第028話 本気です?

宗徳と寿子の息子、徹。


今は、子どもの頃から夢だったゲームクリエイターの仕事をしている。


人付き合いが苦手で、そのせいとは言わないが、最近は特に娘である律紀とどう接したらいいのか分からずにいた。


そんな娘のため、せめて将来困らないようにと、妻である沙耶と相談し、中学受験をさせたことは、数少ない人生の大きな選択の一つだったと思っている。


自分に似て、どうも律紀が友だちを作るのが苦手な子だと知ると、一人でいるなら勉強をするようにと言うようになった。少しでも何かに強みを持たなくては潰れてしまうと知っているからだ。お陰で律紀は、それほど苦労することなく難関中学に合格することができた。


しかし、受験に成功したから、そこから人付き合いができるようになるとか、性格が変わるとかなんてことには当然ならない。だから、律紀が相変わらず友だちも作れずにいるのには気付いていた。けれど、親である自分がどうこうできる問題ではない。


日に日に暗く影を落とす律紀を見て、徹はどうしたらよいのかわからなくなった。


将来のためにと受験させたが、それが正しいのかも分からない。妻の沙耶はその内なんとかなると言うが、なんとかできないことを自分は知っている。


そんな時、律紀が家出をした。


行き先はもう何十年と会っていない両親の所だという。それを知って徹はどうしようもなく不安になった。いや、ただ落ち着かない感じがするのだ。自分が近付こうとも思わない場所へ律紀が行ってしまった。どうしてだと疑問が渦巻く。


そうして、一日が過ぎ、二日が経とうとした時、会社から無意識のうちにここへ来ていた。


近付かなかった長い年月で、周りの景色は随分と変わっていた。知らない家が建ち並び、建物があった場所が空き地になっていたりした。それでも足は自然にその場所へ向かう。


数十年ぶりに帰ってきた実家は、誰もいなかった。何度か自分の記憶を疑い、ここは自分の家だろうかと自問する。間違えるはずがないのだが、本当に長い間寄り付かなかったために自信がなかったのだ。


近くに出来ていたコンビニに行ってはまた家へ戻り、またコンビニに行っては戻る。そうしてコンビニの店員に不審に思われながら、もうかれこれ三時間が経とうとしていた。


時刻は九時を回っている。沙耶には遅くなるとメールをしたし、問題はないはずだ。そろそろ諦めて帰ろうかとした時、律紀の楽しそうな声が聞こえた気がした。


気がしたというのは、実際に聞こえていても、そんな律紀の声を聞いたことがなかったから、似ている声が聞こえているだけだと思ったのだ。


しかし、その姿を確認して呆然と立ち上がった。


「父さん……」

「徹?」

「っ……」


ここに来れば会うのは当然だが、会いたくなかった。自分を否定する存在だからだ。そこには、苦手な父親がいた。その後ろには、その父親を助ける母親。徹にとって両親は敵だった。


「徹、どうしたの? 律っちゃんは大丈夫だって沙耶さんには伝えたはずよ?」

「聞いた……けど、学校を休ませてまでどこへ連れていっていたんだ」


そうだ。自分がこうして来たのは、律紀を連れ帰るためだ。


「会社にな。律紀も息抜きが必要だ」

「っ……あんたがそれを言うのか?」


信じられない。自分には勉強しろとか外で体を動かせとか煩いほど言ってきた。息抜きのゲームなどするなと、それなのに、律紀には息抜きが必要だと言って外に連れ出した。昔と言っていることが違うではないか。


「俺には息抜きを許さなかっただろうに」

「何言ってんだ。ちょっとは外に出て体でも動かせって言ってただろ。聞いてなかったのか?」

「っ、それは俺にとって息抜きじゃないっ」


自分にとっての息抜きはゲームや小説を読むことだった。外へなんて出るのは疲れるだけだ。ましてや体を動かせなどと、暇があれば竹刀を振り回すような父親とは違う。


「まぁまぁ。時間を考えてちょうだい。そんな大きな声を出さないで、中に入りなさい」

「っ、いい。律紀、帰るぞ」


いつだって母親は、父親の味方なのだ。やんわりと言ってはいても、どこか援護していたりする。まるで自分には味方はいないようで、それがとても嫌だった。


こんな奴らといるのは苛立つだけだ。さっさと律紀を連れて帰るのが先決だろうと思った。無口で物静かな娘のことだ。こうして自分が言えば逆らうことはないと思っていた。だが、現実は違っていた。


「いやだ」

「っ……何を言っている」


自分に逆らうなんて、今までそんなことなかった、これは、二人に有る事無い事ふきこまれているのかもしれない。


「律紀に何を言ったんですっ」

「何って、肩の力抜けって感じのことを言ったか?」

「そんなはずはないでしょうっ」

「いや、それくらいだ。後は律紀自身で感じたことを考えて答えを出した」

「っ……」


その表情に嘘はないように見える。けれど、長年感じていた不信感は拭えない。


「あなたはいつもそうだっ。私が全て悪いように、自分が正しいと見せかける。自分の子どもを何だと思っているんだっ」

「子ども以外の何者でもねぇだろ。他に何だってんだよ」


こんな時、自分の熱は届かない。理不尽だと怒りをぶつけてみても、まるで風を受け流すように何の感動も与えることはできない。今まで、どれだけこの虚しさを感じてきただろうか。


