フルムーンフェイス

@yawaraka777

第1話

 話は、中秋の名月が天に輝く十五夜、かぐや姫の屋敷から始まる。その屋敷奥にある座敷部屋。

容姿煌くかぐや姫の前には、五人の求婚者が横一列に並んで座って居る。その五人とも貴族の子息で、数ある求婚者の中でも取り分け熱心な者たちであった。しかし、当のかぐや姫は全くもって乗り気では無くうんざりしていた。

「皆様、そんなに私わたくしと結婚したいのであれば、条件をお出ししますのでそれを達成してくださいまし。達成された方の中から選ばせて頂きまする。」

 「して、その条件と言うのは?」

 求婚者の一人、石作皇子がかぐや姫に返す。

かぐや姫は、口元にのみ笑みを浮かべながら条件を伝えていく。その条件は、求婚者一人一人にこの世におよそ存在し得ないものを持って来いというものであった。

 かぐや姫が求婚者全員に持ってくる品を伝え終えると求婚者達はかぐや姫に一礼し席を立つ。去り際には、皆一様に「必ずやお持ちしますゆえ、楽しみにお待ちください。」等の台詞をかぐや姫に投げて行く。その投げられた言葉にかぐや姫は、一つ一つ「はい。」「お待ちしています。」と笑顔で返事を返す。その笑顔は美しい氷と言ったところか。そんな中、一人だけ一礼するのみで退出するものが居た。燕の子安貝を持ってくるよう言い渡された、中納言石上麻呂であった。

 

 次の年の始め、石作皇子をはじめとした求婚者達がかぐや姫所望の品を携えて訪ねて来ていた。しかし、どの品も職人に作らせた贋作や偽物をつかませられた物ばかりで、それら全てをかぐや姫は見破り求婚者達は散々こき下ろされて追い返された。

 そんな折初夏の頃一つの知らせが届く。-『燕の子安貝を取ろうと崖に登っていた石上麻呂が崖から転落、腰を強打しその傷が原因で死亡した。』という内容であった。その知らせを聞いたかぐや姫は、世間の風評を気にし、葬儀に参列する為、直ぐに石上の屋敷に出立した。

 その表情は、さも悲しげに憂いている様を作り出した。その表情を見た世の男達は、その美しさに見とれて皆旅の足を止めていた。中には、女房に耳を引っ張られる男も居た。その様を見ながらかぐや姫は心の中でほくそ笑んでいた。

 かぐや姫一行は、石上の屋敷に辿り着いたがどうも様子が可笑しい。葬儀をしている様子が一切ない。かぐや姫は慌てて出迎えた屋敷の者に案内され、奥座敷に通される。そこには、死んだはずの石上が上座に座していた。

「これは、どうゆうことでしょう?貴方様は、私に言われた燕の子安貝を取りに行き亡くなられたはずでは?」流石のかぐや姫も面食らい尋ねる。

「あぁ、それは方便です。そもそも取りになんて行って無いですよ。私は、貴女に求婚したいわけじゃ無い。あそこに行ったのは、父がどうしてもと言うから行っただけであって・・。取りに行って死んだとあれば、父の面目も立つし、私も求婚者というつまらない呪縛から解放される。あれは私が考えた事なんです。まさか貴女が来るとは思いませんでしたが。」石上は事の真相をサラッと言ってのけた。それを聞いて収まらないのがかぐや姫である。

「方便?私と結婚したいわけじゃない??」思わず聞返すかぐや姫。

「ええ。申し訳ありませんが。」

「気の毒と思いわざわざ出向いて来てみれば・・、嘘だったと・・?それよりもこの私と結婚する気が無い・・??」かぐや姫は初めての事態に必死で動揺を隠しているが、頬が少し引きつっている。

「わざわざ御足労いただいたのに申し訳ないですね。そういうことですのでお引取りください。」石上は皮肉たっぷりに返す。かぐや姫は聞こえてないのか、「私と結婚する気が無い?」と繰り返し遠くを見つめている。

 「ささっもうお帰り下さい。用は済んだでしょう?今から戻れば、日の出てるうちにお屋敷に着きますよ。」石上はやんわりと突き放す。

 「いいえ!帰りません!!」正気を取り戻した、かぐや姫は激しく詰め寄る。」「はっ?帰らない!?どうしてですか?」石上は困惑する。

 「今まで、どの殿方も私を見た者は私と結婚をしたいとおっしゃいました。こんな事は前代未聞です。どうして貴方は私と結婚したくないのですか?もしや貴方は男色家?」かぐや姫の問に石上は吹き出し答える。

