これは死んだあなたに贈るラブレターです
長月瓦礫
これは死んだあなたに贈るラブレターです
『そっちの試験日っていつだったっけ?』
ふと時計を見ると、通話時間は三十分を軽く超えていた。
時間を気にしなければ、いくらでも話せるような気がした。
俺は机の上に飾られているカレンダーを確認する。
今日からちょうど、2週間後の日付が赤い丸で囲まれていた。
『もうラストスパートかけてる感じ?』
「そうだなー。全然自信ないけど」
『きっと大丈夫だよ、私だって受かったんだもの。
最後まで頑張って! 応援してる』
その声は一瞬にして、何かによって途切れた。
何かがぶつかったような鈍い音、派手なブレーキ音が耳元で響いた。
何が起きたか、分からなかった。
「……おい! 聞こえてるか! おい!」
返事してくれ、頼む。
さっきまで話をしていたじゃないか。
無機質なアナウンスが繰り返されるばかりで、何も分からない。
あの日、何度名前を叫んでも、届かなかった。
繋がっていたのに、何もできなかった。
あの子が交通事故で死んだことを知らされたのは、すぐのことだった。
ゆっくりと起き上がった。ああ、またあの時のことだ。
あの事件は忘れた頃に見る悪夢となって、呼び起こされる。
眼から涙がこぼれていた。
「ああ、そっか。まだ10年しか経ってないのか」
スマホを開くと、自然とそんな言葉が漏れた。
あの時、君が追いかけていたものに、俺はなれたのだろうか。
中学の時に、初めて親にスマホを買ってもらった。
防犯対策として、与えられたものだった。
結局は、ただのゲーム機になってしまったけど。
ほぼ同時期に買ってもらって、最初に連絡先を交換したのもあの子だった。
気まぐれにやり取りしながら、日々を過ごしていた。
家は近くとも、中学から通う学校は別々だった。
俺は近所の中学校、彼女は私立の女子校に通っていた。
いわゆる、『お受験組』だった。
小学校の最後あたりは、なかなか会うことができなかった。
それでも、会いに来てくれたときは、一緒に話をした。
将来を誓いあったわけじゃないけど、ずっと隣にいられるもんだと思ってた。
俺と結婚するんだって、幼い頃はずっと言ってくれたんだっけ。
年齢が上がるにつれて、聞く機会もかなり減った。
それでも、会うたびに『好き』って言ってくれていた。
俺は恥ずかしかったから、適当にごまかしていた。
本当はどう思っていたんだろう。
『ねえ、この人知ってる? すっごくおもしろいんだよ!』
中学に上がってすぐの話だった。
輝く目をしながら、俺に動画を見せてきた。
初めて見る表情だったから、今でも覚えている。
渡されたイヤホンを片耳にさして、一緒に動画を見ていた。
有名なホラーゲームの画面が映っており、見知らぬ男がぎゃあぎゃあ騒いでいた。
初めて見た俺は少し萎えてしまった。
わざとらしい演技は、ピエロのようだった。
滝のように流れるコメントも、男を笑っているものばかりだった。
内容は全然入ってこなかった。
けど、隣にいたあの子もコメント欄と同じように、ずっと楽しそうに笑っていた。
あの時の見知らぬ男に、俺は少しだけ嫉妬した。
じわりと広がった苦い味もよく覚えている。
「……」
今日は休みだから、何時に起きても関係はない。
というか、今日はずっと家にいるつもりだった。
ただ、静寂に押しつぶされまいと、腹の底から何かが湧き上がってくるのを感じた。
そう簡単に終わってたまるものか。
「撮らなきゃいけない、な」
朝食もそこそこに、いつもの機材を背負う。
『いいなあ。私カナヅチだから、海が怖いんだよね』
そう言いながら、山を軽やかに登っていくのを思い出した。
あれはいつのことだっけ、林間学校の時だったかな。
いつも後ろ姿ばかり、追いかけていた。
幼い頃から、仲がよかった。
いつも後を追いかけて、よく困らせてたっけ。
『学校が変わっても、ずっと一緒だよ!』
小学校の卒業式の帰りに、指切りした。
ずっと一緒にいれると思っていたのに。
どこか吹っ切れない思いとともに、家を飛び出した。
『ねえ、これ見てよ。すごく綺麗じゃない?
