思い出の真ん中

みなづきあまね

思い出の真ん中

震えていた冬の寒さはどこへやら、薄手のコートでも暖かい日がやってきた。暖かくなると気分も良く、春用のパンプスとクリーニングでシャキッとしたトレンチコートをおろした。気分が上がる。


そろそろ年度が変わる。人事異動もあるだろう。私自身には大きな変化はなかった。そして、いつも目で追ってしまう彼も同じ空間にいるという点で言えば、変わらなかった。しかし、私と彼は全てのプロジェクトで接点がなくなることになった。


ここ最近、一緒にやる仕事も減り、2週間近く言葉を交わしていない。よく彼が私の所に来て、伺いを立ててくれたり、たわいもない会話に盛り上がったことが懐かしかった。


そんなことを思い出しながら、コピー機から出る印刷物を待った。そろそろ終わるという頃、彼が順番待ちに隣へ立った。


「お待たせしました。」


私は他人行儀な感じで一言添え、微笑みながら会釈した。


「大丈夫ですよ。」


彼は何も変わらない態度で答えた。


分からない。急にそっけなくなっていたのに、普通だ。今までは小さな用件でも私の所へしょっちゅう足を運んだり、帰る時間が頻繁に被ったり。なのに、急に彼と会話する機会へ減り、話しかけてもどこか冷たく、目を合わせないくらいの変わりようだった。


私は半ば諦めている。もう彼とはどんどん疎遠になり、新年度が始まれば最初こそ今の環境を懐かしむのかもしれない。毎度恒例のこと。2か月もすれば目の前のことに精一杯で駆け抜けていく日々の合間に、今のことなど忘れてしまうのだ。


けれど心のどこかでは、接点がなくなることが怖かった。本当に一言も交わさないで生活する日がやってくるのではないか。実際、職場の中にはそういう同僚はたくさんいる。話すのは給湯室でタイミングが一緒になり、「すみません」と断りをいれたり、ちょっと世間話をするくらい。彼もそんな中の一人になるのでは、と。


この日は偶然が重なった。私が一度外出し戻ってきた時、彼と階段で一緒になった。少しだけ彼の方が上を歩いていたので話はしなかった。ちょうどドアを抜けながら彼のことを考えていた私は、不意打ちに心臓が跳ねたのが分かった。


席に戻り、コーヒーを淹れ、焼き菓子をかじりながら隣で仕事に精を出している同僚と言葉を交わした。私もそこそこ忙しかったが、彼女はなかなか締め切り間近の仕事に目処が立たず、何回もうめき声をあげていた。私も今のうちにできることをと思い、TO DOリストに目をやった。その中に彼とやらねばならない最後の仕事があった。いや、やろうと思えば一人でやってしまえた。しかし、彼に確認をしてもらうという口実を捻り出せる、「彼と接点を持てる最後の仕事」だった。


私は必要なデータを開き、入力をし、印刷した。自分で一度確認し、入力した内容が書いてある原本と印刷した紙を持ち、席を立った。複雑な気持ちだった。これで彼に頼んでしまったら、それで終わりになってしまうかもしれない。この機会は引き延ばせる。まだ2週間くらい余裕がある。それでも最近話せないという事実が、私を彼の元へと足を向けさせた。


「お仕事中すみません」


私はそういうと、スカートを踏まないように彼の隣にしゃがんだ。


「あの・・・私からの最後のお仕事を頼んでもいいですか?」

「いいですよ。」


自分が作った資料と原本に相違がないか確認してもらえるよう伝えた。


「急ぎではないので。次、誰がこの仕事を引き継ぐが分からないし、私は別の所に移ることになったので、もし最初の方で何かあったらいつでも相談してください。お世話になりました。」


私は消え入りそうな声にならぬよう、努めて明るくそう言葉にした。


「いやいや。」


彼は「職場も部署も同じで顔を合わせないわけじゃないんだから」とでも言いたげに笑うと、私から資料を受け取った。


彼の元から去るとき、私の気持ちは複雑だった。本当にこれで接点がなくなってしまうのか、または、意外にもどこかで新たな繋がりが生まれたり、普通に話す機会は減らないのかもしれない・・・諦めていると言っておきながら、諦めきれていない自分に少し笑った。


5分も経たない頃、彼が資料を持って私の所へ来た。


「え、もう!?」


私は驚きの声をあげた。


「だって、見比べるだけじゃないですか。というか、忘れそうだから。」


そういうと彼は問題なしだった資料を一度私に見せた。


「早すぎる・・・ありがとうございます。あと、そのファイルの後ろの方に入れてある資料、年度が間違っていたので直して新しいものを入れておきました。」


「ああ、これ?今思えば、日付は空欄にしてあるんだから、年度も空欄にしておけばよかったと思うんですけど。」


「・・・たしかに。なんで気づかなかったんだろう。・・・遅い。」


「え!前もこんな話、しませんでしたか?」


「したような、しないような。・・・もっと早く言ってくださいよ~遅い!」


「えー。」


私たちはクスクスと笑った。


「じゃあ、これしまっておきますね。」


「あ、じゃあ鍵。」


私は近くにぶらさがっていた鍵を机越しに彼に手渡した。


ああ、懐かしい。この感覚。いつも正論をきっぱり言う彼は、時に疎ましいと思うこともある。それでも内容は正しいし、それが彼だ。そんな発言にぷりぷりと無理難題をふっかけてみたり、しょぼくれてみたり、抵抗してみたり・・・そして二人で途方にくれたり、どちらかが仕事を引き受けたり。そして笑う。


そんな時には周りなど見えていない。もちろん仕事中で周りには多くの同僚たちが働いている。自惚れではない。確かに私たちは二人の世界で、小さなやりとりを楽しんでいた。


この世界がそろそろなくなるかもしれない。いや、なくならないかもしれない。こればかりは始まってみないと分からない。でも、今は少し充足感に浸っていた。もう二度と戻れないと思っていたこの世界を、もう一度体験できたのだから。

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