おい。もう良いだろ。この物騒な物、とっととしまってくれよ」
長剣の腹を指で叩く。
「あ、ああ。そうだな。すまない」
すると団長は、珍しく頬を赤くしていて、長剣を手間取りながら鞘に戻した。それを見届けた国王が、再び話を切り出す。
「つまり、リュカ殿はアスモディアラの大使と言うことになる。レギオンは丁重にもてなす事を約束しよう。リュカ殿。早速だが余からいくつかの質問をしたいのだが……リュカ殿?」
国王は少し声のトーンを下げてフレンドリーにリュカに声をかけるが、当のリュカはそんな事聞いちゃいなかった。
「お、オレの嫁だ! って、えへ、えへへへ……」
「リュカ殿……」
「えへへ。えへへへへ……」
両手を頬にあて、幸せそうな顔で頭を左右に振りながら悶えている。謁見の間がなんか凄く変な空気になってしまった。
「あ、ああ、ゴホン。リュカ殿もお疲れのようだ。余の話はまた別の機会としよう」
そして、賢くて空気の読める国王様は、一度咳払いをすると早々に謁見を終了させた。リュカに質問した時の表情はとてもウキウキしたものだったので、おそらく本気で魔界に興味があったのだろう。それがまさかこんな理由で妨げられるとは。原因を作ったオレとしては非常に申し訳ない気持ちになってしまう。
「さてダーリン。部屋に案内しよう」
「あぁ。頼むよ。ほら、リュカ立って。ほら」
まだどこか遠くの世界にいるリュカの手を取って立ち上がらせる。何とも心がむず痒い。一向に立ち上がろうとしないリュカに参っていると、
「主人公野郎が」
何故か牧村に毒づかれた。
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