「貴女が不細工だからですよ。」

「ブ、サ、イ、ク?ぶさいくとは何ですか?」かぐや姫は、まるで始めて聞いた言葉のように聞返す。

「ほう。不細工を知らない程、無知でもあるのですな。それとも、ご自分に言われた不細工という言葉が受け入れられませんか?」

「なっ・・。この私のどこが不細工というのですか?小さな時から皆私に見とれ、心を奪われる。貴方の眼は節穴ですか?それともやはり男色家?」かぐや姫の頬が明らかに引きつり眉間に皺が寄っている。

 「その発言がもはや不細工なのですよ。貴女は本当の美しさが分かっていない。節穴なのは貴女の方だ。そして私は男色家では無い。」

「意味が分かりません。私は事実を申して居るまでですよ。実際私より美しい方に会ったことがありません。貴方こそ美しさを分かっていらして?」互いに譲らないやり取りに大きく溜息を吐く石上。

「これ以上貴女と話しても無駄ですね。もうお帰りください。」石上は座敷を去ろうと立ち上がる。

「帰りません!!」大きな声で石上が去るのを止めるかぐや姫。

「私は、貴方が私の事を美しい、結婚させて欲しいと言ってくるまで帰らない事にしました。」かぐや姫は真直ぐと石上を見据え宣言する。

 「はあ!?何を訳の分からないことを言ってるんですか?そういうのは、こちらが決めるもので押し付けるものじゃない。大体自分で何を言っているか分かってない人の事を美しいとも結婚したいとも思うわけが無い。お帰り下さい。」石上は、さも迷惑だと返す。

 「何を言っているのか分かっています。分かって無いのは貴方の方です。私がそうだと言えばそうなのです。もう決めました。」一向に引かないかぐや姫。

 「何だそれは!?そういうところが不細工だと言ったんだ・・・。面倒な事になった・・。」溜息混じりに石上は漏らす。

 「また、不細工と言いましたね!!その腐った性根を叩き直さないといけません!」言いながら詰め寄るかぐや姫。かぐや姫は生まれて始めて他人に感情をぶつけていた。しかし本人はそれにまったく気づいていなかった。石上は、かぐや姫の勢いに観念し「はあっ。」と大きな溜息をついてかぐや姫に告げる。

 「ここに居たいなら。屋敷の者と同じ扱いになるがよろしいか?」

「良いですよ。どうせ直ぐに私と結婚したいと言うに決まっていますから。」満足そうに笑顔で応えるかぐや姫。こうして奇妙な共同生活が始まるのであった。


「何で?私がこんな事をしなければならないのです??」かぐや姫の悲痛な叫びが畑にこだまする。

「当家では、『働かざるもの食うべからず』が決まりとなっている。それは、どの身分においても変わらない。だから今日食べる分を収穫する。」石上は毅然と伝える。

「何てこと・・。そんな事出来ません。下人にやらせれば良いでしょう?」気が遠くなるのを抑えてかぐや姫が返す。

「いいから黙ってやる。やらないなら食事は抜きだぞ?」石上はあくまで毅然である。

「急になんですの?その態度は??」ムッとするかぐや姫。

「屋敷の者と同じ扱いをすると言っただろ?だからもう客じゃ無い。それに自分で良いと言ったろ?」

「言いましたけど・・。こんなことだと知らなかったから・・。知っていたら良いなんて言いませんでした!」かぐや姫の感情は更に高ぶっている。

「今更もう遅い。それともやっぱりお帰りになりますか?」石上は煽るように問い掛ける。この言葉がかぐや姫の心に火を付ける。

「いいえ帰りません。」そういうとかぐや姫はその場にしゃがみカブを抜こうとする。その動作は、たどたどしく上手くカブを抜けない。

「腰から引っこ抜く。」その様をみていた石上がやって見せる。綺麗にカブがぬかれていく。かぐや姫はムッとしてやってみるがやはり上手くいかない。その間に何度も転ぶ始末。着物がみるみる泥だらけになる。かぐや姫の細くて真っ白な手もすっかり泥だらけになっている。