「律紀っ、帰るぞ」

「いや! 父さんは何も見えてないし聞いてない! そんな人がいる家に帰りたいなんて思えない!」

「……っ」


許せない。大人しく物静かだった律紀が親である自分に反抗するなんてあり得ないのだ。


「わがままを言うな。母さんだって心配している」

「してないよ。だって、おじいちゃんとおばあちゃんの所にいるんだもん」

「なっ、お前は何てことを言うんだっ」

「何って、本当のことを言ってるんだよ」

「母さんの気持ちも考えられないのかっ」


信じられなかった。心配している母親のことさえ、律紀はもうどうでもよくなっている。


だが、そこで母が静かに詰め寄ってきて突然頬を叩いた。


「いいかげんにおしっ」

「ブッ……っ」


吹っ飛んだ。首が嫌な音を立てた気がした。それほど、強烈だったのだ。


「おいおいっ、寿子、加減っ、加減に気をつけろっ」

「あらやだっ。私としたことが、最近、あちらで鍛え過ぎたかしら……」

「き、気を付けろっ。平手打ちじゃなかったら、徹が死ぬところだったぞ!」

「お、お父さん……っ」


律紀が蒼白になって駆け寄ってきた。


「お、おばあちゃん、どうしようっ。血っ、口から血が出てるよぉっ」

「大丈夫ですよ。大げさねぇ、ちょっと切っただけですって」


痛い。口の中が血の味で一杯だ。気持ち悪い。


「スゲェ腫れてきたぞ。急いで冷やせ。律紀、鍵開けるから徹を中に連れてこい」

「う、うんっ」

「いやですねぇ、お説教するタイミングを逃したわ……」

「寿子っ、説教より先ず反省しろっ!」


珍しく父親が母親を叱っている。吐き気と痛みと戦いながら、徹は母親に張り倒されるという初めての衝撃的な経験に震えていた。


だが、どうしてか声が良く聞こえた。それも、全く反省していない様子の母親の声が一番明瞭かもしれない。


「分かってますよ。仕方ないですねぇ、そういえば、薬ありますけど」

「あっちのかっ!? うぅっ……こっちの奴らに効くのか? ちょっと善じぃに確認すっから、律紀、氷だ。タオルに巻いて当ててやってくれ」

「うん」


玄関まで何とか入り込んだ徹は、上がり端に腰を下ろす。タオルに包まれた氷を、律紀が下に屈みこんで頬に当ててくれる。


その間、母親は仕方のないものを見るように、立ったまま目の前で仁王立ちしていた。


信じられなかった。父親の味方をしても、手を上げられたことなどない。叱りつけることもされた覚えはなかったのだ。


「おばあちゃんも怒るんだね」

「そりゃぁ、怒りますよ。子どもの時は自分の力で悟るのを我慢しますけど、大人になって娘の前でこれでは我慢できません」

「っ……」


少し目を上げると、腕を組み、厳しい表情で見下ろす母親と目が合った。


「徹、律っちゃんは律っちゃんよ。お前の娘である以前に、一人の物事を考えることができる人よ? 上から押さえつけるのではなく、向き合ってちゃんと言葉を聞かなくてはいけません」

「……」


そこに家の奥へ行っていた父親が戻ってきた。


「寿子……今のお前じゃ、説得力ゼロだ」

「そうですか?」


完全に上から押さえつけるような威圧を放ち、言葉などなく叩き伏せたのだから確かにそうだ。


「それで、あなた。師匠は何て?」

「お、おう。良いってよ。ただ、薬はお前の作ったランク三でも、こっちじゃ二つはランクが落ちるらしい」

「それは、気合いを入れて最高ランクを狙えば良かったですねぇ」

「あれでも仰天されてたろうに……」

「あなたに言われたくありませんよ」


わけのわからない会話を聞かせられ、混乱していれば、緑色の野菜のスムージーの入った小さな小瓶を差し出された。


「……?」

「飲みなさい。治ったらお説教です」

「……どういう……」


どういう意味だろうか。治ったらと言ったようにも聞こえた。


訳がわからない。だいたい、今は口の中がエライことになっているのだ。見るからにドロっとしていそうな野菜ジュースなど口にしたくない。


だが、母親も父親も容赦なく飲めと言った。


「早くなさい」

「いいから飲んどけ。腕とかも擦りむいてんだから、それも治る」

「意味が……」


わからないが、本当に痛いのだ。混乱と相まって思わず手に取る。そして、それを飲み干した。すると、スッと痛みが消えた。熱を持っていた頬に違和感がなくなった。


「え……」

「治ったよ? え? あれ?」


見ている律紀も目を丸くしているところを見ると、本当に治ったらしい。


「十分だったみたいですね。それでは、徹、上がりなさい」

「……っ」

「次は手刀でいきますよ」

「っ!?」


本気だと思った。


「おいおい。グーじゃなく手刀かっ!? 死ぬぞ!」

「だから忠告してるんです。まったく、律っちゃんの方がよく周りを見れるようになってるのに、いい大人が子どものように駄々をこねてっ」

「お、おい……もう遅い時間だってのを忘れ……っ」

「だまらっしゃいっ!」

「ひぃっ、お、おい、徹っ、さっさと上がれっ、マジだ」

「わ、分かったっ……」


父親でも稀に見る母親の本気に、徹はカタカタと震えながら、何十年と足を踏み入れなかった実家に上がったのだった。


**********

読んでくださりありがとうございます◎


怒ると怖いんです。

では次話どうぞ!

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