遥か頭上に赤点ラインが見えますな
水里波濤の粘り強い指導により、大須賀杏子の数学力は平均よりかなり下のラインまでにピョコンと成長している。「かろうじて平均点以下に先っぽだけ突入しました」と口に出すことに恥ずかしさを感じないほど、杏子はいともたやすくおごり高ぶっていた。
「10問中2、3問は正解。こうなると楽しくなるね!」
「そうなのかな。まだ赤点ライン以下だけど、そうなのかな」
「見えてきましたなあ、頭上に赤点ラインが」
いかに今までがひどかったかということが分かるやり取りだが、確かに少しずつ理解度は深まっている。
だが、「見上げれば赤点ラインが見えてきた」というのは、普通に授業を受けていればまずありえないのではないだろうか。波濤は不思議にすら感じていた。
赤点回避ラインには概ね3割以上の正解率が必要だが、3学期の試験のことを見据えて、半分以上は正解できるようにしてやりたい。なんにせよ、一週間後に迫った7月初旬の期末試験で赤点を回避することが進級への最低条件である。
波濤は自分の勉強はさておき、杏子の数学につきっきりだった。途中で見放して落第になられても夢見が悪い。
「けど、こうも毎日数学漬けだと、文芸部ってよりやっぱり因数分解部に近いね」
「うん、まあ、大須賀さんのせいなんだけどね」
「だ、誰もいないと勉強がはかどるね」
「高浜さんも種田さんもテスト勉強で部活には来ないし、僕も自分の勉強する時間を削ってるんだけどね」
直接的な皮肉を言われて頭をかいた杏子は、次の問題にとりかかりながらぼそっと口にした。
「iZaq」
「え?」
「因数分解部を本当に作るなら、Takku Bokkuみたく愛称をつけたい。iZaqって」
「ふーん」
「落ちてくるリンゴが一口だけかじられてるような意識高い系のデザインでポスターも作れそう」
「そこ代入の値が違ってる」
万有引力を発見したとされる17世紀の数学の巨人も、まさか落第寸前の女子高生にダイエットスタジオか便利な電子機器のような呼ばれかたをされるとは想像できなかっただろう。もしアイザック・ニュートンが平浜高校の数学教師なら「できの悪い者はリンゴのように容易く落下する」と重々しく告げ、容赦なく落第させられているに違いない。
「ところで大須賀さん」
波濤は軽く咳払いをした。
「ん、なにかな?」
「テストが終わって、赤点が回避できたらでいいんだけど、そろそろ僕の書いた”弱オレ”の評価を聞きたいんだけど。問題なかったら出版社に持ち込むか郵送したい」
アンタ、アレを持っていくつもりか。正気の沙汰か。毎晩よもぎみたいな葉っぱをかじりながら書いたアレを、本気で人の目に触れさせるおつもりか。編集者の手でSNSに上げられてさらし者になるぞと忠告したかったが、今は余計なことを言わないほうがいいだろう。
「あ、うん、わかった。ノートに要点をまとめて、テスト後に聞いてもらうね。そうだね、今は数学を教えてもらってるから、どうしても手ぬるくなっちゃうからね」
杏子はノートに目を落とし、次の問題に取り掛かっていた。
※iZaqポスターのイメージはツイッターにアップしました
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