黄泉返った伝説の老兵は、再び、剣聖の師匠となる〜今度こそ、愛弟子をひとりにしないと誓い、最強の師弟として並び立つ〜

@haitaka07

第1話 師匠の最期

 魔王城が、揺れていた。


 覇気に満ちた、人類による鬼気迫る進撃と勇ましい喊声。

 まさかの急襲に浮足立つ魔王軍の劣勢が、はっきりと目に浮かんだ。


「ここまでです、裏切者のルドルフ・フォスター」


 そんな城内、魔王の間へと続く門の前で。

 膝をつく門番の老兵に向けて、剣聖の少女は勝利を宣言した。


精鋭魔軍レギオンが不在とはいえ……まさか敗けるとはのう」


 老兵は、自嘲気味に笑う。


「それで。王国を裏切った儂をどうする? 殺すか?」

「そうですね。老いたとはいえ、戦狼ワーウルフと呼ばれた伝説を殺せる人間はきっと剣聖である、わたしだけでしょう」

「……わかっているならば良し。その責務、全うしてみせよ」


 そう言って。

 観念したように老兵はこうべを垂れ、目を閉じる。

 

 これで、すべてが終わる──……そのはずだった。


「……むりだよ」


 しかし、頭上から降ってきたのは殺意の剣でも、気高い剣聖の声でもなく。

 泣きそうなほど小さくか弱い、少女の声であった。


「クライ……?」


 思わず目を開けて、少女の名を呼んでしまう。


 少女は、泣いていた。


 凛としていた顔をぐしゃぐしゃに歪めて。

 キッと決意に固めていた瑠璃色の瞳を、悲しみに濡らして。


 喉をしゃくりあげて、泣いていた。


「あなたを……お師匠様を殺すなんて、そんなこと……できるわけ、ないじゃんっ……!」


 そこに、剣聖の姿はなく。


 あったのは、穏やかで平穏な共に過ごした、愛弟子の姿であった。


「どうして……どうして、こんなことを……?」


 ひっくひっく、と濡れた瞳からルドルフは目を逸らす。


 十年以上前、魔物に襲われた廃村で、瓦礫に埋もれた彼女を見つけた。


 物心ついて間もないその幼子おさなごを、なんの因果か、戦うことしか能のなかった男が預かることとなった。


 慣れない育児、知らない愛情。


 同じく戦災孤児ゆえ無知なルドルフは、唯一胸を張れる剣を教えながら、慣れない家事にも積極的になり、不器用な彼なりに必死で、その幼子を育てた。


 その中で、ルドルフは初めて、人のぬくもりを知った。


 誰かを頼ること、誰かに愛されること、誰かを愛すること。


 それまで戦うことでしか生きる意味を見出せなかったつまらない男が、この世で最も大切にすべき感情と存在を得た瞬間であった。


 だからこそ──


「答えてよ、お師匠様っ……!」

「これはこれは、見ているこちらが悲しくなってくる叫びですねぇ~」


 決死に訴えかけるクライとの間に、その粘ついた雑音ノイズはやってきた。


「お初にお目にかかります、剣聖クライネス・クライノート。我が名はマルファス。第十一精鋭魔軍レギオンの軍団長を仰せつかっております」


 嫌悪感をもよおす声音の在処ありかはクライの背後。

 紳士を装った、形ばかりのお辞儀をしてみせるカラス頭の悪魔がそこにいた。


 【狡猾】のマルファス。


 魔王軍の中でもめっぽう頭のキレる、面倒な相手である。


精鋭魔軍レギオン⁉ そんな、どうしてここに!」


 事前に知らされていた情報との齟齬に、クライは狼狽する。

 

 ──それは、場を同じくするルドルフもまた同じ心境であった。


「ご安心ください。ほとんどの軍団はアナタ方の想定通り、ここを出払っている状況にあります」

「あなた、がた……?」


 芝居がかった仕草で大仰に諸手を広げるマルファス。

 その大袈裟な発言の中に紛れた違和感を、クライは聞き逃さなかった。


「えぇ、本当によかった。あまりに出来すぎたシナリオに違和感を覚えて。後ろ髪を引っ張られる思いに従い、途中で部隊を切り離し、引き返してきて。何より、アナタを信用しなくて。本当によかったですよ──裏切者のルドルフ・フォスター?」


「えっ……?」と。

 先刻まで死闘を繰り広げた少女の瞳が困惑に染まる。


「アナタはこちら側の手に堕ちたと見せかけ、どうやったのか秘密裏に王国側へ情報を流し続けていた」


 いわゆる、二重スパイ。


 これまで王国と敵対していることを随所に見せつけながら、ルドルフは戦場に紛れてごく限られた使者へ暗号化した魔王陣営の機密情報を渡していた。


「そればかりか、アナタはその戦果と利用価値を以って、魔王様や他軍団長を懐柔し、戦場全体の動きを誘導した。この日、精鋭魔軍のほとんどが魔王城を出ることも、すべてはアナタが始まりだった!」


