シルバーヒーローズ！ 〜異世界でも現世でもまだまだ現役で大暴れします！〜

第006話 契約しました

ビルの中に入れば、予想通りの広いロビー。

ホテルのロビーにしか見えないのは、一人掛けのソファとテーブルのセットが置かれた喫茶スペースが、入って右手側に広がっている事と、二人しかいない受付嬢には広すぎる大理石のカウンターのせいだろうか。

善治は物珍しげにロビーを見回していた宗徳と寿子をカウンターの右にある小さなドアの前で手招いた。

「何してる。こっちだ」

「あ、はい……」

宗徳と寿子は、改めて気を引き締めてからそちらに向かう。そこは小さな応接室だった。

「腰掛けてくれ」

勧められたソファに座ると、向かいに座った善治がテーブルに契約書を出し、それぞれの前に置いた。

「これが契約書だ。一度目を通してくれ。分かり難いと思ったら言ってくれれば説明する」

「はぁ……」

読んでみると、確かに小難しく書いてあるが、読み難いとは思わなかった。読み終わると、善治が補足として説明してくれた。

「少々の怪我はあるかもしれない。それは労災も下りる。重要なのは、長く続けた場合の身体的な変化だ。先日の試験で分かったと思うが、異世界では肉体が若返る。それは、少なからずこの世界にいるお前達にも影響が出るのだ」

「それがこれか？ 『明らかな身体的変化が見られ、現在住の世界での生活に異常をきたす場合、死亡手続きによってこれを解決するものとする』……善じぃみたいにって事だよな」

善治はこの世界では死んだ事になっている。つまりそういう措置を取られるのだ。長く異世界へ行く事で、肉体が見た目に明らかな若返りが見えれば、そうなるのも仕方がない。

「そうだ。その場合、新たな住居も生活も保証される。ただ、この世界ではない場合もある」

「異世界に移住という事ですね」

寿子は、最初の説明の時に聞いたその言葉の意味を理解した。冗談ではなく、本当にあり得る事なのだ。

じっと宗徳はもう一度契約書を見る。先日の異世界での体験がなければ、実感もなく理解できなかっただろう。しかし、確かな重みとなって頭に入ってくる。

これからを考える事は、五十を過ぎた辺りから多くなった。若い頃は漠然と感じていた死という終わり。

部屋の中にある捨てられずにしまわれた若い頃の日記。少々刺激的な本。それらが自分が死んだ時にどうなるか。それを思いながらも、まぁいつかはなんて思っていた三十代、四十代。

しかし、五十も過ぎればその現実に足がすくんだ。遠い未来ではない。いつかと思っていられるような時間はない。

今の現代医療ならば、百歳まで生きられるかもしれない。それでも、自分が今まで生きてきた同等の時間しか残されていないのだ。

あっと言う間に過ぎた五十年。ブレーキなんてかけられないのだ。幾つになっても、誰にでも一年は、時間は平等に過ぎていく。確実に、一日が終わっていく。

それを感じて、夜、眠る時に考える。遠くない未来にやってくる死とはどんなものなのか。

だから、それを引き伸ばせるこれは、救いにしか思えなかった。長く生きてこれば、色々と物事を客観的に見る事もできる。

きっと自分はそれでも後悔するだろう。死という終わりまでの時間を引き伸ばしても、今度は終わりの来ない事に不安を覚える。それは、人として仕方のない思考だ。

常に人は不安を感じ、それを解消しようともがき、答えを見つけ、また不安を感じる。その繰り返し。

だが、それが生きるという事だ。投げてはいけない。それが人として生きる事を許された者の課題なのだから。

宗徳から迷いは消えた。

「ここにサインすればいいのか？」

「ああ」

一番下にある署名欄。そこに差し出されたペンを受け取り、ペン先を持って行く。

すると、寿子が見つめている事に気づく。宗徳は忘れていたと苦笑して顔を上げた。

「寿子。お前はお前で考えて決めろ。けど、俺らは夫婦だ。死ぬまで添い遂げると誓った。この選択は俺の勝手だが、最期までお前と生きたいと思ってる事に変わりはねぇ。お前がやめておくというなら、それでも良い。だが、それでも最期はお前の傍にいる」

