並存する"同星"知性体

前河涼介

並存する"同星"知性体

 銀河系のどこかに浮かぶ惑星エコー。そこでは全く起源の異なる二つの文明が共存していた。彼らは一見互いの領域に混じり合いながらともに惑星全体に渡って分布を広げ繁栄を遂げていた。両文明とも惑星を覆い尽くすネットワークを形成し、近宇宙の探査に乗り出すまで発達していた。遠宇宙まで観測しているがFTL技術を持たないため到達はしていないという、両文明ともほぼ同等のレベルだった。

 しかし詳細に観測すれば「共存している」というその所感が誤りであることはすぐにわかるだろう。

 なぜなら、その二つの文明は互いに交流を持っていなかったのだ。

 例えば、我々の感覚で言うのであれば、他文明との交流というのは異星人とのコンタクトだとか戦争だとかを思い浮かべるだろう。だが彼らは人類とシーラカンスほどの関係さえ持っていなかった。互いの生態や文化について全く知らないばかりか、相手が存在することさえ認識していなかった。

 したがって両者の間にはコミュニケーションもなければ、当然、モノや知識のやり取りもまだ成立していなかった。

 なぜか?

 それは彼らの存在様式が全く異なっていたからに他ならない。

 我々が地球上の他の生物を観測できるのは、あくまで彼らが物理的領域に肉体を持ち、可視光線を反射し、あるいは可聴領域に鳴き声や足音を響かせるからだ。人間の観測領域とはいわない。少なくとも人間の使用する観測機材の観測領域にその影響が及ぶ存在であるから、認識し、また観測することができる。

 ではそれ以外の場合はどうだろう?

 その惑星の二つの文明はまさにそんな関係だった。

 仮に一方をを甲人文明、もう一方を乙人文明としよう(彼らが自らを称する概念を翻訳すればどちらも「人類」になってしまって呼び分けがつかない)。

 乙人の肉体は甲人の捉える物理領域にはなく、甲人の肉体もまた乙人の捉える物理領域にはなかった。甲人の五感や観測機材で乙人を捉えることはできず、また乙人の五感や観測機材で甲人を捉えることもできなかった。

 このようにして甲人と乙人はともにひとつの惑星上にありながら互いの存在にすれ違うように共存――いや、あくまで「並存」とでもいうべきか――していた。

 あるところでは乙人の登山家が甲人の地主の太った体をすり抜け、またあるところでは甲人と乙人の街が全く重なるように発展して、観測方法によってはわけのわからないカオス状態が映し出される。

 もちろん地形や標高――いわばその惑星の形――もそれぞれに違って認識され、かつ利用されているわけだが、場所によっては、だ。

 互いの存在領域が異なるため、むろん二つの文明の間には何の紛争も闘争も摩擦も競争も生じていなかった。そこには階級闘争も、戦争も、差別もなく、それぞれにとっての資源を独占して意のままに消費していた。限られたひとつの「場所」や「空間」を彼らは等しく「分け合う」ことができた。


 それはそれで平和な「並存」だったのかもしれない。だが未知を未知のまま放置することは頽廃と無気力の魔物だとするのが科学者の性だった。いや、むしろそうした性格の個体群を指して「科学者」という我々の概念に訳しうる、というべきかもしれない。

 甲人の科学者、いわば天体観測技師のヘフトハールはこの数ヶ月時折不思議な夢に悩まされていた。夢というより白昼夢、幻覚というべき類のものかもしれない。全く普段通りに活動しているのに、なんの違和感も前兆もなく突然どこからともなく声が聞こえ、彼は寝起きのような陶然とした意識状態に陥ってしまうのだった。

 その声は少女の声のようにやや高く透き通っていて、でも何を言っているのか聞き取れるほど明瞭ではなかった。

 彼は自分自身の体験を記録し、その現象が他星系の惑星観測のためにマイクロ波天体望遠鏡(もちろん甲人の概念におけるマイクロ波)を稼働した数日後から始まっていることを突き止めた。そしてそれはこちらの観測を察知した異星体からの返答シグナルの一種なのではないかと仮説を立て、望遠鏡の稼働と観測を続行した。

 その日もヘフトハール博士は十六・八光年離れた一等星プファルス、そのガンマ星に巨大な望遠鏡を向けた。異星体のシグナルの発信源として目星をつけたのがその星だったからだ。

 スコープで方位と高度を確かめ、レコーダーを回したところで博士は座って一息つくことにした。ドームの中ではまだ彼の部下たちが忙しく動き回っていた。電波望遠鏡だけが天文台の設備ではなかったし、観測だけが業務でもなかった。

