2 勇者ユーノ・その後
地面に着くほど長く伸びた二対の腕と足。
毛むくじゃらの胴体に、複眼を備えた顔。
蜘蛛を思わせる魔獣が、街道を進んでいる。
かつて世界最強の勇者ユーノと呼ばれた少年の、なれの果てである。
普段はとある施設に幽閉されている彼だが、定期的に外に出してもらうことができた。
今日はその日だった。
ただし、一定時間が来ると、元の施設に戻るように『命令』をされていた。
彼をこのような目に遭わせた男──クロム・ウォーカーの命令は絶対だ。
ユーノが魔獣に変えられた際、クロムが自身の命令に必ず従うよう仕掛けを施してあるのだ。
だからユーノは定期的に外に出ては、また施設に戻るということを繰り返している。
なぜ、そのようなことを命じられているかというと──、
「ひ、ひいっ」
「化け物──」
村に着いたとたん、村人たちがいっせいに恐怖の表情を浮かべた。
(待て……待ってくれ……僕は化け物じゃない! 逃げないで……)
ユーノは必死に叫ぶが、魔獣と化した声帯からは、
ぐるるるるううううううううううううううううおおおおおおおおおおおおおんんっ!
と、不気味な咆哮が響くだけだった。
誰一人、彼が世界を救った勇者ユーノだとは気づかない。
いや、その『世界を救った勇者』という名声も、今や地に落ちている。
イリーナの声が録音されたオーブは世界中に広まり、勇者ファルニアが『ユーノは卑劣な手段で力を得た』と糾弾。
パーティの仲間だったマルゴが魔王軍の残党に与していた、という話も同時期に広まったため、すでにユーノの名は非難と嫌悪、そして憎悪の対象となっていた。
人としての名は地に落ち、そしてその体もすでに人のものではない。
魔獣と化したことで、簡単には死ねなくなった。
ときには村に冒険者がやって来て、ユーノを討伐しようとする。
そのたびに、ひどい傷を負いながらもかろうじて生き延びた。
再生力だけは異常に高い肉体が、今は恨めしい。
まるで永遠に続くかのような心と体の痛み──。
これが、彼の復讐なのだろう。
勇者パーティの仲間であり、親友でもあった男──クロム・ウォーカー。
かつてユーノは彼を裏切り、その恋人を寝取った。
そしてすべてを奪い、放逐した。
その報いが、今訪れているのだろう。
(ぐあああああああああああああああああああああっ、い、痛い痛い痛い痛いぃぃぃぃっ)
突然、全身をすさまじい苦痛が襲う。
断続的に訪れるこれもまたクロムがかけた呪いだ。
苦痛は数時間、数日続くこともあれば、数十分で終わることもある。
完全に不規則で、訪れる時間帯もバラバラだ。
いつ痛みがやって来るか分からない不安は、常にユーノの精神を削る。
(うぐぐぐうううううううううううううっ、く、くそ、許せない……!)
心の中に憎悪の炎が燃え広がった。
──その瞬間、目の前の景色が変わった。
白く輝く世界に、ユーノは立っていた。
『手ひどくやられたな』
ずんぐりした男が現れ、話しかけてくる。
彼が持っていた聖剣『アークヴァイス』の端末──ヴァーユだ。
クロムの【闇】によって消し飛ばされたはずだが……。
『私の本体はすでに消滅した。ここにいるのは、その残留思念だ』
と、ヴァーユ。
『マスターよ。クロムによって魔獣にされてしまったのだな……?』
(ああ、僕はこんな姿に変えられてしまった)
ユーノがうめく。
あいかわらず魔獣の体では声を出せないのだが、ヴァーユはどうやらユーノの意思を直接感知できるようだ。
(許せない……クロムめ……! そ、そうだ、ヴァーユ。お前の力で僕を元に戻せないか?)
ワラにもすがる思いでたずねる。
『そうだな……私の力なら【闇】の力に抗することができる。【魔獣化】のスキルを無効化し、マスターを人間に戻すことも』
(じ、じゃあ──)
『だがマスターはすでに【闇】に落ちている。【光】から決別した以上、その恩恵は受けられまい』
(なんだと……?)
『クロムに服従すると誓ったのだろう? その瞬間、マスターの【光】は失われたのだ』
(そ、そんな! 僕はずっと魔獣のままなのか!? ふざけるなよ! おい、ヴァーユ! お前がなんとかしろ!)
ユーノが怒りの声を上げた。
『それは無理だ……私はただの残留思念……一時的にマスターと接触できたが、そろそろ限界だ……もう完全に消える……』
(ま、待て、ヴァーユ! お前がいなければ、僕はもう助からない!)
『すまない……』
ヴァーユの姿が薄れ、ユーノは元の場所に戻ってきた。
(う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!)
るおおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああああああああっ!
絶叫する。
本能的に悟っていた。
今のが【光】との最後の接触だと。
ユーノが元の姿に戻る可能性など、とうに失われていたのだと。
(僕は、どこで間違えてしまったんだろう……?)
世界を救う勇者となり、人々から称えられて。
美しい恋人を得て。
それを失って、また新たな恋人たちを得て。
そして──すべてを失った。
(そうか……これはきっと夢だ……本当の僕は、今ごろファラやファルニアと結婚して、幸せに暮らしてるんだ……世界中から勇者として称えられて──)
せめて夢想に逃げこもうとする。
(ぐっ……ああああああああああああああああああああっ……!)
だが、断続的に肉体を襲う激痛が、妄想に浸ることさえ許さない。
心が──そして魂が緩慢に死んでいくのを自覚しながら、ユーノは今日も魔獣としての生を送る。
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