「あなた……」

夫婦は共に生きるものだ。それを裏切る事はしない。生きる長さが変わってしまっても、最期は必ず傍にいようと宗徳は結婚した時に誓ったのだ。

その思いを、寿子はしっかりと受け止めていた。

「バカですね。あなた一人を残して逝けるわけないじゃないですか。百年目の結婚記念日は、何か特別な言い方とかないのでしょうかね。その時は盛大にお祝いしましょう」

そう言って笑みを浮かべながら、寿子はさっさとペンを取って署名してしまった。女の方がやはり度胸があるようだ。

宗徳は慌てて署名し、二人はそれぞれの契約書に母印を押した。

「ふっ、お前達は、良い夫婦になったな」

善治が嬉しそうに二人を見る。その視線がこそばゆくて、宗徳は自分が先ほど勢いで寿子に言ってしまった言葉を思い出す。

恥ずかしくなって耳まで赤く染めたのは、何十年ぶりの事だったか。それをまた寿子は嬉しそうに横目で見つめたのだ。

◆ ◆ ◆

晴れて契約書も整い、部屋を出ると、善治は真っ直ぐにカウンターへと向かって行った。

すると、善治と目が会った受付嬢の一人が、標準装備の微笑みを見せながら、手元にあった何かを手渡す。

それを受け取り、善治は半ばこの立派過ぎるロビーの雰囲気にまた呑まれて固まっていた宗徳と寿子の元へと戻ってきた。

「行くぞ」

そう言う善治に頷き、後をついていく。手に持っていたのはカードのようだ。

少し振り返れば、この間にも受付嬢達は次々とやって来る社員達にカードを渡していた。

「なぁ、善じっ、師匠。あれがタイムカードの代わりだったりするのか？」

「ん？ コレの事か？」

善治は受け取ったカードを見せる。

「そう。それだ。姉ちゃん達が、何も言わずに渡していってるから」

むしろ、手元を見ているのかさえも怪しい。ただ、おかげで二人しかいないにも関わらず、ひっきりなしに入ってくる社員達が列を作る事なく通り過ぎるだけという状況に見える。

