7 復讐者と聖女1

「バーンズ、せめてやすらかに眠ってください」


 イリーナはこときれたバーンズの側に跪き、大粒の涙を流しながら癒しの女神ラルヴァに祈りを捧げていた。

 悲哀と敬虔な雰囲気たっぷりに。


「お、おい、あいつ自分で自分を……?」

「聖女様への罪の意識に耐えきれなかったんだろう……」

「だが聖女様は、そんな罪人にも慈悲深い……ああ」


 群衆はまだざわめきつつも、イリーナの聖女としての魅力カリスマにうっとりした顔をしていた。


 ……本当に、外面がいい女だ。


 まあ、俺だって勇者パーティから追放されたあの日までは、ずっと騙されていた。

 偉そうなことは言えないか。


 弱った足でゆっくり歩きながら、俺はシアの側までやって来た。


「自ら命を絶つとは。やはり罪を悔いたのでしょうか……」

「違う」


 シアのつぶやきに、俺は首を左右に振った。


「あれはイリーナの僧侶魔法だ」

「それって──」

「一種の洗脳だな。相手を隷属させ、自刃させる──高位司祭のみが使える禁呪法。これでイリーナは奴の口封じと自らの聖女アピールの両方を一挙にこなしたわけだ」


 涼しい顔で。

 大観衆の前で。


 あっさりとバーンズを殺してのけた。


 おそらく、だが──あの男の言っていたことは真実だったのだろう。

 この二年で集めた情報から考えると、たぶん今の地位を得るために、他にも色々としているはずだ。

 謀略や色仕掛け、果ては暗殺まで──。


 俺が想っていた彼女は、本当にただの幻像だった。


「クロム様」


 シアが俺を上目遣いで見つめる。

 俺の、命令を待つように。


「ここで仕掛けてもいいかもしれないな」


 まだ様子見のつもりだった。

 だが、さっきの騒ぎで護衛の聖騎士が何人も斬り殺され、その数が減っている。


 もちろん、俺のスキルの前には護衛など何人いても同じだが……彼らが盾になっている間に、イリーナが逃げてしまうと厄介だ。


 今なら──虚を衝けるかもしれない。


「いくぞ、シア」

「はい。あたしがあなたを守ります」


 俺たちは前に進み出た。


 風が、強い。

 フードがめくれないように手で押さえ、マントの裾を風にはためかせながら──俺たちは歩みを進めた。


 ちょうどイリーナまで20ートルほどの距離で対峙する。


「なんだ、お前たちは」

「聖女様にそれ以上近づくんじゃない」

「見ての通り、さっきも不審な男が襲ってきたばかりだ。怪しい動きをする者は拘束するぞ」

「どけ」


 俺は静かに告げた。


「近づけば死ぬぞ」

「な、何……!?」


 さらに、進む。


 警告したところで、退くはずもないか。

 彼らとの距離は16メートル。

 イリーナとはさらに数メートル離れている。


「ええい、止まれ!」


 護衛の一人が業を煮やしたように叫んだ。


「クロム様、ここはあたしが」

「頼む」


 俺の言葉とともに、【従属者】たる少女騎士が飛び出した。


 先頭の護衛騎士に向かっていく。


「立ち向かうなら容赦はせん!」


 振り下ろされた剣が、シアを斬り伏せる。


 ──否。

 護衛が切り裂いたのは、彼女の残像だ。


「き、消え──」

「遅い」


 まるで瞬間移動したかのような──すさまじい速度で、シアが敵の背後に回りこむ。

 闇のスキル【加速】。


 そして、少女騎士は剣を一閃した。


 闇のスキル【切断】。

 敵の剣を、鎧を、まるで紙でも切り裂くようにバラバラにしてしまう。


 さらに、シアは駆ける。


 俺の目に映ったのは、赤い閃光。

 ツーサイドアップにした炎のような紅髪がなびき、その動きが鮮烈な赤い軌跡を描く。


 シアは護衛騎士十人の間を一瞬ですり抜け、ふたたび俺の側まで戻ってきた。

 同時に、切断された剣や鎧の欠片が、がらん、と音を立てて地面に落ちる。


 最初の護衛騎士同様、他の十人も剣と鎧を切り裂かれていた。


「う、動きが見えない──」

「なんだ、こいつ……!?」

「俺たちの剣と鎧が……馬鹿な……!」

「命が惜しければ、この方の邪魔をしないで」


 呆然と立ち尽くす彼らに、シアが冷然と告げた。


「次は武器や鎧ではなく、あなたたちの体が真っ二つよ」

「くっ……」


 気圧されたように後ずさる護衛騎士たち。


 さすがに丸腰では、人知を超えた速力と切断力を持つシアには対抗できまい。

 まあ、完全武装していようとそれは同じことだが。


「い、命など惜しくはない!」

「我らは聖女様を守るための騎士!」

「あのお方のためなら、たとえ死すとも──」


 護衛騎士たちはいっせいに身構えた。

 徒手空拳でも戦う気だろうか。


「──クロム様」


 シアが俺の方を見た。


 さあ、どうするか──。

 思案する俺。


 ライオットのときは、兵士たちも非道な行いをしていたから、まとめて殲滅した。


 だが、今回の護衛騎士たちは使命感でイリーナを守っているだけだ。

 あと数メートル近づけば、全員殺すことになる──。




「お待ちなさい」




 イリーナが制止の声をかけた。


「彼らの狙いは私でしょう。ならば、その相手は私がします」


 まっすぐに俺を見つめる。

 凛々しい聖女様の視線だ。


「フードを取りなさい」


 俺は無視してさらに進んだ。


 イリーナは眉を寄せ、俺たちに近づく。


 残り20メートル……19メートル……18メートル……。


 慎重に距離を測った。

 近づきすぎれば、彼女に9999のダメージを与えてしまう。

 即死させるのは本意ではなかった。


「聖女様!」

「危険です!」

「私は勇者パーティの一員ですよ? そんなに心配しないで」


 イリーナは護衛たちに微笑みかけた。

 聖性と慈愛にあふれた笑み。


 見せかけだけの、聖女の笑みだ。


「それに私は神の加護を何重にも受けています。魔王やその側近クラスでもない限り、傷一つつけられません」

「フードを取る前に、二つ」


 俺はイリーナを見据えた。


「お前はそこで止まれ、イリーナ。それ以上俺たちに近づくな」


 即死させないように彼女を制止する。


「それと、護衛たちをお前の側まで下がらせろ。これじゃ落ち着かないからな」

「……いいでしょう」


 イリーナは俺の言うとおり、護衛たちを自分の元まで呼び戻した。


 全員が殺気立った表情で俺をにらんでいる。


 俺は16メートルの距離を置いて、イリーナと対峙した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る