Flower

しかも・かくの

第1話 スクランブル交差点

 スクランブル交差点の信号が青に変わり、四方八方からどっと人の波が押し寄せる。

 ああ、やだな、と麻巳子まみこはいつも思う。この人の群れに混じって向こう側まで渡るのは、運動会の100メートル競走に出場するみたいな息苦しさを感じさせる。


 人に先んじたり後れたりすることで、劇的に何かが変わるわけじゃない。

 一等を取ればノートと鉛筆ぐらいは貰えるかもしれない。頑張ったねって褒められたり、よくマジでやるよなって冷やかされたりするかもしれない。だけどそれだけだ。反対にビリになったところで、せいぜいため息をつかれるぐらいで、困ることなんて何もない。


 どっちにしろ大した違いなんてないのに、隣の人と肘や肩をぶつけ合いながら前に出ようとあがくなんて、馬鹿みたいだ。

 それでもスタートの合図が鳴って周りが走り出せば、やっぱり自分も走り出す。一人だけ悠々と歩く勇気なんてない。

 この先に行きたいわけじゃないのに。


「どしたの、麻巳ちゃん?」

 夏服の半袖セーラー服の女の子が振り返る。肩の上で切り揃えた少しだけ茶色っぽい髪が、揺れてさらさらと光を弾く。


 丸い大きな瞳にすっきりとした面立ち。幼げな表情とあいまって、まずたいていの人が可愛いと思う女の子だ。もちろん麻巳子もそう思っている。

 クラスメートの貴世たかよは、渡りかけた横断歩道の途中から後戻りしてくると、麻巳子の手を取り引っ張った。


「早く行こ。信号変わっちゃうよ?」

「ねえ貴世ちゃん、やっぱりあたしも行かないと駄目?」

 麻巳子がその場を動かずにいると、貴世は手を引く力を緩めて「ふむ」と一つ頷いた。


「無理にとは言わないけど、できれば来てほしいかなあ。麻巳ちゃんは、いつもみたいに一緒にいてくれるだけでいいからさ」

 なだめるように言ってから、ふと眉を曇らせる。


「もしかして、いやだった? あたしってば強引に誘っちゃったりしてた? だとしたらごめんね。麻巳ちゃん、ほんとは今までもずうっといやで、だけど我慢してつき合ってくれてたの?」

「違うよ、そうじゃなくてね。あたしがいたらかえって邪魔じゃないかなって思って」

 麻巳子がすぐに否定すると、貴世は一転して笑顔になった。


「もうー、そんなわけないじゃん。麻巳ちゃんってばケンソンしちゃって。でもそうゆうところも可愛いなっ」

 恋人にでもするみたいに、麻巳子の腕を抱え込む。


「麻巳ちゃんがいなくちゃ始まんないんだから。さ、行こ行こ」

 元気に歩き出した貴世に、麻巳子は心の中でため息をついた。こうなったらもう付いていくだけだ。いつものように。


 夏休みが明けて最初の日、同じ中学に通う麻巳子と貴世は、学校が午前中だけで終わったあと、電車に乗ってこの街にやって来た。目的は人と会うこと。約束をしたのは貴世で、麻巳子はそのお供だ。


「あ、いたいた。おーい」

 待ち合わせ場所の、赤レンガ風の外壁のドーナツ屋さん。店の前にいた男が振り返る。色褪せたデニムに、赤青緑に塗り分けられたTシャツをざっくりと着ている。足元には黒いリュックが不貞腐れた犬みたいに置かれていた。


「こんにちは、ヒロ君。待っちゃった?」

「……あ、いや、えっと」

 ヒロと呼ばれた男は、戸惑ったように二人を見較べた。二十代半ばぐらいだろうか。よく言えば鋭い、悪く言えば尖った顔立ち。ボクサーとかそういう雰囲気。


「この子はマミちゃん、あたしのお友達だよ。ヒロ君のことを信用しないわけじゃないんだけど、やっぱり初めて会う時って緊張するじゃん? だからついてきてもらっちゃいました」


 麻巳子は軽く会釈した。貴世とは違って、初対面の相手に話し掛けるのは苦手だ。

 だがそれはヒロの方も同様らしく、曖昧に口を開いたまま次の行動を決めかねているといったふうだ。こういう場には慣れていないようだ。あるいは初めてなのかもしれなかった。

 しかし貴世はさすがに慣れたものだ。


「じゃあ中でお話しよっか。ねっ、奢ってくれる?」

 甘えるように尋ねる貴世に、ヒロは無言で頷いた。

「わーい、ありがとっ。ヒロ君、よい人だね。想像してた通り。来てよかったな」


 るんっと歌い出さんばかりに無邪気に喜ぶ貴世に、麻巳子は皮肉な気持ちとかではなく素直に感心してしまう。

 SNSや出会い系関連の事件が問題になることも多い世の中だ。学校の先生や立派な大人のひと達は眉をひそめるかもしれない。だが誰とでもすぐ仲良くできてしまうというのは、やっぱりすごいことだと思う。少なくともその反対よりはずっと。


「マミちゃんも一緒にお茶してくよね? ヒロ君の奢りだって」

 ヒロ本人には何の断りもなく、麻巳子の分まで払わせることに決定する。

 ヒロも文句を言わなかった。さっとリュックを拾い上げ、体はもう店の方に向いている。


 そろそろいいかな。

 麻巳子はとりあえず見切りをつけた。愛想はないが、ヒロは悪い人ではなさそうだ。


「ごめんね。あたしはちょっと」

「えー、マミちゃん、帰っちゃうの?」

「用事もあるから。二人で楽しんでね」

「そっかー、じゃあ仕方ないね。ヒロ君もがっかりしちゃった? でもまた今度会えるからいいよね」


「俺は、別に……」

「ヒロ君ってばもう、照れ屋さんなんだから。じゃね、マミちゃん、また明日」

「うん。じゃあね」

 麻巳子は貴世達に手を振って背を向けた。

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