「とてもスムーズですものね。手元を全く見ていません」

正確に彼女達は向かってくる順にロックオンして、手渡している。しかし、時折大きく横へ動いてそれを取って戻ってくる事もあるようだ。

手元にカードを補充しているのかと思っていたのだが、それにしては移動する間隔がまちまちだ。それを不思議に思いながら善治に遅れないようについていく。

しかし、沢山のエレベーターが並ぶ通路へやって来ると、そこで善治が言った。

「このカードは個人で持つものだ。これは私のカード。あの受付は、全員の顔と名前を一致出来ている」

善治は中央辺りのエレベーターの前に立つと、カードをボタンのある場所へかざす。すると、その中央にあった漢数字の書かれたテンキーが光った。

それを複雑に押し、エレベーターが今どの階にいるのかと確認するように上を見る。

そこで寿子が感心した様子で善治に話しかけた。

「凄いですねぇ。ひっきりなしに来る社員の方の全てをあのお嬢さん達は覚えているのですか」

「ああ。お嬢さんという歳ではないがな。あの歳であの記憶力は凄いと私も思う」

そう善治が言うのと同時に、エレベーターが開いた。

中に入って振り返れば、向かいにも十以上のエレベーターがある。階の半分くらいをエレベーターだけで使っているのではないかと思えた。

静かなエレベーターの中で、寿子は続きを話す。

「まだ三十代では？」

「いや。私がここへ来た時と変わっていないからな。それに、確かあれで古株の方だから、千年越えしているだろう」

「千っ、そんなご冗談を……」

冗談にしては、表情が変わらない。それが正しい事だと気付くには充分だった。

「……人……ではないんですか？」

固まってしまった寿子に代わって、宗徳が恐る恐る聞く。数日前の事があるのだ。

あれは夢であるとは思えない出来事だった。巨大な犬を倒した事。自身の体が束の間、若返った事も忘れていない。

だから信じる気になった。善治は本当に何でもない事のように平然と答える。

「人ではない。あいつらの手には目が付いている。顔に付いている目よりも視力が良いと自慢された事がある。握手は嫌いで、赤子の目ほどの大きさの目が左右の手の甲と掌に一つずつある」

「へ……へぇ～……」

ここまでくると、先日の事があったとしても何言ってんだと思うしかない。しかし、そこで不意に扉が開く。すると、目の前の通路に黒い影が凄い勢いで横切ったのが見えた。

「人……」

寿子が呆然と呟く。

その正体が分かったのは、黒い影がふわりと目の前に留まり、舞い降りたからだ。

「ほぉ。これはまた、イキの良いのを見つけたものだ。久しぶりだな、善」

そう言って、エレベーターに乗って来たのは、なぜか箒を持った少女だった。その少女に善治が尋ねる。

「お久しぶりです。どちらへ？」

「十八階だ。クル様に呼ばれた」

少女がムッとしながら、箒の持ち手の方をトンと床に当てると、その箒が薄桃色のストールに変わり、少女の首元に巻き付いた。

それに目を丸くしている宗徳と寿子を放って、善治が続けて言う。

「エレベーターをお使いになるのは珍しいですね」

「正規の扉から入れと注釈付きだったのだ」

胸のポケットから小さな紙を出して言う少女。とても面倒くさそうだ。

「それは……何かありそうですね」

「ああ。出張は勘弁してもらいたいのだがな」

「お一人でしょうか……」

「わからん。自由に飛べない場所でなければ良いがな」

「どちらでも関係なく飛んでいらっしゃるでしょうに……」

「バレたか」

ニヤリと笑って、十八階で停まったエレベーターから降りていく。その少女を見送り、またエレベーターが扉を閉めた。

「……えっと……」

宗徳は説明を求めようと善次を見る。それに気付き、善治が口を開いたのだが、微妙に聞きたい事とは違うものだった。

「十階と二十階には無闇に下りないようにな。ボタンにも注意喚起があるが、あの階は魔女専用だ。どうしても用がある場合は、ほふく前進で進め。轢かれるぞ」

「……は？」

十階と二十階のボタンは、工事中ででもあるかのように、黄色と黒のシマが入った枠で囲われていた。それを見て、もしかしてと思った。その予想は外れない。

「この世界にいる魔女はスピード狂でな。廊下を音速で飛ぶのが普通だ。十階と二十階だけはそれが許されている魔女のフロアだ」

「飛行……ま、魔女……確かに箒持ってた……」

そうか。あれは魔女かと無理やり納得する。

「気をつけろ。魔女は大抵、どんな姿でもかなりの高齢だ。見た目は当てにならんからな」

「はい……」

「ここにいる方々は、皆、年上だと思った方が良さそうですね……」

宗徳と寿子は、次にどんな所にエレベーターが停まるのかと落ち着かない。

ランプが付いているのは、二十二階だ。そうして、その階に停まった。

「そう緊張する事はない」

「はぁ……」

二人は善治から離れないように、エレベーターから下りて廊下を左側に進む。

美しい大理石の床と壁。本当にホテルのようだ。しばらく歩いていると、黒い分厚い絨毯が敷かれた通路になる。

その先に、ガラスの扉があった。それを善治が開ける。すると、一気に部屋の中の喧騒が溢れたのだ。

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読んでくださりありがとうございます◎

羨ましいほど微笑ましい夫婦。

そして、魔女様が居ました。

飛べれば良さそうです。

今日はもう一話どうぞ！