第029話 煩いかもしれませんが

寿子がこれほど怒るとは思わなかった。


確かに、徹が口にしたのは、少々勝手な言い分だった。一方的な解釈。律紀の意思など無視して強制的に連れて帰ろうとした。


もちろん、まだ未成年で責任が取れない子どもを危ない場所から連れ戻すならば構わない。だが、ここは徹の生家で、保護者としての能力のある宗徳や寿子がいる。決して、連れ帰らなくてはならない理由のある場所ではなかった。


とはいえ、そんな行動を取る徹を宗徳も理解できないわけではない。


「まぁ、飲め」

「……」


ようやく家の中に入った徹に、宗徳はお茶を出してやる。お茶といっても、冷蔵庫で冷やしていた麦茶をコップに入れて持ってきただけだ。


徹は先ほど飲んだ薬の味が口に残っているのだろう。顔をしかめながらもそれを二口、三口飲んだ。


その間、律紀には風呂に入るように言っておいたので、今ここにはいない。


荷物を置いた寿子が、徹の前に座る。そのポジションは宗徳が座るべき所ではないのかと思わなくもないが、寿子は未だ怒っているようなので、安全を考えて宗徳は離れた場所に腰を下ろした。


「徹、言いたいことは分かる?」

「……」

「まぁ、期待してないわ。いい? 律紀はお前ではないの。それに、律紀が痛い目を見ることがないようにと先回りしてその可能性を潰すのはあまりいい事ではないわ」

「なぜ……律紀が傷付かずに済むならいい事だ」


これに、寿子は大きくため息をついて見せた。


「お前は……なら、あの子が死ぬまで手を出し続けるつもり?」

「そんなの、大人になったら別に必要ない」

「それが自分勝手だって言ってるのよっ」

「っ……」


徹は、意味がわからないという顔をしていた。


「まったく、これだから……最近は怒ってくれる人も周りにいませんもんねぇ。学校の先生達も立場が弱くなっちゃって、その上、あなたみたいな人を育てるということを理解できない先生も増えてきてるようですし……困ったものだわ」


本気で困ったと頭を抱える様子の寿子に、徹はふて腐れたような表情を見せる。


「俺だって親ですよ」

「ばかねぇ、子どもができたから親だなんて思うんじゃありません。ちゃんと子どもを見ることもできない人が親なもんですかっ」

「ちゃんと見てるっ」


憤慨する徹に、寿子は鋭い視線を向けた。


「見れてないでしょうっ。面倒を見るって意味じゃありませんよ。黙って目を背けずに見守ることができるかどうかですっ」

「ここへ来て連れ戻そうとしたのがいけないんっていうのか」

「それも一つですっ。あぁ、もうっ。こんなことになってるなんてっ」


寿子がイライラしているのが分かる。それを見かねて、宗徳が口を開いた。


「寿子……少し頭冷やしてこい」

「はぁ。そうします。また手が出そうですし」


よほど腹が立っているのか、寿子は素直に台所の方へ行ってしまった。叩いて怪我をさせたことを、少しは後悔しているのかもしれない。


残された徹は居心地悪そうに下を向いている。


宗徳は、テレビをつけてこの沈黙を誤魔化した。しかし、幾分かしないうちに、話し始める。


「寿子は、お前のことも心配してんだよ。最近のわけのわからん親になって欲しくないからな」

「……」


徹は口を開かない。この家を出て行く前から、随分と口を利いていなかった。


だから、構わず話しを続ける。


「子どもってぇのは、やっぱ似るもんだ。環境とか、性格ってぇのは別で、おんなじ失敗したり、変な所で考え方が似てたりな」


子どもの頃にやったなと思う事を、同じように子どもがやる。不思議なもので、失敗して恥をかいた事を同じようにやる時があるのだ。


「親ってぇのは、無意識に子どもに自分を重ねてるもんだ。だから、子どもが失敗しそうになるとそれを回避させようと考えちまう。目の前で失敗するのを見んのは堪んねぇよな。古傷が疼くってもんだ。同じように怒られたり、落ち込んだり、引きずったりするのかと思うと助けたい。何より、自分が見たくねぇんだ。そん時の恥ずかしい気持ちを思い出すからな」