「手がこんなに汚れるなんて・・。」泣きそうになるかぐや姫。

「手は使う為に汚れる為にある。汚れたら洗えばいい。そうやって手は美しくなっていく。何もしたことない手を綺麗とは言わない。」石上は、草取りをしながら伝える。

「手が汚れる為に有る?汚れたら綺麗?」良く分からないといったかぐや姫。それでも続けているが一向に上手くならない。気付けば手は泥だらけ、顔は汗まみれになって居た。身体中が痛みその場にへたれこむ。「もうへばったのか?情けない・・。」石上に言われムッとし立ち上がる。「もう、やってられませんわ。こんな事美しさとは何にも関係ないし。」言いながら、かぐや姫は畑を後にする。石上は、その背中を見送りまた大きな溜息をつく。

 帰ってからも自分で風呂を沸かすところを、下人に疲れているからとやらせて、料理の手伝い等も一切かぐや姫は行わなかった。食事の時にかぐや姫は自分の膳が他の者と比べて明らかに少ないことに気付いた。「何で私の分がこんなに少ないんですの?この屋敷は、客人に対してこのような扱いをするのですか?」かぐや姫が不満を顕にする。

 「当然ではないか?働いた分の量を出しているのだから。貴女はその分しか働いていないだろう!?満足に食べたいならその分働きなさい。何度も言っているが客人扱いはしない。それが嫌ならお帰り下さい。」石上は淡々と返す。

 「帰りません。」かぐや姫は、言われて顔を真っ赤にして返す。そのまま黙って勢いよく夕餉を平らげていった。

 

 次の日、身体中が痛くて起きられないかぐや姫であったが朝から叩き起こされ、水汲みや鶏の餌やり等を朝食前に手伝わされた。しかし、直ぐに投げ出し下人にやらせた。それを見る度に石上は溜息を吐き、かぐや姫の食事を減らす指示を食事番の者に伝えて居た。

 自分の朝餉が少ないとかぐや姫はまた不満を漏らす。朝の様子を視ていたと石上は制した。

かぐや姫は頭にきて、朝食後の仕事は一切やらずに部屋に篭って居た。流石に腹が減っただろうと石上は夕餉の後に握り飯を持ってかぐや姫の部屋を訪れる。かぐや姫は、訪れた石上に礼を言わないで、自分の不満をぶつけた。「そもそも私は、あんな事をする為にここにいるのではありません!さっさと美しいと言って下さいまし!」石上は溜息混じりに「そんな事を言ってる内には、貴女の事を美しいとは絶対に思わないでしょう。」と返す。「な、なんですって!?」かぶり着くかぐや姫。「貴女のようにやるべきことも行わないで権利だけを主張する人を美しいとは言わない。先ずは眼の前の事を黙ってやったらどうだ?」「また言ったわね!分かりました。やってやりますわ。やれば良いんでしょ!?」かぐや姫に火が付いた。

 

次の日からかぐや姫は、人が変わったように仕事に取り組むようになった。しかし、そこはかぐや姫、何をしても失敗ばかりで、その度に石上に怒られていた。それでも折れずに何とか食らいつく。その内、今までまともに使ったことの無い手は荒れ、髪の毛も満足に手入れが出来ず傷む、顔も毎日汗だくで少し黒くなっていた。煌びやかな単衣は動きやすく簡素な着物に変わっていた。かつての美貌溢れる姫は、屋敷の下女に変わっていった。

数日経ってもかぐや姫は色々な仕事で失敗をした。かぐや姫は、その度に屋敷の者に笑われるのも辛かったが何より石上に叱られるのが辛かった。自分に向ける石上の呆れ顔が何よりかぐや姫を惨めにした。『そんな眼で私を見ないで・・。』その想いが胸を刺す。かぐや姫は、如何に自分が何もしてこなかったか、何も出来ない人間なのか強く実感し始めていた。

 かぐや姫の身体と心の痛みが抜け無いまま当初の目的は果たせないままであった。水汲みに来た泉に写る自分の顔を見て美しさの欠片も無くなったと嘆いて居る。

 「一体、私は何をしてるんだろう?」言って涙が泉に映る顔に落ち崩される。まるで、自分の顔が崩れていくように感じた。ようやく立ち上がり水の入った桶を持って俯き屋敷に戻る。もう少しで水瓶に辿り着こうかというところで、石上が視界に入り思わず見とれる。かぐや姫は、足元の小石に気づかず躓き勢いよく転び、持っていた桶を頭から被り水浸しになる。それを見た屋敷の者が笑う。かぐや姫は、被った桶をどかし思わず石上を見やる。そこには、いつもの呆れ顔が有った。何かが弾けたかぐや姫は、その場から逃げるように走り去る。

