5 説話から昔話への変遷その1 明瞭な隔絶あるいはチェーホフの銃
とりあえず比較材料はこれで目の前の机の上に乗りましたね?
さて、ここで取り出したるは、この話における蛙の存在意義について。
というか、①、②を読んで気にはならなかったかな?
「いや、蛙、お前が助けろよ。せめて
昔話のセオリーとしては、主人公や主人公に縁がある者に助けられたものこそが報恩して然るべきなので、動物報恩系の話の観点からは、それはそう。
ただし、それはあくまで昔話のセオリーである。
①、②は昔話ではないので、このセオリーが通用しない。
じゃあなんなのかって、それは仏教説話だよ。
仏教説話は仏教を教え広めるための説話であるので、その話の中央に
まあつまり、①、②における「蛙の救済」は仏教的に筋が通らないとされる。
ちなみにこれは後出しではない。
というわけで、もっかい五戒について。
五戒は仏教の在家信者(女性なら
その中身は
の五つ。
お分かり頂けただろうか。
①にしても②にしても、
なお、①のパターンについては蛙を放すための蛇との交渉自体を娘がするので、特に「ケモとのえっちいのもダメ!」も取り扱った『
いや更に加えてなんだけど、お上品に
ともあれ、この時点で、蛙は仏教的に筋が通らない救われ方をしたので助けてくれない、とみられるのである。
薄情な、というなら実現するつもりがない事を口にするでない、ということ。
①のパターンで
その上で、『
一方、②のパターンでは蛇に約束をしてしまうのは父親であり、娘ではない。
親の因果が子に
そして、だからこそ、仏教素養がそこまで達していない民間におけるただの昔話として成立するには、蛙の意味がなさすぎる。
チェーホフの銃的にあかんやつ。
だから、順当に物語が①→②→③で進化していたとするなら、③のパターンでの蛙の消失は当然の帰結であると考えられるのだ。げこり。
……昔話や説話といった物語に近代文学の概念当てはめてええんかという話もあるかもしれないが、チェーホフの銃は出現した要素に対して論理的帰結を求める概念なので、重箱の隅をつつく上では重要だと個人的には思うよ、うん。
そもそも、前提としてる世界観という条件が違うだけで、今も昔も人の思考回路の傾向自体が大きく違うわけもあるまいし、視界ですらシュミラクラ現象なんてあるんだから、認識や思考上でも似たような「意味を求める」傾向があっておかしくないし、逆に現代の我々的にそこに穴が認められるなら、その穴は当時の当たり前、文化的・文脈的通奏低音が入っていたと考えられるわけで、その穴をほじくるのが楽しいんですよ、こういうの(ここまで一息)
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