「っ……」


徹は、環境に、周りに恵まれていれば友達だってできただろうと思っている。中学の時、小学校から持ち上がりだったから、友達もできなかったと思っていた。だから、小学校で友達ができなかった律紀に、将来困らないようにという正当な理由を付けて中学を受験させた。環境を変えさせたのだ。


「誰だって、自分の失敗とか思い出したくねぇよ。だから、自分みたいな思いを子どもにはさせたくねぇって思うのはしようがねぇ。ただ、それを優しさだと思っちゃいけねぇんだ。失敗しなけりゃ、それがいい事なのか悪い事なのかも分かんねぇ。失敗も必要なんだよ」


ずっと守られていては、失敗する怖さも知らない人になってしまう。


「人は経験しねぇと理解できねぇんだ。特に子どもはな。アレだ。お前の好きなゲームだよ。経験値ってのを稼がねぇと強くなれねぇだろ。それと一緒だ。何より、子どもなら失敗しても知らないからなで許されたりするが、大人になってから同じ間違いをしたら、とんだ大恥かいて、取り返しのつかねぇものになるかもしんねぇ。そこんとこ考えたことあるか?」

「……それは……」


子どもなら、周りの大人達もその失敗をどうにかしてやろうと手を貸してくれるものでも、大人になったら、一人でどうにか責任を取らなきゃならないかもしれない。


子どもと大人では失敗に対する代償が大きく違ってくるのだ。


「最近は、若いのがすぐ挫折する。責任の取り方も知らねぇ奴らが多い。逃げる事しか知らねぇんだ。親が率先して逃げて良いって教えるからな。子どもの頃に失敗に立ち向かった事がねぇんだ。経験して、対応策を考えるってぇ思考を確立できねぇんだよ」


この失敗にはどう対応するか。その対応策を考えられる数の経験をできてないからだ。失敗すれば、恥をかけば記憶に残る。思い出したくないと思っても、思い出してしまう。もう二度とこんなことにはならないようにと考えるから、色々な道を模索することができるのだ。


「お前は、律紀をそんな失敗に対応できない奴にしたいのか?」

「そんなことはない……」

「なら、ちょっとは好きにさせてやれ。子どもでいられる時間ってぇのは短ぇ。自分が何やってんのか考えられるようになってから十年くらいだ。その間にこれからの人生……六十年より多い時間を生きるための経験をできる限り用意してやれ。お前が見てられないからって、目の前の石を払ってやってたら、一つ律紀が経験すべき機会を失っちまうんだ。そういう自覚を持て。親なんだったらな」


寿子が言いたいのはそういうことだ。古傷を傷めても目をそらせずにちゃんと見守れ。勝手にその機会を潰すな。それはただの自己満足だ。


「放任だって言う奴がいるかもしれんがな。そこは匙加減を考えろ。親も経験だからな。親にならなきゃできない経験だ。アレだろ。スキルってやつだろ。親になるって条件付きだから、特殊スキルになるんじゃねぇの?」

「……」


宗徳はテレビを見ながらはっと笑った。


「律紀は今、色んな経験をしようとしてんだ。悩んで、ちょい一人不安になって、俺らん所に来た。子どもは逆に親に見られたくねぇもんもある。特に自分に期待してる親には、失敗したり、弱ったりした所は見せたくねぇもんだ。その期待を裏切りたくないからな」

「……なんとなく分かる……」

「お前も経験あるんだろ。クラスの奴らに無視されてたり、いじめられてたりするのを口にできないのは」

「っ、なんでそれ……っ」


宗徳は徹に顔を向けなかった。もうこれは時効だろう。宗徳だって親だ。子どもの様子で分かる。だが、そこは耐えられると信じていた。信じたかった。宗徳も子どもに期待する親だったのだ。


「お前が耐えてんのは知ってたよ。立ち向かうことは出来なくても、最悪、耐えることは出来るって信じてたんだ……もちろん、体に傷でも作ってきたらさすがに手を出そうと思ったがな」


心に消えない傷を付ける。他人に対する恐怖心を持つことになるかもしれない。それでもそれに打ち勝つ力を持って欲しいと思った。乗り越える力をつけて欲しかった。


「子どもの世界ってのは、狭い。特に学校に通う間は、そこにしか存在できねぇような錯覚に陥るもんだ。その中で孤独に戦うってぇのは辛ぇよ。けど、お前は学校に行きたくないとは言わなかった。仮病を使うこともなく、皆勤賞とまではいかないが、学校に行った。それだけで戦えてたんだよ」