 カァーカッカッカ、と。

 愉快痛快にカラスは、しゃがれた嗤いを響かせる。


「じゃあ、王国が入手していた情報っていうのは……」

「すべてはそこにいる手癖の悪い老犬からですよ。マドモアゼル」

「そん、な……!」


 信じられない事実に絶句し、クライはみるみるうちに血相を変える。


「だって、お師匠様はたくさんの人を、仲間を……っ! それに、わたし……何も知らないっ……知らされてないっ! それで、さっきもお師匠様のことをっ……!」

「そう、殺そうとした‼」 


 ビクッ、と。

 あり得たやも知れぬ未来を突きつけられて、クライは肩を震わせる。


 そんな怯える勇者の心を、カラスは邪悪に追い立てる。


「でも、それは仕方がありません! いえ、むしろ王国側はそうして欲しかった!」


 ここまでくると、幼い少女の頭でも理解が及ぶ。


 二重スパイという悪役ヒールを演じたルドルフ・フォスターは、王国の勝利のためとはいえ、その存在は汚点でしかない。


 故に、ここで剣聖に始末されることで、栄えある美談の中で、その役目を完遂するはずだった。


 臭い物には蓋をする。トカゲの尻尾切りである。

 

「いやはや、腐っても英雄。ここまでの大役、ここまでの大舞台! 最期には切り捨てられると分かっていて演じきれる役者は、他にはいなかったでしょうねぇ!」

「あ、あぁ……あぁぁ……っ!」


 澄み切っていた瑠璃色の瞳が、絶望の色に暗く淀む。

 金色に染まった頭をくしゃりと抱え、うずくまるように膝を折る。


 信じていたものすべてが、この瞬間に瓦解してしまったかのような。

 そんな感覚に、クライは苛まれているのだろう。


「ですが、それもここまでです。ルドルフ・フォスター」


 少女の絶望を前菜に。

 マルファスはメインディッシュである、ルドルフへと視線をやる。


 背後からは待機していた精鋭魔軍の兵士たちが、ぞろぞろと足並みを揃えて現れる。


「形勢は逆転。よしんば持ちこたえたとして、その間にワタシの報せを聞きつけた精鋭魔軍レギオンが援軍となって帰還することでしょう」


 「そうなれば……」と。

 あからさまに語尾を切ることで、マルファスは最悪の結末を想像させる。


「ありがとう、親愛なるルドルフ・フォスター。アナタのおかげで王国は滅び、無様に這いつくばる剣聖はここで消える! 屈辱の日々に耐え、積み上げてきたアナタの長年の夢とともに!」


 カラスが再び、カラカラと鳴く。


 絶望を掻き立てようと、失望を与えようと。

 その現実味を帯びた不協和音を前に、ルドルフは──


「──そうじゃな。それまでに、な」

「……クェ?」


 獰猛に、笑った。

 絶体絶命の窮地に追い立てられてなお、ルドルフは野蛮に口角を吊り上げて、笑ってみせた。


け、クライ。魔王は門の向こうじゃ」


 ルドルフの指示に、「えっ……?」とクライは呆然と息を漏らす。


「ここは、儂が請け負う」

「お師匠様、それは──っ!」

「時間がない。つべこべ言わず、さっさと行け」


 問答無用と遮るも、意味を悟った少女の足は、一向に動く気配を見せない。


(まったく、どこまでも優しくて世話の焼ける子じゃ)