私もこんな透明な世界を見れるのかな?』
そういえば、写真撮影を始めたのも、これがきっかけだったんだっけ。
電車に揺られながら、浮かんでは消える記憶を追いかける。
プールとか海とか、水辺にいるときは隣に立てたような気がした。
いつも俺の手を握って、一緒に練習していた。
あの子となら、何をしていても楽しかった。
「……」
ふと、自分の両手を見つめていた。
あの子が見たいと言っていた世界を映せているだろうか。
ネットでいくらでも見られるけど、やっぱり自分の手で撮りたかった。
あの子の声を最後に聞いていた人物ということで、警察や周囲からいろいろなことを聞かれた。特別でも何でもない、日常のことでしかないやり取りだ。
言ってしまえば、ただの雑談をしていただけだ。
それでも、周りはちゃんと話を聞いてくれた。
役に立てたかどうかは分からない。
正直、交通事故を起こした奴がどうなろうと、別に構わなかったし。
俺のいる世界からあの子が消えた。
いつも俺の隣にいたあの子が消えた。
そのことだけが俺の中を支配していたんだから。
その事実を飲み込むのに、かなり時間がかかった。
試験勉強にもほとんど集中できなかった。
試験にはどうにか合格できたけど、現実味はほとんどなかった。
報告するときも冷たい墓石の前になってしまった。
「こんなふうに、報告したくなかったよ……」
あふれる涙を何度もぬぐう。何度目かも分からない。
本当にどう思っていたんだろうな、俺のこと。
『好き』の数だけ、心に突き刺さった。
もっと、ちゃんと聞いておけばよかったかもしれない。
本気で言っているのかどうか、聞けばよかった。
高校に入ってからあった些細なことを、誰かに話したくてたまらなくなった。
いつもくだらない話を聞いてくれたのも、あの子だった。
突然、心が空っぽになった。
どうしようもない空白に押しつぶされそうだった。
いつも降りる駅の名前で、現実に引き戻される。
改札を通り抜けて、そのまま海岸へ向かう。
肌に突き刺さるような風が吹き抜けていく。
その後は、空白を埋めるように、いろいろなことに手を出し始めた。
その中でハマったのが写真撮影だった。
この楽しさをもっと早く知りたかった。
カメラを構えて、シャッターを切る。
これだけで、日常の欠片を残すことができる。
もっと早く知っていれば、あの子の笑顔をここに残せたかもしれないのに。
どうしようもない後悔を抱えながら、動画の撮影も始めた。
あの子を笑わせていた、ピエロのような男を真似てゲームの動画を撮影した。
あの子が見たいと言っていた、透明な世界を映すためにダイバーになった。
あの子が叶えられなかったことを、俺が代わりに叶えていった。
気がつけば、変な仲間たちに囲まれていた。
俺以上に変な奴らばっかりで、誰かのために動画を撮っている奴なんて、ここにはいなかった。それでも、楽しいことには変わりはなかった。
『ダイバーになったきっかけって何ですか?』
『友達にカナヅチなのを馬鹿にされて、すげえムカついたから。
何とか見返してやろうと思ったんだ』
『生まれ変わるなら男と女、どっちがいいですか?』
『「人間」とは断定されてないので、あえてペンギンのオスと答えてみます♪
海をあんなふうに泳いでみたいよね!』
『好きな人とかいますか?』
『いないよ! 彼女いない歴イコール年齢! みたいな!』
そうやって質問されるたびに、大声で笑ってごまかしていた。
本音を隠して、適当なことを言ってのける。
明るい笑顔と軽いノリ、バカみたいに高いテンションはピエロみたいだった。
笑顔の裏で、悪夢に怯え、その度に涙を流す。
何度繰り返しただろうか。
「んじゃ、やりますかねー」
ここまで来るまで、10年。
長いようで短かった気がする。
海風は肌寒く、浜辺には俺一人しかいない。
青い海が続き、空との境界線がはっきりと見える。
絶好の撮影日和だ。
機材のセッティングから始まり、いつものようにカメラを俺の方に向ける。