 かぐや姫は、びしょ濡れのまま泉に向かって走った。泉に着くと背中から声がする。かぐや姫は振り返らずとも石上だと分かった。

 「笑いに来たのですか?何をやっても上手くできない私を・・。」

 「・・・。」

 「遠慮せずに笑って良いのですよ?」

 「・・・。」

 「笑いなさいって言ってるでしょ!?笑いなさいよ!!」

 かぐや姫は、石上の方へ振り返り泣きながら詰め寄る。

 「・・・そなたを笑ったことなど一度も無い。一生懸命やって出来ないものをどうして笑えようか。」実際、石上はどんなに失敗しても一度もかぐや姫を笑ったりしなかった。それを聞いて、かぐや姫はその場に崩れ落ちる。

 「しょうがないじゃない・・。私には、何も無いの。自分が竹から産まれた理由も知らなければ、自分が何者かも分からない。何故ここに居るのかも。この世に身寄りが一人もいないこともそう。それがどんな気持ちだか分かって? 私は自分に与えられた美しさに縋るしかなかったのよ。これだけは、裏切らない。これさえあれば、皆が私を大切にしてくれる・・。どうしょうもなかったのよ。寂しかったのよ。孤独だった。それを貴方が・・。」言いながら、かぐや姫は号泣する。石上は、それにそっと手を触れる。

 「ようやく、貴女の本当の声が聴けた。貴女の気持ちを全部分かる事は出来ない。でもこれだけは、分かる。さぞ辛かったろう。」それを聞いてかぐや姫は、一層声を上げて泣き出す。そんなかぐや姫を石上は、静かに抱き寄せる。そのままかぐや姫は、石上の胸で声を上げて泣いた。かぐや姫の心の氷河が溶け出すかのように。石上は黙ってそれを受け入れていた。

  一頻り泣いたあとで、かぐや姫が口を開く。

 「自分の気持ちを人様にこんなに正直に吐き出したのは始めて・・。何ででしょう?・・でも私の気持ちを聴いて、貴方はまた不細工とお思いでしょうね・・。」かぐや姫は、俯く。石上はふっと笑う。

 「誰しも、心に一つや二つは暗い部分を持っているもの。それを隠して誤魔化して生きている者が殆どだ。そこと正直に向き合い、認める事がどれだけ難しい事か・・。それを貴女はやってのけた。その姿を不細工と誰が言えようか?」それを聴きかぐや姫の顔がパッと明るくなる。

 「では、私の事を美しいと?」

 「ふっ。そこまでは言って無い。それとこれとは別だ。」

 「全く、何ですの。」石上は思わず吹き出し、かぐや姫は頬を膨らます。その後、二人で笑いあった。かぐや姫の心に暖かい何かが芽生えていた。しかしそれが何なのかが、かぐや姫には分からなかった。

 次の日から、生まれ変わった様に仕事に取り組むようになったかぐや姫。不慣れながらも、何とかこなそうという姿勢にかぐや姫の失敗を笑っていた屋敷の者達も徐々に認めるようになっていた。

しかし一番変わった所は、二人の仲である。石上は、良くかぐや姫を手伝い、かぐや姫は、いつも石上を気遣っていた。何より仲睦まじく二人話す事が多く、楽しそうに二人はいつも笑い合っていた。そんな二人の様子を屋敷の者達は微笑ましく見守っていた。かぐや姫は今までの辛さが嘘のように幸せな時を過ごしていた。

そんなある日、いつもの様に楽しく話をしていると石上はかぐや姫にあることを告げる。

「今宵、食事の後でそなたに伝えたいことが有る。私の部屋に来て欲しい。」それを聴いた瞬間かぐや姫は、胸の高鳴りを覚えた。ある期待と実感を感じた。

「はい。伺います。」それだけ告げ微笑むかぐや姫。

「ふむ。よろしく頼む。」石上も満足そうに頷く。二人は微笑みあった。『本当に幸せですわ。こんな事今まで無かった。』かぐや姫は心の中で踊っていた。その時、石上を呼ぶ声がする。