 そう思ったルドルフは、たったひとりの弟子へ向けて。胸の内に隠していた決意おもいを明かした。


「儂は、ここで死ぬつもりじゃった」

「お師匠様っ……!」

「でもそれは王国のためでも、ましてや人類のためなんつー大それたモンのためでもない」


 言ってから、ルドルフは不器用に微笑む。


「世話のかかる最愛の娘で、未来を託せる最強の勇者で……世界でたったひとりしかいない最っ高に可愛い弟子のために、じゃよ」


 めいっぱい柔らかく、これ以上ないくらい温めた愛情を。

 その言葉と微笑みに、ルドルフは詰め込めるだけ、詰め込んだ。


「お前はどうじゃ、クライ」


 そうして次に、である少女に問う。


「お前は何のためにここまで来た。何を、どれだけの者に託されて、ここまで来た」

「なんの、ため……? なにを託されて……」


 「わたし……わたしはっ……!」、と、絶望に沈んでいた少女の瞳に、希望の光が射す。


 折れた膝を伸ばし、丸まっていた背を起こして、顔を持ち上げる。


 そうだ、その顔だ。

 その姿に皆は希望を抱き、夢を託したのだ。


「ありがとう、お師匠様」

「素直でよろしい。……あとは、任せたぞ」

「はいっ!」


 決意を新たにした勇者が勢いよく、魔王のもとへ続く門へ向けて、駆け出す。


「くっ……追え、兵士たちよ! 剣聖を止め──っ!」

「──行かせねぇよ」


 一瞬であった。


 指示に従い、一歩踏み出そうとした獣人歩兵たちが軒並み、ルドルフの持つ無骨な大剣によって真っ二つにはね飛ばされる。


「魔王様より門番を仰せつかっとるからのう。悪いが、儂の了解なくここを通すことはできんて」

「貴様、ルドルフ・フォスター! どこまでも目障りなっ!」


 皮肉の効きすぎた文句に、マルファスはギリギリと歯軋りを立てる。


「貴様ひとりでこの数がどうにかなるとでも⁉ いや、そもそも! あんな小娘ひとりで魔王様を倒せると、本気で思っているのか⁉」

「当然じゃろ」


 ルドルフは、何の迷いもなく即答した。


「なにせあの子は、儂が育てた勇者なんじゃからな」


 淀みのない信頼と、自信に満ちた眼差し。

 我ながら、世界一の弟子バカ発言だなと、笑ってしまった。


「そういう貴様も、実はそう思うとるんじゃろ?」

「な、にを……」

「だから焦っている。だから余裕がない。魔王様が心配でたまらないか?」

「キ、サマァ……馬鹿にしやがってぇッ!」


 口論で負かされたマルファスが、苛立ちに任せて武力行使に出る。


「誇り高き精鋭魔軍レギオンの兵士たちよ。全武力を以ってこの男を殺害せよ! 跡形もなく、これ以上にない程、無残にッッ!」


「「「ウオオォォォォォーーーーッッ‼」」」


 鼓舞された兵士たちが雄叫びを上げて、波のように押し寄せる。


 一体一体が、人知を超えた剛力と魔力を秘めた化け物揃い。

 一流の剣士でも、この数に襲われれば、ものの数秒とつまい。


 しかし、この男は違う。


「馬鹿にしているのは貴様の方じゃよ、マルファス」


 その身に刻まれているのは、数え切れぬほどの深いシワと傷跡。


 これらは齢を示すものであると同時に。

 数多くの死線を潜り抜けてきた歴戦の戦士であることを表していた。


「ただの人間と侮るなよ。戦狼ワーウルフ……にそう名付けたのは他でもない、貴様ら魔族なんだからな」


 自らを奮い立たせる、啖呵を口にして。

 ルドルフは化け物ひしめく、最期の死地へ足を踏み入れる。


 四方から振り下ろされるオークやゴーレムの剛腕と巨剣。

 遠中距離からはエレメンタル・メイジによる魔法の雨が降り注ぐ。


 その中を、ルドルフは突き進んだ。


 斬り伏せ、薙ぎ払い、時には武器を手放し、奪い取り。

 死の瀬戸際を全速力で駆け抜ける。



 目がかすむ。

 耳が遠くなる。

 頭の中が、白くなっていく。


 どれも加齢によるものであれば、どれほどよかったか。


 だが、遠ざかる意識を何度も掴まえて。手繰り寄せて。

 ルドルフは、呪文のように唱える。


「あの子がまだ、頑張っている……」


 だから、まだ。まだだ、と。


 血反吐を吐こうが、腹を貫かれようが、腕をがれようが。


 老いた身体に鞭を打ち、勝鬨の声が届くまで、倒れることを許さず。


 親として、師匠として。

 孤高の老兵は、戦い続けた。


 


 そうして、しばらくしてから……城外から、歓声が沸いた。


 剣聖が、魔王を討った、という待ちに待った吉報を聞き届けて。ルドルフは遂に倒れた。


(終わった。すべて、おわった。これで、もう──……)


「……お、し……ま……っ! し、しょ……さ、ま……っ!」


 真っ暗に沈む意識の中、細切れになった泣き声が届いた。


 何も見えない。

 だが、そこに誰がいるのかは不思議と分かった。


(また泣いておるのか、クライ)


 フッ、と、心の中でほくそ笑む。


 元よりここで果てる運命だったのだ。

 それが弟子の手を煩わせることなく、最後の最期で力になれた。


 これ以上にない、有終の美であろう。


 悔いなどない。ないはずなのに──


「すまん、のう……」


 不意に。

 そんな言葉が、口をついてこぼれ落ちた。


 彼女が剣聖として、この手を離れてからの三年間。


 間者として必要があったとはいえ、敵として立ち合い、随分と辛い思いをさせてしまった。


 結局、最後もひとりで戦わせて……いまも、泣かせてばかりで。

 これからも、その涙を拭ってやることができない。


 それがとても悔しくて、情けなくて。

 ルドルフは、己の無力さに謝ることしかできなかった。


(もし、やり直すことができるのなら……)


 ──今度こそ、彼女を幸せに──


 そんな叶わぬ願いを抱きながら。

 ルドルフは数百体の魔族兵士を道連れに、その生涯に幕を閉じた。






 ──はずだった。


「ようやく、お目覚めか。伝説の老兵【戦狼ワーウルフ】よ」

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