海を背景に、俺は一人、カメラに向かって話し始める。
「えーっと、ちょっとだけ卑怯かもしれないけど、許してください。
カメラがあったほうが明るくなれるんです。なんか、そんな体になっちゃいました。
あれから、10年が経ったんだね。長いようで短かったなあ。
けど、俺としてはまだ10年。
それだけ、君がいなくなったことが信じられなかったんだ。
たまに夢に見るんだ、あの時のこと。
電話中に響いたブレーキ音とか、君の声が聞こえなくなったこととかさ。
何もかもが全部、夢の中で繰り返されるんだ。
そのたびに、涙がこぼれてるんだ。
何回泣いたことか、自分でも分からない。
あーもう、また泣きそうになってるよ。俺。
マジで泣いたらごめんね。
それでさ、気持ちの整理にかなり時間かかった。
忘れようかとも思ったけど、やっぱり無理だったし。
そんなこんなで、10年経っちゃった。
今ならちゃんと言えると思うから、聞いてください。
ずっと大好きでした。一緒に馬鹿な話で盛り上がっていられると思ってた。
けど、急にいなくなっちゃうんだもん。寂しくてしょうがなかった。
それだけ、俺にとっては大事な人だったってことだよね。
いなくなってから気づくとか、マジで最低な奴だな。
あれだけ、俺に『好き』って言ってくれたのにね。
その気持ちには全然応えられなかった。本当にごめんね。
ちょっとだけ、恥ずかしかったんだ。
いつも会うたびに『好き』って、言ってくれるなんて思わなかったし。
今は違う人を見つけて、結婚もしちゃったけどさ。
それでも、あれだけ俺に『好き』って言ってくれる人は君以外いなかった。
ホント、俺って馬鹿だよな。
どうせだし、このカメラも君にあげるよ。
俺のメッセージの他にも、いろんな場所でダイビングした動画も入ってる。
透明な世界を見たいって、言ってたでしょ?
これまで、全部俺が撮ってきたんだ。
この思いは今も変わらないし、多分、届かないと思うけど。
いつか、君が見てくれるかもしれないから。
10年経っても、忘れられないようだったら、また来るよ。
それじゃ、元気でね!」
録画を切って、息をつく。電源を落として、海に投げ入れた。
カメラは綺麗な弧を描いて、小さな波を立てて落ちた。
どうか、遠くにいる君に届きますように。
両手を軽く合わせてから、ゆっくりと歩き出した。
カメラは撮影中に落としたことにした。
海に向かってぶん投げましたとか、言えるわけないし。
あの後、嫁さんにはめちゃくちゃ叱られたし、会社からも厳重注意を受けた。
俺はまったく後悔してないんだけどね。あれでよかったと思ってるし。
手元に残しておいたら、きっと何度も見返しちゃうし。
だから、気にしないことにした。みんなに笑われるのはいつものことだ。
そして、数か月後にそれは届いた。
ファンからのメールボックスの中に、『カメラ見つけました』という件名があった。
『こんにちは、初めてメールを送らせていただきます。
潮煙という街でダイバーをやっている者です。
ストラップにあなたの名前があったので、メールをさせていただきました。
人違いだったら、ごめんなさい。
それと、いつも動画楽しみにしています。
いろんなことに挑戦するあなたを見るたびに、勇気をもらっています。
ダイバーの免許を取ったのも、あなたの動画がきっかけなんですよ!
それで今度、初めて水中で撮影するんです!
今から楽しみで仕方がありません! 素敵な動画が撮れるといいなあ。
これからもずっと応援してます。
辛いこともあると思いますけど、頑張ってください!』
メールの最後に、俺が投げたカメラの写真が添付されていた。
「……どうしよう」
また涙があふれてくる。袖で拭って画面を見る。
もしかして、あの子が探し出してくれたのかな。
動画、見てくれたのかな。
メッセージ、届いてたかな。
あの時、君が追いかけていたものに、俺はなれたかな?
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