「……」


徹は、宗徳のように顕著には見られないが、間違いなく負けず嫌いだ。だから逃げない。逃げ方を教えていないってのもあるが、負けない強さは持っていた。


「逃げなくてよかっただろ。辛かったかもしれんが、嫌なことにも終わりがあるってことが分かる。お前は、あの頃のことを経験にする事ができた。その経験分、お前は他の奴らより強い。今だって、歯ぁ食いしばって頑張れる事があるだろ」

「……うん……」

「そんなお前の血を引く娘だ。もう少し信用してやれ。なぁんも考えずにこんな所まで一人で来るかよ。理由くらい、聞いてやれ。話したがらなかったら察して、話したくなる時まで待ってやれ。お前は辛いことも経験してきた。なら、そん時の気持ちを思い出して、待ってろ」


完全に壊れる所まで黙って見ていろとは言わない。けれど、きっと分かるはずだ。先回りをして失敗をさせないように出来るなら、ギリギリの状態になる所を理解できる。


どう言って欲しかったのか。どうして欲しかったのかわかるではないか。


「お前には、夢中になれるものがあった。そればっかになりそうで不安だったけどな。それでも、今はそれを活かしてんだ。間違ってなかったよ。お前が経験してきたことはな」

「……うん……」


のめり込み過ぎてしまう徹が危うく見えて、外に連れ出そうとした。それでも何とか踏み止まってくれた。宗徳は負けなかった徹を、ずっと褒めてやりたかった。


「律紀はお前とは違う所だってある。だから、同じ経験をしたからって、同じ強さが手に入るわけじゃねぇ。それがゲームとは違う所だな。だから、見とく事は大事だ。それに、失敗するのをただ見てろって意味じゃねぇぞ? 危ねぇかもよって言ってやるのは反則じゃねぇ。助けてくれと言われたら助けてやればいい。ただ、一緒に考えてやれ。まぁ、俺は誰かさんが、言っても聞いてもらえなかったから意味なかったがな」

「っ、そ、それは」


聞く耳を持たなかった自分を自覚したらしい。そこは、大きな一歩だ。


「それを思ったら、律紀はまだいい。あいつは人の話を聞くっていう準備が出来てる。友達も出来たからな。余裕が出てきたんだろ。先ずは、お前も聞く準備をしろ。余裕を持て」


閉ざすなと宗徳は伝える。そういう体勢が出来ていなければ無駄なのだから。


「アレだ。くだらねぇいじめする奴らを散々見てきただろ。人の本質はあれだ。自分らより弱い奴がいるってぇのをいじめって方法で確認する事によって、自分は強い、自分はこいつより上だって感じたいのさ。自己顕示欲、承認欲求ってぇのは、ガキでも一丁前に持ってるもんだからな。それが大人なら尚更だ。周りを見ろ。欲に囚われんな」


余裕がなくては聞けるものも聞こえないし、向き合うこともできない。


「……そう……か……」


宗徳はようやく声が届いたと感じていた。


知らず緊張していたらしい。強張っていた体を感じてコキコキと肩を回す。


「はぁ、さてと、お前ももう帰れ。俺らは明日も仕事だしな。律紀は明日、友達と勉強会だとよ」

「友達と……」

「うっし、そうだ。徹。異世界で戦うっつたら何が相手になるんだ?」

「はぁ? 異世界って……ドラゴンとか……」

「ドラゴンかっ。そりゃぁ、デカイんだろうなぁ」

「……まぁ、そうだな……」

「楽しみだっ」

「……そういえば、さっきの薬……」


徹が何か言いかけたが、宗徳はもう、明日のことで頭がいっぱいだ。


「暴れるぞぉぉぉっ」

「あなたっ、近所迷惑です! さっさとお風呂に入ってくださいっ」

「……おう……徹も帰れよ……」

「……そうする……」


また張り倒されてはたまらないと二人はのそのそと動き出すのだった。


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読んでくださりありがとうございます◎


こうして諭してくれる大人にはいてほしいです。

また明日です。

よろしくお願いします◎

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