池の上の建物へ

「……しかしあの建物へは、いったいどうやったら辿りつけるのだろう」


 青年が池の向こうの建物を見つめながら言う。建物は、木造であちらこちらで木がめりこんだり飛び出したりしている。さらに建物自体が傾いているようにも見えた。


「苦労して辿り着いたものの、何もないってこともあり得ますよ」

「宝箱の中からモンスターがわく、なんてことになれば、俺はこの世界から降りる」

「降りるって言っても……、宝箱の中からモンスターってお約束ですし」


 ただ、と桃華は顔をしかめる。


「今戦闘になったとしたら私、完全にお荷物なんですよね」

「……その時は、悪いが置いて逃げるからな」

「最初に言っておいてもらった方が、安心します」


 桃華が半ば投げやりに言う。


「俺が守ると言って安心させておいて、いざその時になったら人を押しのけて自分が先に逃げようとする人いますからね」

「……まぁ、そういう奴は大概序盤でお陀仏だがな」


 蒼真がふっと笑う。桃華も確かに、と笑った。


「安心してください。私、逃げ足だけは速いんで。むしろ天鬼さんを置いて逃げるかもしれません」

「……それは見ものだな」


 蒼真はやってみろとばかりに挑戦的な表情で桃華を見据えた。その表情がなんだかおかしくて、桃華は吹き出す。


 こんなに自然に笑えたのは、本当に久しぶりで彼女はとても嬉しく思う。同時に、自分がいかに最近余裕がなかったのかを痛感する。


「ちょっとだけ、試してみてもいいですか」

「何を」


 桃華は、池に指を入れようとする。しかし、なぜか彼女の指は池の水には届かない。桃華は指を引っ込めて、首をひねる。


「水に指が届かないみたいですね。何かあるんでしょうか」


 桃華の言葉に、蒼真が隣にかがんで同じく指を池に指し入れようとする。すると、彼もまたすぐに指を引っ込めて言った。


「……こっちも駄目みたいだ。となると……」


 桃華の方を振り向いて、蒼真は意地の悪い微笑みを浮かべた。


「体重の軽いそちらが、一度足を入れてみるというのはどうだろう?」

「ええ!? 私、泳げないんですよっ」


 桃華は一歩後退する。蒼真は首を横に振った。


「……冗談だ。危ない橋を渡る必要はないだろう」

「うーん、でも……。あ、それなら」


 桃華は言って、蒼真に片手を差し出した。その意図が分からず、蒼真は怪訝そうな顔をする。


「ちょっと、片手を握っていてくれませんか? ちょっと片足で体重かけてみます」

「正気か? ……そもそも、自覚というものはないのか」

「自覚? 一体何の自覚でしょう」


 桃華のきょとんとした表情に、蒼真は大きなためいきをつき、頭をかく。


「……いや。気にしないでくれ。今のは聞いた俺が野暮だった」


 そう言うと、桃華の片手を逡巡しながらも握ってくれる。桃華はそれを確認してから、片足を池の方へ踏み出した。桃華の手を握る蒼真の指に力がこもるのを感じる。


 本来なら池の水につくはずの桃華の片足は、まるで池の水の間に透明の床があるかのように、宙に浮いていた。桃華は、おおっと感嘆の声を上げる。


 蒼真が桃華を岸へと引き寄せた。桃華はぴょん、とはねて言う。


「どうやら、透明の道があるみたいです。うまく行けば、渡れるかもしれません」

「しかし、透明な道が向こうまで続いているという保証はないぞ」


 嬉しそうな桃華に反して、蒼真はあくまで冷静だった。腕組みをして木造の建物の方をにらんでいる。


「一歩ずつ進めばいいんですよ、まっすぐに。私が先に行くので、天鬼さんは先ほどと同じように私の手を握っていてください。それなら途中で道がなくなっても、戻ってこられるはずです」


 桃華ははっきりと言い、蒼真を見つめた。


「一人では、この道は進めません。ですが、二人なら進めると思うんです」


 蒼真はしばらく桃華を見据えたあと、ゆっくりと頷いた。


「……どちらにせよ、このままここで立ち止まっていても仕方ない、か。……行ってみよう」



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