「今、行く。では、かぐや今夜に。」「はい。」去る石上をかぐや姫は嬉しそうに見送った。


 その夜、食事を取りながらかぐや姫の胸は鳴りっぱなしであった。何度も石上を見ては一人微笑む。すると石上と眼が合った。かぐや姫は、してやったりと見つめ合うが石上の表情が何処か可笑しい、瞬きもしてない。すると石上が突然苦しみだした。悶えて、口に入れたものを吐き出す。屋敷の者が慌てて駆け寄る。場が騒然となる。石上は尚も悶え苦しみ、吐き続けている。「吐いた物に無闇に触れるな!毒かもしれん!」石上の尋常じゃない苦しみ方に吐瀉物を拭こうとした者に指示が飛ぶ。苦しみ暴れる石上を押さえて部屋に運ぶ。直ぐに治療番が呼ばれる。同時に

食事番への聴取が始まる。かぐや姫はどうして良いか分からず、ただ不安な表情をして居た。

 居室に運ばれた石上は、額から汗を吹き出し、苦しみ続けていた。治療番が首を横に振る。「こりゃ、ダメじゃ。盛られたのは猛毒中の猛毒。治す手立てが無い・・。もって二日三日か・・。」それを聴いたかぐや姫は目の前が暗くなり膝から崩れ落ちる。そして、治療番に詰め寄る。

「どうにかなりませんの!?治してください!!治して!助けてこの方を!話が有るって言ったんです!食事が終わったら。それをこんな!」言いながらかぐや姫は治療番を掴み強く揺らす。治療番は、かぐや姫を引き剥がす。

「儂だって、治せるものなら治したい!・・だが、ダメなんじゃ。この毒の解毒法は無いんじゃ・・。」かぐや姫はそのまま泣き崩れる。周りを囲む屋敷の者達も肩を震わせ泣いている。外の雨は冷たく降っていた。屋敷全体が泣いているかの様に。

突如かぐや姫が声を挙げる。「あの。私にどうか看病させていただけませんか?どうかお願い致します。」その瞳は真っ赤である。かぐや姫の気持ちを知っていた屋敷の者達は誰ひとり反対しなかった。

 かぐや姫は、苦しむ石上の傍に寄り添い必死で看病する。額の手ぬぐい替えや効かないと分かっていても薬湯を飲ませた。その間かぐや姫は一切自らの食事も取らず、風呂も入らなかった。僅かな間でも石上の傍を離れたくなかった。いや正確には怖くて離れられなかった。

三日が過ぎ、石上はかぐや姫の必死の看病のお陰か苦しんでいるものの息は続いていた。調べの結果、毒はかぐや姫が求婚を断った石作皇子がかぐや姫を諦めきれず、ここに逗留している事に嫉妬して石上に毒を盛るよう仕掛けたとの事であった。その事を屋敷の者達はかぐや姫の耳には入れないように誓った。

五日目の満月の夜、流石に疲労が隠せないかぐや姫は時折遠のく意識を戻そうと、自分の頬を思いっきり叩いて看病を続けていた。この頃になると石上の呼吸は細くなり、いよいよその時が近づいているとかぐや姫は感じていた。徐々に石上の意識が遠のいて行く。

「石上様!!」かぐや姫は、必死で声を掛ける。

 「石上様、石上様。しっかりしてください。私まだ、貴方に美しいと言ってもらって居ません。」かぐや姫の眼から溢れた涙が石上の顔に落ちる。

「いえ、もう美しいと言ってくれなくとも構いません。どうか私を置いていかないで。」かぐや姫の訴えも虚しく石上の呼吸が止まる。

「いやーっ。石上様!!」泣きながらかぐや姫は、石上の胸に顔をうずめる。そして心の中で『私は石上様が大好きです。やっと分かりました。私は、どうなってもいい。だからどうかどうかこの人をお救い下さい。この人を連れて行かないで』と祈った。すると、夜空に輝く月が光り二人を包む。

『ようやく気づいたようですね。貴女は満月のように光輝く見目芳しい王女になるようかぐや姫と名付けられました。それが皮肉にも容姿に偏る事になり、自分の容姿に溺れた貴女は王女であるにも関わらず数々の男を手玉に取り傷付けては喜んでいました。そんな貴女に人を思いやり愛する心の美しさを取り戻させる為にこの国に赤子として落としたのです。』頭上の光が語り掛ける。その時にかぐや姫は全てを理解した。