 ヘフトハールはもはや老齢だった。伸びきった額の表皮には浅黒いシミが浮いていた。駆け出しの頃にひょんな気付きから革新的な論文を何本も書き上げて神童だの神のセンスだのと持て囃されたこともあったが、歳を重ねるにつれてその鮮烈も次第に色褪せていった。今ではうだつの上がらない辺境の一技師に過ぎなかった。それどころか肉体は年齢以上に老け込んでいた。若い頃のツケが回ってきたのだ、というのが彼自身の受け止め方だった。


 その時また例の夢の声が聞こえた。

「ネ……イヅテ………ワ…シ……ワ……ッテ」

 ヘフトハールは頭を抱えた。

 そして思い出したように望遠鏡のモニターを端から端まで確認した。しかしどのパラメーターにも目立った変化はなかった。

「一体誰なんだ……」ヘフトハールは独り言を言った。

 近くでそれを聞いた部下の一人が言った。

「また例の幻聴ですか」

「そのようだ。だがまったく因果がわからない。他の星を狙ってみるべきなのかもしれない」

 ヘフトハールは部下のうち数人には夢のことを打ち明けていた。同じ体験をした者がいるかもしれないと思ったからだった。しかしどうやらその体験はヘフトハールだけのものだった。

「どうしますか?」

「いや、いい。今日はガンマ星に始終しよう」

 ヘフトハールは部下の質問に答えた。観測対象を変えたところでなにか大きな進展が得られるという予感が全くなかった。憎たらしいことに、そういった予感だけは年老いてからも外したことがなかった。

 ヘフトハールは腰を上げた。いささか力ない足取りで書庫へ向かっていった。プファルス星系の星々の特性をもう一度洗い出そうと思ったのだ。

 書庫は明かりがついていなかった。つまり誰もいないはずだった。

「そこ、あなたはそこにいる。あなたは誰?」

 ヘフトハールは少女の声があまりに近くから聞こえたことに狼狽した。しかもそれは明瞭に聞き取ることができて、意味も理解できた。

「あなたは誰?」

「私はヘフトハール。君は誰だ?」

「わたし……?」

 少女の声はそこで途切れた。ヘフトハールは少女を繋ぎ止めるために続けて呼びかけた。

「君はどこにいる?」

「わたしはここにいる。あなたの目の前にいる」

「私には見えない」

「わたしにははっきり見える」

 ヘフトハールは目の前の空間、書架の手前のちょっとした空間を凝視した。相手はどうやらそこに存在しているようだった。相手からは見えているが、自分には見えていない。彼は全身の血圧が危険なほど高まるのを感じた。心臓が鼓動していた。

「君はどこから来たんだ?」ヘフトハールは訊いた。

「どこから?」

「そうだ」

「わたしはずっとここにいるわ。もうずいぶん長い間ここにいる」

「別の星から来たんじゃないのか」

「宇宙旅行をしてきたんじゃないか、と?」

「そうだ」

「わたしは宇宙なんか行ったことない。記憶の限り、一度も」

「生まれてからずっとこの星にいるのか」

「そうだと思う」

 ヘフトハールは額に指を当ててしばらく考え込んだ。相手の受け答えが意味するものは何なのだろうか。

「以前から私に呼びかけていたのは君なのか? ほとんどは不明瞭で聞き取れなかったが」

「そう、わたし。でも今までは距離が遠くてうまく声が届かなかったのだと思う」

「つまり、そうか、私が探していたものはもとからこの星に存在していたんだ」

 ヘフトハールにとってそれは大発見だったが、同時に果てしない脱力を催す事実でもあった。彼は後ずさって壁に寄りかかった。


 乙人の少女は満足していた。彼女は生まれて以来ほとんどの時間を捧げて甲人とのコミュニケーションを試みてきたのだ。それだけが彼女の生き甲斐だといっても過言ではなかった。ヘフトハールとの交信はその努力の結実であり、走り回って全身で喜びを表現したいくらいだった。

 しかしそれは不可能だった。

 彼女はベッドの上にいた。

 彼女は自分の意思で体を動かすことができなかった。加えて視覚・聴覚・嗅覚も持たなかった。それらの機能は生まれつき失われていた。かろうじて皮膚感覚は残され、そのため彼女は自分の肉体が存在していて、周囲に同族の人々がいて、彼らが自分の世話をしていること、彼らは健常者で自分は不具であることは理解していた。周囲の人々にとって自分が何の意識も持たず、ただひたすらに生命活動を継続しているだけに思えるだろうことも理解していた。

 つまり彼女にはヘフトハールとの交信を周囲の人々にの伝える手段がなかった。彼女は乙人の言葉も文字も知らなかった。指や目の動きで意思を伝えることさえできなかった。

 したがって、乙人らが自らをまさしく地球人と称することも、またその母星を地球と称することも、彼女には知る由もなかった。

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