「それは分かりました。それよりもどうか石上様を助けて下さい。私はどうなってもいい。お願いします!」かぐや姫は必死で訴える。

『本当にどうなっても良いのですね?』

「はい。」光の問いかけにきっぱりと応えるかぐや姫。

『では、願いを叶えましょう。そのかわり貴女の一番大切なモノを頂きますがよろしいですか?』

「石上様より大切なものなど私には有りません。だからどうか。」かぐや姫の眼に迷いは無かった。

『承知。』光が強くなりかぐや姫の眼が眩む。何も見えなくなった。光が消えると石上の胸が再び上下に動き出した。

「石上様・・。」かぐや姫は大粒の涙を流し安心してそのまま石上の胸に倒れ眠ってしまう。


翌朝、石上が眼を覚ますと、自分の胸の上で見慣れない女が寝ている。「そなたは?」石上が身体を起こしながら尋ねる。それで女も起きた。女は、石上の顔を見るなり「石上様!」と嬉しそうに声を掛ける。しかし、石上は不思議そうに女の顔を見ている。その時、女は部屋の鏡に映る自分の顔を見て愕然とする。そこには、自分の見慣れた美貌溢れる顔は無く、およそ美人とは言えない顔の女が映っていたのである。かぐや姫はそこで、自分の大事なものつまり自分の美貌を失った事に気付いた。しかしかぐや姫に後悔は無かった。たとえ、自分がかぐや姫と名乗れなくても。いや名乗るつもりは無かった。石上には、かぐや姫は屋敷に帰った事、自分は新しく入った下女のお月であるとした。

 五日も寝たきりだった石上の世話を引き続きお月がすることになった。石上はいつもかぐや姫の話しばかりしてきた。それをお月は黙って聴いていた。石上がかぐや姫の事を楽しそうに話せば話す程、眼の前の自分とかけ離れた人物の事であると感じた。傍には居れるが、石上の心は以前の自分「かぐや姫」の元にあり、今の自分「お月」には決して向かない事が分かり、寂しかった。傍に居る分、毎日残酷な事実を突き付きられるのは辛かった。だがお月は決して名乗る事は無かった。お月は石上の世話をただ懸命に続けていた。悲しむ暇が無いように。

 ある日、石上が滑って転んで泥に尻餅を着いた。お月はそれを助け起こす。

 「すまぬ。そなたの手が汚れてしまったな。」泥だらけになったお月の手を見て石上が謝る。

 「何の、手は使う為、汚れる為にあるのですよ。それに汚れたら洗えば良いのです。それより大丈夫ですか?」お月はサラッと言う。

 「あ?ああ。大丈夫だ。」石上はお月の顔をまじまじと見る。

石上が元気になった後も、お月は下女として良く働いた。お月は屋敷の中でも良く働き気が付く娘として評判になっていた。何より、明るく笑った顔が弾けるようで周りの人を幸せにした。

そんなある夜、お月は石上に呼ばれた。お月は嬉しそうに石上の部屋を尋ねる。

「喜べ!実はそなたに縁談の話しが来ているぞ。」笑顔で石上が伝える。

「えっ!?」お月は耳を疑った。お月の笑顔が消える。

「何だ!?嬉しく無いのか?そなたも年頃だろう?相手の方が是非にとの事だ。」

「いえ。そんな滅相も無い。私なんて、見ての通り不細工だし。そんな縁談なんて勿体無くて・・。あれ・・。」言いながら涙を流すお月。その手は、着物の裾をぎゅっと掴んでいる。

「泣くな。そなたは誰よりも美しい。そうだろうかぐや?」かぐや姫の手を石上が包む。

「えっ?何でそれを?」驚くかぐや姫は泣きながら顔を上げる。

「手は使う為に汚れる為にある。それは、私がかぐやに伝えた言葉だ。そこからもしやと思い、改めて仕草や表情を見るに付け確信した。姿こそ変わっているがかぐや姫だと。」石上は、優しくかぐや姫を見つめる。その言葉を聴きかぐや姫はまた号泣する。

「い、石上様。ごめんなさい。騙すつもりは・・。」

「そんな事は良い。何かあったのであろう?ずっと探していたぞ、そなたを。」石上はかぐや姫を抱き寄せる。

「で、でも、縁談て?」石上の胸の中で不安そうに問うかぐや姫。石上は一度かぐや姫を離す。

「もう一度言うぞ。かぐや姫、そなたは美しい。そなたに結婚を申込みたい。縁談の相手は私だ。」その言葉にかぐや姫は、大号泣する。

「泣いてないで、返事を聴かせてくれまいか?」

「はいっ。喜んで。」かぐや姫は満面の笑みで応える。その笑顔が月明かりに照らされ美しく輝く。その日は中秋の名月であった。


(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フルムーンフェイス @yawaraka777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